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教育学部生の就活は「逃げ道」か

教育実習を目前に控えた今、将来について考える時間が増えている。

少し前までは、就活に全振りしてインターンにちょこちょこ参加して、私は民間企業にする!って思っていた。
その気持ち自体は変わっていないのだけれど、親や周りの目が気になり始めて、やや迷子になりつつある。

私はこのまま企業に就職して、幸せになれるのだろうか?

私の両親は、二人とも教員になろうとしていたけど
母は免許のみ取得して教採は受けず、父親は単位不足で免許が取れず、民間に就職した。
そういう事情もあってか、両親はなんとなく私に「教員」になってほしいと、心の何処かで思っているように感じる。

とはいっても、二人とも私が決めたことに反対はしないし、「幸せになれればいいよ」「結婚して孫の顔見せてくれればいいから」と言う。

でも、私が就活の話をしたときに、明らかに顔が曇る。特に父。父は民間の厳しさを知っているから、余計にそう思うのかもしれない。

↑冒頭画像。先日、夕食時に就活について話していたときに、父親が書いた図。適当にやって、は比較しやすいように書いたもので、語弊があるけど。

「このままだとお前はここ(左上の大枠□)に向かっていく気がしてね」
と言われた。気がして、なんなのか。
そこまで言われなかったけど、一生バリバリ働いて、仕事人間になるんじゃないかと、娘の将来を案じていたのだと思う。

でも、民間だって、教員だって、しんどいものはしんどい。そこで幸せになれるかどうかは、自分次第だとは思う。

それに、仕事人間だって、その人が幸せならそれでいいと思う。とはいえ私は結婚はしたい。だから、父親の心配するような人生を歩むつもりはない。今のところは。

私は今、企業に就職する未来を考えた方がわくわくする。でもわくわくするのは、知らない世界への好奇心でしかないかもしれない。

大学で教育についてたくさん学んで、Twitterなどでは連日教員の過酷さを目にして、知れば知るほど自分の幸せはそこにはないように思える。でも、この考えは逃げ道でしかないようにも思える。

企業側からすれば、教育学部の学生の就活は「逃げ道」でしかないのだろうか?

私には私なりの「教員志望から就活に切り替えた理由」があるし、それは本心だし、きちんと説明できるけど、でも、それらはすべて薄っぺらくて、社会人にしてみれば鼻で笑われてしまうようなものなのではないかと、時々不安になる。

5月、就活を始めたての頃、OB訪問で話した社会人の方に一蹴された「就職にした理由」からは、もっと肉付けされた、濃いものにはなったと思う。

とはいえ、不安。

でも考えてみれば、その人がやりたいと思った理由に、濃いも薄いも他人が判断できることではないような気もする。

つまり、私が私と真っ直ぐに向き合って、捻り出した答えなら、
それは本心で、私の中では思いがぎゅっと凝縮された、濃いものに変わりない。

民間就職に「わくわくする理由」も
教員に「違うと感じる理由」も
私が「歩みたい道」も「なりたい姿」も
全部言語化して、自分の中で揺るぎないものにできればいいはずだ。

、、ここまで書いて、不安になるのはただただ自己分析が不足しているだけだという、就活の初歩の初歩の問題だったと気がついた。まだまだ未熟すぎる。笑

どんなに不利だと言われようと、それを言い訳にするつもりはない。
私は私なりの「幸せ」を掴みたい。

ひとまず卒業するために、まずは教育実習という私的最難関を突破するしかない。頑張ります。苦笑

全国の就活する教育学部生、共に頑張ろう、強く生きよう!

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