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かわいいおばあちゃんになるために

私は、かわいいおばあちゃんになりたかったらしい。

「なりたかったらしい」というのは、自分ではそう思っていたことを忘れかけていたからで、そのことは友達が思い出させてくれた。
その友達とは、以前の記事に書いた、カメラの天使ちゃんである。

私は、彼女に「かわいいおばあちゃんになるのが夢だ」と話したらしい。たしかに、私の言いそうなことではある。

彼女から話を聞いて、今もわたしの胸の奥に、その夢が眠っていることに気づいた。

私は、かわいいおばあちゃんになりたい。

人生何があるかわからない。
これから先も、たくさんの試練が待ち受けているかもしれない。
でも、人生の終わりに、平穏な日々がすこしあればいい。
そう思い描くだけで、少しだけ、今を生きるのが楽になるような気がする。


私が思い浮かべる、かわいいおばあちゃんは、私の祖母だ。

ちなみに、祖母は、81歳の今でも、自分で営むお店に毎日立っている。
電化製品を売っている店だから、祖母はネットをつかって動画を見たり、レシピを検索をしたりする。お店では毎日テレビがついているから、祖母は、最近の芸能人やスポーツの話題にも詳しい。車を運転して、ジムに行って運動するし、ショッピングモールに行って映画を観てくる。

そんないつまでも元気な祖母に、元気にいられるコツは?と聞いたことがある。
祖母は、ちょっとだけ考えたあとで、
「おもしろくなくても笑うこと」
と答えた。

祖母におもしろくないときがあるとは思いもしなかったから、その言葉を聞いて少し驚いた。
祖母は、いつも心から楽しそうに、お店のお客さんや私たちと談笑している。

けれど、その言葉を聞いても、祖母を冷たいだとか、八方美人だとは思わなかった。
祖母の笑顔は、絶対に嘘だとわからせないから。
祖母の「やさしい嘘」を必要としている人もきっといる。
わたしもそのやさしい嘘に救われている一人かもしれない。

都会に暮らしている方にとっては信じがたいかもしれないが、祖母の商売はときどき物々交換で成り立つ。
祖母の店では、野菜の種も売っているのだが、以前お客さんに配達する手伝いをしたとき、受け取ったのは代金ではなく野菜だった。
種は、一袋せいぜい300円くらいだが、種を届けたとき、私が受け取ったのはスーパーで買ったら3000円くらいするだろうなという量のつぼみ菜だった。ごみ袋にぎゅうぎゅうに詰め込まれたつぼみ菜は、ずっしりと重かった。

これじゃあ種代よりずっと多いですよというと、お客さんは
「これは、種と交換するだけじゃなくて、たかちゃん(祖母のこと)へのプレゼントのぶんもあるから。全部もっていって」と言っていた。
祖母の家に受け取った野菜を運んでくると、祖母は
「あら、こんなにたくさん」
と言いながら、ほくほくと笑っていた。
ああ、この笑顔のためにお客さんはサービスしちゃうんだなと思った。

こういうお客さんが祖母の店には多いのである。
だから、ときどき電気屋より八百屋をしたほうがいいんじゃないかというくらい野菜が集まってくる。
祖母はいつでも笑顔で野菜を受け取る。

わたしには、祖母がいつもおもしろくて笑っているようにしか見えない。

その祖母のもとで育った私の母はというと、祖母とはまったく似ていない。
私の母は、嘘をつけない。
おもしろくないときは笑えない。
でも、おもしろいときは、本当におもしろそうに笑う。
それは、それで正直でよい気もする。
私は、母もきっとかわいいおばあちゃんになるだろうと思う。


私は、祖母のように上手に嘘をつけるわけでもなく、
母のようにどこまでも正直な人間でもない。

けれど、
できるだけ祖母のようにいつでも笑っていたいし、
できる限り母のように正直でありたいと思っている。


・・・かわいいおばあちゃんまでの道のりはなかなか険しい。




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この記事は、この企画に着想を得て書きました。
笑顔で野菜を手に入れる、現代版わらしべ長者のような、祖母の紹介でした。
ふにさん、快く参加を受け入れてくださり、ありがとうございました。



ちなみに、私のnoteのIDがnonnina(イタリア語でかわいいおばあちゃん)なのは、ここからきています。


11/28追記

ふにさんが、この記事へのお返事を書いてくださりました。

会話そのものが、単なる言葉の交換ではなく、それ以上のものを互いに差し出し、受け取り合える「笑しべ」なのかもしれない、というふにさんの気づきにはっとさせられました。

これからも、たくさんの方々と素敵な言葉を交わし合いたいなと思います。