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「善く生きる」と「幸せ」はカンケイないんじゃね(前編)

2本目のnoteにして早速哲学をぶち込んでしまいます。お許しください。
そして前編より後編のほうが面白くなる気がするのでフォローして待っていてください🙏

はじめに結論、言っちゃいます

さて、

「善く生きる」

この概念、皆さん聞いたことはありますよね、たぶん高校とかでちょっとやったはず。

そして、

「幸せ」

こやつについては誰しもが考えたことあるんじゃなかろうか。backnumber様ですら「しあわーせーとーはー」と歌っていらっしゃる。

そしてタイトルにも書いてしまいましたが
こいつら同じように哲学の議題に出されたりするけど多分カンケイないんじゃね?
とわたくしは考えました。

今回は、この2つについてちょっくら思考をめぐらせてみたいと思います。そしてこのことを人は「哲学する」と言います、かっちょえー。

「善く生きる」ってどゆこと?

こちらはかの有名なソクラテスが唱えた言葉ですが、弟子のプラトンが書いた『ソクラテスの弁明』という本においてソクラテスはこう話しておりました…

身体のことも金銭のことも、どのようにすれば魂をできるだけ優れたものにすることができるのかということ以上に、あるいは同じくらいにでも気遣ってはならない

賢い人はまわりくどい😇

つまり

魂をより優れたものにするという気遣いが最重要である
そしてそのために知の愛求(=哲学)をする、
これが「善く生きる」ということ

なのです。

なんとなくの意味はお分かりいただけただろうか。

そして魂を磨く方法ですが…
この言葉も聞いたことがあるのでは?

「満足した豚であるより、不満足なソクラテスである方がよい。」 J.S.ミル

豚さんをディスってるわけではありません。
ただ、与えられたものだけに満足して向上心がないよりも、自分に足りないものを常に考え続けている方がよいという考え方です。

あれ?似たような言葉を聞いたことが、、、

「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」
こころ / 夏目漱石

この一文、お兄ちゃんが大好きらしく
わたしも心に刺さっております…。

つ!ま!り!だ!

これから述べる解釈が正しいかは正直分かりません(すみません)
そして恐らくだけど哲学に正しい答えはありません(見当違いはあります)

だからわたしはわたしの解釈を恥ずかしげもなくネットに晒してしまいます、が

「善く生きる」こと、すなわち、常に自分の魂をより善いものにしようと向上心(とそれに伴う行い)を持つこと

ではないでしょうか、あくまでわたしの解釈。

じゃあ、幸せってなんぞや?

幸福(こうふく)
[名・形動]満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。また、そのさま。しあわせ。 出典:デジタル大辞泉

だァ!
曖昧な定義だこと!

ここでは
幸せ=満ち足りている
なんて書かれてる…

じゃあ、不満足なソクラテスは不幸なの?

そう、これが今回のテーマです!
後編ではこのテーマに切り込み隊長として突撃しちゃうぜ~~~~!

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