継続嫌いと不登校と愚痴

子供をゲーム嫌いにする方法、というツイートがあった。心底から「これだ!」という気持ちになったので、引用しつつ愚痴っていこうと思う。理論型屁理屈なのでバック推奨。


・一生懸命◆◆◆に取り組むように言う
・どこまで進めるか目標を立てさせる
・目標に対しての進捗を管理する
・進捗が遅れていたら叱る
・なぜ遅れているのか理由を問いただす
・遅れを取り戻すための方法を言わせる
・◆◆◆のやり方に都度口を出す

これだけで、人は◆◆◆を嫌いになるとのこと。あえて記号にしたのは、ここを変えると何にでも当てはまるらしいからである。考えてみると、私はこの全てをコンプリートするような教育をされてきた。「あなたの為よ」と大っ嫌いな事(勉強など。みんな必要だと言うからこそタチが悪かった)を強制され、間違えても間違えなくてもそれをやっている間は他の行動を禁止され監禁状態。完璧にできても反応は薄く、褒められてもむしろ怖い。終わらせなければゲームは出来ないのに、ゲームを釣り餌に延々とさせようとする。一通り終わったあとにはチェックが待っており、間違えると正座させられ、周りと比較されながら酷く怒られ、母の目を見ながら間違えた理由を問いただされ、言えない場合は自分で考えさせられて、考えられるまでは何をすることも許されず、考えている間にゲームの使用制限時間が来た場合はその日の分のゲームは無し。見つけた理由が母好みで無い場合は母の言う解決法を言わされる。ダメな教育の典型である。この教育のもたらしたものといえば、


「ゲーム等母親の怒りそうな娯楽への並々ならぬ執着」「母や苦手な人間との会話を嫌う、会話をすると(説教でもなんでもその気配を察知すると)逃げる」
「周りとの比較を極端に嫌うが自分自身にその考えが染み付いているので一人でいても辛い」
「母親が優しくしてくれる環境が怖くて仕方ない」
「何かを言わされるなど、命令が嫌い」
「自由に対する欲深さ」
「心配されること=それを踏み台に日頃溜まったストレスを発散する技というひねくれた思考」
「説教=マウント、という思考回路の為誰に説教されるとその人を嫌いになる」
「どうせ怒られるならと消極的or活動的になり、さらに怒られる」
「自分のわかっている限りを尽くしても上手くいかないのはわかっているので本気を出さない」
「逃げ癖」

などなど。最悪か????
しかし自分が罪を犯すような人間にならなかったのは、周りに尊敬できる人間がいたからだろう。小学生の一時期、本当に崇めるレベルで尊敬していた先生がいたのだが、思えばあの人は菩薩のように怒らない先生で、ぎゃあぎゃあ騒ぐクラスの子供たちを収める為に独特の小さい声で掛け声を繰り返し後日喉を痛めた事件があった。その件は私にとっては本当に驚くことで、ほかの先生はマイクを使ったり一旦クラスから出たりして怒りを表現するが、その先生は逃げも隠れもせず教壇に立ってか細い声で伝え続けた。自分がクラスに溶け込めていなかった時も、「先生はこう思ってるんだけど…」と自分はこう思うよ、と意志を伝え、怒る時でさえ「ミスは誰にでもある。次に活かせればいいよ」と逃げ道を用意していた。後々そういった対応が教師として100点満点であることを知ったのは、私が将来への焦りで小難しい本を読み漁っていた時のことである。
何はともあれ、私は法律を犯すことはいけないことだとわかっているし、精神的にギリギリな時でさえ非行に走ったりはしなかった。自分でもすごいなと思ったりする。が、逃げ癖は中々治らない。ここまで母のことをボロクソに言ったので、今度は私のこともボロクソに紹介しようと思う。書き溜めた癖に結局放棄したnoteから文を引用する。

いつも徒競走だ。
みんなで並ぶ。笛がなる。走る。
その行為は自然なものだ。ちゃんと発育的に問題ないかとかの確認行為。もっと言えば自分のため。体のためとか、病気発見とか、そういうの。だけど、私は走ってる時にそんなこと考えてない。ただ追い抜かれないように、後で恥ずかしくならないように、少しでも早く走る。私は運動神経抜群なわけじゃないから、やっぱりいつも最後あたりだった。走る。前を見る。みんなの背中が見える。追い抜けない。それは別になんの事でもない。至極当然。私が遅いから。みんなはきっと、普段運動してるから。サッカーとか、そういう部とかやったりしてるから。根本的に構造違うとかさ。
だから悲しい事じゃない。だけど、それをされると、私はどうしても変な気分になった。
みんなの背中が遠くにあって、私はいくら足を動かしても、私は追いつけないから。
追いつけないことへのコンプレックスは段々と追い抜けないことへのコンプレックスになった。

私は徒競走から逃げるようになった。走るってこととか、競うこととか、比べられること、勝ち負けがあることから逃げた。普通だったらみんな悔しー!って思って、練習とかするんだと思う。校庭走り回るんだと思う。いい子だね。私は悪い子だけど。

でも、そういう嫌な事ほど、逃げても追いかけてくる。徒競走をしないと、記録を書くところが空欄になるでしょ?徒競走ってやらなきゃいけないこと扱いだから、また今度学校に来た時に走らされるんだよね。じゃあ学校に来なくちゃいいじゃんってなって、私は学校を嫌がったけど、怒られてやる羽目になった。一生懸命走ったよ。でもみんなが居ると追い抜けなくて悲しくて、みんなが居なくてもみんな早いんだろうなって思って悲しい。見ている子とかがいると、つい反応を伺って、バカ正直に落ち込んだりした。あとから知ったけど、私って完璧主義っぽい。出来ないくせに高慢だよね。

その調子だったから、徒競走以外にも嫌なことがガンガン増えた。点数とか、勉強とか、忘れ物チェックとか、朝の歌とか、グループ行動とか、人の言うこと聞くとか。だって嫌なんだもん。点数がつくの。私が頑張っても平均点より低いのはひと目でわかるし、間違えた問題に泣きながら丸を書いて、隣の子に怒られたこともあった。(私も頑固だから先生に言われても中々譲らなかった。隣の子、ごめん)。高い点数をとった子が褒められることにはなにも感じなかったけど、低い点数で頑張ってないと評価されたのが嫌だった。至極当然だけど、嫌いなものが増える度に成績は悪くなっていった。でも好きなことをしている時間は楽しかった。楽しめることなら私は点数をつけられても何度か耐えられたし、別にいいやって思えた。だけど、「あなたなんにも出来ないのね」みたいな目で見られるの悲しかった。
でも親って心配するんだよね。なんでだろうね、私親になったことないから知らないけど、子供って親にとっては心配の種らしい。うちの親はテストに関してはもう諦めてたから、一周回って優しかった。テストがダメでも次できれば、理解できてればいい。毎回持って帰ってきたテスト広げて確認されたのはよく喧嘩の種になったけど、それでも優しめらしい。成績が悪くなると怒った。特に生活態度。忘れ物が多かったからよくバツが着けられてた。でも国語が二重丸だよってドヤ顔すると、親って怒るんだよね。他はどうしたって。

みんな比べたがる。継続とか伝説に喜ぶ。異端を嫌う。
やだなぁ。

はい、途中までのnoteでした。はい。
説明できたか分からないけど、一言で言うなら、『全部最後までちゃんとやった事もないくせに点数ついて悲しんでるバカ』です。全部途中で投げちゃうんですよね。多分それって、評価とかに固執してるからで。文句言われたくねー!って叫んでるくせして、褒めては欲しいんですよ。褒めて褒めてー!一生褒めてー!って。成功経験があっても、安心するだけで終わって。私への悪口なんて滅んじゃえばいいのにって思うのに、自分へのダメだし以外、何も残らないんです。ああよかった、ヘマしなかったって。そんな屑だから、偉いねー!上手く出来たねー!って言われると不安になっちゃって。お世辞だな、って思うんです。このノートも半ば自分を知るためにやってるんですけど、なんというかこう、人に見せると引き締まるというか、でもなんかコメント来ないからその、本音を言えるというか、そういうところもあって。書いてると落ち着きます。なんというか、時間を物にした感?がありまして。いつも懐を過ぎ去って行ってしまって、捉えられないんだけど、物を書いてると、ああこんなに書いたんだなって思えると言いますか、なんというか。所有できたぜやったあみたいな。口悪い。なんか、なんだろうなぁ。閉鎖的というか…いや別に、disでは無いですよ?こう、なんて言うのかな、風通しのいい山の中みたいな、そういう所がいいなぁって。愚痴ばっか書いててもハート通知しか来ないですからね。話逸れた。書いてたら別の感情も湧いてきたのでこれも書いておきます。自分の感情がよくわからないです。前まで、かなりやばいレベルで「自分が感情で生きる人間という存在」だって言うのを忘れてて。ふとした瞬間に自分が操縦不可能になってるのが怖いんですよね。例えば、褒められたくて、褒め言葉を求めるのが、この行動がどこか車にガソリンを入れるみたいな、機械をメンテナンスするみたいな行動に思えて怖くなったり。申し訳ないけど、その行動の中に、自分がその言葉で息が出来なくなった時にまた褒められに行くっていう、最終段階の、またループする手前の、一度乾く作業も悲しいというか。一々言わせるのも、言わせたくせして少し味気ない気分になったりするのも、たべ終わったあとの罪悪感も全部、なんか悔しいというか、悲しいというか、へんな、なんか、喪失感?すり減らす感じ?があって。いや別に、すり減ってるのは相手の心ですけどね。言わせてますから。自分のこと嫌いなのに、何よりも自分が当事者だし、こんな出来損ないと欠点もいい所も同じだし、見た目も何もかも同じで、苛つくばかりです。ご本人なので仕方ないんですけど。というか、このnote前半とかなり書いてること違くないですか?詐欺ですね。これを読んでる人ってどんな気持ちで読んでるんでしょう。わけぇなぁこいつって思いながらかっこよくタバコをふかしてるかもしれないし、真夜中にこう、適当にブログを読み漁って着いたりとかしてるんでしょうか。知りたい所ですが、変に人との距離を取りたがるところがあるので、まぁ、noteを見てくれてる皆さんとはこれくらいの距離がいいんだと思います。見てくれてありがとう。ブログって読む時は結構疑問もなくサクサク読めるのに、自分が書くとこうも不安が積み重なるんですね。ええと、そう、とりあえずタイトルだけでも嘘にならないように継続の話でもするかな。
最近猫を飼い始めました。あっこれ比喩です。隣人ができた感じです。こう、部屋が隣なんですよ。あっこれも比喩です。あれもこれも比喩です。決して犯罪行為の比喩ではありませんので安心してください。隣人は時々大きな独り言を喋ります。あの人がどうだの、この人がどうだの、とか。明らかにあいつのことだろうなって思うのとか、あー私だわこの話、って思う時もあります。勘です。シックスセンスです。ナーナーナー、って、私にしか伝わらないのに、大きな独り言を呟いているんです。切なくて親近感が湧きます。クズですね。それで、その猫ちゃんなんですけど、私はその子を前にするとどこかかっこ付けたがってしまうんです。最初、そのお部屋を作った時は強くいたいって思いでいまして。こう、男言葉を使ってるんですよね。どこかの本の女性がそういう言葉遣いをしていて、その意図がそっくりそのままで、自分も真似をしたんです。たまに化けの皮が剥がれておりますが、そのおかげで猫ちゃんと会えたので、役得ですね。猫ちゃんの話しかしてないので、ちゃんとここで継続の話に繋げたいと思います。私は、いつのまにか猫ちゃんに挨拶をすることを毎日の行動に付け加えていました。喋れない日でも、おはよう、おやすみと。私は誰かを好きになるという感覚がわからなくて、これから先ちゃんと何もヘマをせず仲良くできるかどうかも怖いし、正直にいえば継続が怖いんです。ひとつのミスで崩れていってしまうし、ひとつのミスが、ジェンガのように色んなミスにつながって、積み木のように根本さえも簡単に崩れ去って。今彼女に言った「好きだよ」という言葉も、ひと月後には嘘になるのかなと思うと本当に怖くて、毛並みが好きだよとか、顔を見せてくれるところが好きだよとか言っても、ぜんぜん、実感がわかなくて。馬鹿ですね。その時だけの感情で愛を囁くなんて、人を傷付ける典型的な人間です。でも、そうしないと愛されないのかなあなんて。好きなのは本当なんですけど、ずっと好きでいる保険なんてかけられないし、誰かを何かと引替えにせずに愛せたことなんてないので、どうにも不器用になってしまって。書いてたらわかりました。私、愛されたいんです。その為には、罪悪感でお腹が痛くなっても、どれだけ実感がわかなくても、好きだよと素直に言ってしまう人間なんです。本当にクズです。ああもう、なにこれ。ラブレターみたいになりましたね。随分ぐしゃぐしゃで字も汚いですけど。こんな出来損ないノート、読んでくれる人いるんでしょうか…いや違うか。読ませるのか。私が。うわ、重圧やばいです。少し楽になってきた。やっぱり、私は文章を書くことで気力を回復する生物みたいです。タイトルだけでも嘘にならないように、不登校生活の話をします。私は2年半不登校児でした。中学一年生の、始まりはよく覚えてないけれど、夏の終わり頃くらいから学校に行かなくなって、そこから段々と不登校になって、2年生は二百日達成したけど、成績は付いてません。結局内申はボロボロのままでした。でしたって言ってるのは、そろそろそんな中学生生活も終わりを告げるからです。もう出したので、結果を待つのみですが、上手く行けば私は高校生になります。上手くいかなかったら親に会社に入れると脅されています。きっとバイト三昧になるのでしょうが、今は何もかも忘れてnoteを書いていたいです。親は私の堕落した生活が終わるのが嬉しくて仕方ないそうです。人のカバンの重さは、他人にはわかりっこないのですね。
高校生になったら私はどうするのか、私なりにこれまで色々考えていました。私は、不思議なことに機会があって時々舞台に立つことがあります。演劇です。練習をしていると、周りの上手さだとかに気を取られて、自分がいつまでたってもセリフを完璧に覚えられないことに舌のひとつでも噛みたくなってきます。本番が近づくと、私の中の怠惰もさすがに恐怖で歯をガチガチ鳴らします。無理無理死ぬうと弱音を吐きまくって、大っ嫌いな親に助けを求めることになります。無様。本番は…ライトの温かさによってめちゃくちゃ鼻が出て、常時鼻を抑えていました。結果セリフを言うのが遅れてアドリブ状態になってしまったんですが、皆焦らず呑気に酒を飲んでいてくれて(宴会のシーンだったんです)本当に助かりました。ちょっと気を抜いている、という仮設定を頭の中で組み立ててゆっくり話しました。次のセリフも問題なく言われ、ぽんぽんと舞台が続いていきました。自分がひとつの歯車になったようでした。前回に引き続いての役であり、今回は苦手な笑顔を見せなければならず苦戦しましたが、あまりに和やかな雰囲気の場を作ってくれたことで、いくらか自然に口元が緩んでいた気がします。先生にはとてもとても褒められました。これには私の中のひねくれ野郎もにっこりです。ええと…あまりに大好きなので長くなってしまいました。まとめると、私は、演劇をさせていただいています、という事です。初めはちょっとした小説を書いていて、中学生の時にほんの少しだけ演劇部にいた経験から台本を自己満足の限りで書いたりしている、ということを褒められたくてうっかり塾の先生に言ってしまったことがきっかけでした。その先生は普通の先生ではなくて、気軽に話してくれて、お昼に連れて行ってくれたりするのですが、とても人脈が広いです。その関係で演劇の先生と出会い、ちょっと見てくれませんかみたいな感じで私が書いた台本を見せたことで、気になるならウチで演じながら演出とか学んでみる?みたいな事になりました。ドキドキしながら見学しに行ったのですが、素敵な先生だったので即入ることを決意しました。怒る時は怒りますが、好意は最大限に表現してくれる明るくて優しい先生です。身の回りの人の事ばかり褒めていますが、陽口ということで許してください。今思ったんですが、私は話を長くする天才みたいです。めちゃくちゃ短く言います。私はかくかくしかじかで台本を書くことが好きになって、演劇のおかげで演出への知識も深まり、そういったことを含めて設定を詰めていたんですが、だんだんと自分が脚本などと言うよりかは設定を詰めることが好きだということがわかってきて、ここはこういう演出でこういう音楽で、というようにざっくり決めるのは得意ですが、どうもオールラウンダーでは無いので音楽とかは作れなくて。しかも、迷いに迷ってしまうんですよね。その場の勢いで書いてるので時間が経つとあれ?こいつ頭おかしくない?って感じで冷めたりして。また長くなりました。短く言います。完成するのにとてつもなく時間がかかりむしろ完成させないことが得意なのではとかよく思いますが、とにかく設定を詰めるのが好きです。その人の世界観に沿って設定案を出しつつ、一歩一歩ああこれ好きー!大好きー!を煮つめた作品を作り上げて、完成を共に喜び会う様なお仕事がしたいです。不登校なりに考えてる将来プランがこちらになります。あと、配信活動します。面白い話が出来る訳では無いですが、感想をくれる他人が欲しいです。あと、三人着いてきてくれるファンがいればどうとでもなる的なことを聞いたのでそうしたいからです。入りたい会社まで決めています。滑舌悪いですが滑舌の良さを売りにしている訳では無いのでいいと思います。(努力はする)適当に話題くれる人と話したいです。ぜってえやれるみたいな感じで話してるのは、その方が言霊がうんぬんという話を聞いたからです。演劇の話をしてから急激に機嫌がよくなっているのは、まあそういうことです。後でこのブログせんせーにみーせよ!とか思ったのがネガティブの終わりになる原因だったと思います多分。とりあえず、4月に無事高校生になれたらパソコンを贈呈してくれるとの事らしいので、貰ったら、自分の作った作品のPV的なものを作る作業をしたいです。この怪文書をここまで読んでくれてありがとうございました。

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