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「つづかない」私がつづけている朝の習慣
継続は力なり、という言葉がちょっぴり苦手だ。
なにかを毎日コツコツとつづけられる人たちには、あわい憧れを抱いているものの、自分ではつづけられたためしがなく、いつも自分の力不足を実感させられるから。
なかでも、特に苦手なのが、いわゆる「朝活」。
朝を気持ちよく過ごせたら、きっとその日はいい時間を過ごせるのだろう。
頭ではわかっている。
でも、目覚ましを止めてからの数分間、お布団のなかで背徳感を抱きながらまどろむ心地よさに抗えず、朝活をしようと幾度となく試みては断念してきた。
そんなつづけることが苦手な私も、約1年ほどつづけられている朝の習慣がある。
それは、1日のはじめに、「いい1日」をイメージすること。
たったそれだけ。
いい1日をイメージして、今日もいい1日を過ごそう、と思うだけ。
たった数秒でできる、私の習慣だ。
そんな私の朝の習慣のはじまりは、ある映画にある。
私は1年ほど前、街中にある映画館をふらりと訪れた。スクリーンが2つしかない、小さな映画館。
平日の昼下がりの上映の観客は、私のほかには、おじいさんひとりだけ。
キラキラと川面が反射するセーヌ河岸に浮かぶ一艘の船が映し出される。
その船こそが、その映画の舞台であり、主題だった。
その船の名は、「アダマン号」という。
その船の中には、居心地のよさそうなカフェがあって、人はそこで歌ったり、絵を描いたり、ダンスをしたりしている。
アダマン号は、精神疾患をもつ人たちのためのデイケアセンターだ。
映画は、大きなストーリーがあるわけではなく、その船に行き交う人たちを淡々と映し出す。
はじめのうちは少し戸惑う。
画面に映る人が、精神疾患をもつ人なのか、スタッフなのか判然としないから。
だけど、しばらく観ているうちに、そんなふうに線を引かずにいられる場所、それこそがこのアダマン号なのだと思い至る。
精神疾患をもつ人も、カフェでコーヒーを淹れたり、会計をしたり、ミーティングで意見を出したり、アダマン号の乗組員としての役割を果たしている。
もしかすると、大きな社会の中では、彼らの言葉は耳を傾けられることなく、異常というレッテルが貼られてしまうかもしれない。
だけど、だんだんと、そんな彼らの言葉に耳を傾ける余裕のない、このせわしない社会こそ、異様なものにも思えてくる。
その映画の中で、「いい1日にするために、今日何をするのか考えるのが大事なんだ」と話している人がいた。
私はこの映画をこのとき映画館で観たきりだから、セリフは正確ではないかもしれない。
ただ、そのセリフを耳にしたとき、私はいい1日を送ろうと思えているだろうかと、自問したことはよく覚えている。
1年前のいまごろ、私は美術館の学芸員として働きはじめたばかりで、毎日毎日荒波にもまれるような日々を過ごしていた。緊張と不安でいっぱいで、毎晩寝る前には、1日をどうにか終えられたことに安堵していた。
あれから、1年。
少しずつ、少しずつ、毎日を楽しむ余裕も出てきた。
今日は何をしようか、と考えるのが楽しい。
それは、もちろん1年という時間をかけて、新しい生活や仕事に慣れてきたからではあるのだけど、あの映画を観たことも、ひとつの契機になったのではないかと思う。
先日、全国の美術館の学芸員が集まる研修に参加したとき、「アートは、遅効性?」ということが話題に上った。
もちろん、美術作品をひと目見た瞬間に心ゆさぶられることもある。
でも、多くの場合、美術作品と出会った瞬間には気づかないような変化を、美術作品は観る人の心にもたらしているものなのではないか、と。
私にとっての映画『アダマン号に乗って』もそうかもしれない。
観ているときにもはっとさせられたけれど、いい1日を思い浮かべる朝、少しだけあの映画の空気を思い出すことで、いい時間が流れ出す。
映画のなかの言葉が、毎日のスパイスとしてじんわりと効いているような気がするのだ。
「いい1日」といっても、それほどキラキラした1日を思い浮かべているわけではない。
疲れているときは、タオルケットにくるまりながら、ソファーに寝転んで本を読んでいるのが、いい1日だってこともある。
ちなみに、今日もいい日だった。
お休みの日だったから、昼前にスーパーで買い物をした。私のお気に入りの、新鮮なお魚が売りのスーパー。前から気になっていた大きなアジフライを買ってみた。ひとつ300円。
家に帰ってきてから、玉ねぎをみじん切りにして、マヨネーズで和えて即席のタルタルソースをつくる。冷凍していた食パンをトースターで焼いて、アジフライにタルタルソースをかけてサンドして、ちょっと遅めのお昼ごはんにした。
アジフライは大きすぎて、食パンからはみ出ていた。私は、大きく口を開けて、ふわふわサクサクのアジフライと、シャキシャキタマネギのタルタルソースと、こんがり焼けたパンを頬張る。おいしくって夢中になって食べた。
私は、おいしいものを食べられたら、もうそれだけでいい1日だ、と思う。
いい1日は、そんなふうにして、案外簡単につくることができる。
そして、毎朝同じことを祈っている。
夫が無事に職場に行って、無事に帰ってきますように、今日もお父さんとお母さんが元気で楽しく過ごせますように、妹の新しい生活がどうか楽しいものでありますように、と。
大切な人が生きている今日は、それだけで特別で、いい1日なのだ。
さあ、明日も、いい1日になりますように。