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第七十八段〜わたしの嫌いなもの〜

なぜ、こんなに毒づいたものを綴ろうと考えたのか、自分でもわからない。けど、嫌いなものを綴ることは、自分を振り返ることとほぼ同義なのではと感じ、ここで実験する。

わたしが嫌いなもの、それは「体育」だ。今や体育なんてすることもないが、今から体育をすると言われたらめちゃくちゃ嫌な気分になるだろうな。では、体育の何が嫌なのか。それは運動ができる人が偉いという絶対的なヒエラルキーが形成されることである。わたしは運動神経皆無の人間なので、ヒエラルキー的には常に下。すなわち奴隷のポジションだ。なぜ、運動ができるだけで、あれほど立場が上位になるのか。しかも、運動出来る人は私のような何の役にも立てない人間に冷たく当たる。それがもう、めちゃくちゃ嫌だ。

ヒエラルキーと立場と権力。それを振りかざすことしかできない人間が嫌いなのだ。奴隷同士でやる運動は楽しいのだが。あれは、支配と無縁のパラダイスだったのかもしれない。ということで、第一弾は体育について思い出してみた。これを読んでくれた皆さまに嫌な気持ちを起こさせたのなら申し訳なく思うが、私はデトックスされた気分である。


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