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冷たい雨が降っていて


寒い。寒い。お腹がすいた。
体が動かないよ。
力が抜けて歩けないから、ぼくはこうしてコンクリートに体を寄せてうずくまってる。
景色がぼんやりしてきた。
ハエが顔の周りをぶんぶん飛んで、勇気のある奴は耳に止まったり、もっと勇気のある奴はぼくのほっぺに五つの卵を産み付けた。
もう、寒いのか苦しいのかわからない。 


昨日、冷たい雨が降っていた。
おかあさんと兄ちゃんを一生懸命呼んでも、声は聞こえるのに姿が見えないんだ。
「ミャーッ!ミャーッ!」おかあさあん、兄ちゃあん、どこ?
ぼくは冷たい雨粒をよけながら一軒のお家の壁に体を寄せて泣いた。壁は新しい鉄と土の匂いがした。
寒いよ。「ミャァー」

カラカラカラ、と開いたお家の窓から女の人が顔を出してぼくを見た。
ぼくは走った。お腹が空いてのどが渇いて足はぶるぶる震えるけど、一生懸命駆けた。
なんだかよく見えない。目のぐじゅぐじゅが分厚い塊になって左の目をふさいでるんだ。
鼻からカマキリ色の粘っこいのが出て苦しいけど、女の人に向かって鳴いた。「ミャーッ」 

女の人は困ったようにぼくを見つめていたけど、ぼくを抱き上げると湿った布で両目をぬぐってくれた。
そうしてそおっと背中をさすってくれるから、ほんの少しだけ震えが止まってふーっと息を吐いた。
奥にいた男の人が僕を覗き込んで笑った。 それからしばらく、窓から雨の中に投げ出されたあったかい膝の上で、ぼくは揺れる葉っぱと土の上で散る雨粒を見ていた。
おかあさんと兄ちゃんの声はもう聞こえない。

「情が移っちゃうから」
ぼくはまた雨水の溜まった土の上に降ろされてしまった。
お家に入れて。寒いのやだよ。
震える足を踏ん張って懸命に訴えたけど、
「新築だもんなあ」「それにあなたは猫好きじゃないでしょう?」と二人は窓を閉めてしまった。
遠くなった声が「母さん猫と兄弟に早く迎えに来てもらいな・・・」と言っていた。


寒い。寒い。寒い。
昨日の雨は止んだけれど、ぼくは何度も泣いたけれど、おかあさんも兄ちゃんもいない。                            ハエももういない。                         もう、眠ろう。  

 

・・・・・・。

 
お腹の下がぽよぽよとあったかくて目が覚めた。
ごおおという音と熱い風が体中の毛を揺さぶってる。
「がんばれ、がんばれ」「熱すぎるかな」
ああ、聞いたことのある声だ。男の人と女の人の声。
ぼくは全身の力を振り絞って震える声で叫んだ。「ミャアアア!」


・・・ああ。夢・・・。

ぼくは銀色のかごの中にいる。
記憶の中に、べちゃべちゃなウンチが流れ出た感触や、 手袋をした丸い目のおじさんに首根っこをつままれてだらんと垂れ下がるしかなかった両手足、
そしてやっぱりかごに入った大きな大人の猫が体ををまん丸く膨らませて フーッと唸る声が、 ぼんやりと浮かんでは消えた。
ぼくは何回も手や足に銀の針を刺されて、今、とても眠い。


・・・・・・。

ぼくはぱちりと目を開けた。
白い壁とスースーする匂い。 隣には大きな大人の猫。手に銀の針が刺さってる。目の前にごはんとお水があった。たくさん、あった。


「すごい。見違えるほど元気ですね」
「ええ、驚異的な回復力ですよ。正直、駄目かもしれないと思っていました」丸い目のおじさんが笑っていた。


夢じゃなかった。
あの日、冷たい雨の次の日。コンクリートの側で立つこともハエを払う力もなくなって眠ってしまおうとしてた時、がちゃんと自転車の止まる音と男の人の声がしたんだ。
「お隣の塀の所に昨日の猫ちゃんがいる。死にそうだ」

玄関の扉の開く音。パタパタという足音。女の人の「ハエがたかってる。まだ息してる」という声。

「ああ、体が冷たすぎる。もう駄目かもしれないけどとにかく温めよう」
「新聞紙、タオル!ドライヤー!」
「がんばれ、がんばれ」
「今湯たんぽ作る」
「がんばれえ、がんばれよお」
「鳴いた!病院連れて行こう!」


回虫と脱水症状と飢餓でもう助からないかもしれないっておじさん先生が言っていたらしい。 
血を取られたり注射や点滴されたり、でもご飯をいっぱい食べてあったかいかごの中で眠ったらなんだかむくむく力が湧いてきた。
そして、3日で退院することが決まった。

迎えに来た男の人と女の人に難しい話をしていたおじさん先生が最後にぼくに言った。
「よかったなぁ、お前」

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7年前、家にやってきた黒い子猫は5.3kgの立派な大人になりました。当時、この子は生後1か月ほどでした。必死に母猫を呼びましたが、母猫の鳴き声がだんだん遠くなりついには聞こえなくなったあの瞬間が、野生の決別だったのでしょうか。秋の冷たい雨が続いたあの日、まさに命がけで私たちを選んでくれたんだと思います。

「黒猫を見たら三歩下がる」を実践(!)していた夫もすっかり猫好きになり、今では3匹の猫がいます。

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