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生まれ変わりか、置き土産か

つい先日、来年の春に母になることがわかった。
現在10週目。食べづわりのピークアウトを感じつつも、空腹でムカムカ、食べてムカムカとずーっと不快。
他には、

「酸っぱい食べ物最高!」
「マックのポテトが食べたくなる」
「炭酸水か爽健美茶しか受け付けない」
「夫の匂いが無理」etc…

我ながらベタな妊娠初期を過ごしている。

今回は、妊娠がわかったタイミングを書き残そうと思う。
※初回なのに人が亡くなるので注意・・・

その前に、前置きを。

私は学生時代を都会で過ごし、Uターンで地元に帰り社会人になった。
だんだんと実家住まいで働くゆるさに将来が不安になり、自立したい!と一念発起で近隣県へ飛び出したのが約5年前。

新天地は都会と田舎のバランスが最高で友達もでき「終の住処にするぜ!」と楽しく暮らしてた。

そんなある日、
「ばあちゃんがガンになったから一度帰ってきてくれ」
というSOSが家族から入った。

ばあちゃんは母方の祖母で、早くに夫を亡くし何十年も一人暮らしをしていた。
(一人娘の母も数年前に他界)

畑やウォーキングをしたり、高い栄養ドリンクやサプリメントを飲んだりと誰より健康を気遣っていた人なので青天の霹靂だった。

そのまま職場に相談したところ、地元に近い支店で同じ業務のまま働かせてもらえることになり帰郷できた。(これは今でもありがたい、大感謝!)

幸いにも、ばあちゃんのガンは標準治療で早々に寛解。
めでたしめでたしで、そのままばあちゃんと暮らすことになった。
そして新しい職場で意気投合した同僚と始めた婚活で夫と出会う。

夫は一度も実家を出たことがない、いわゆる子供部屋おじさんで保守的だが家族をとても大事にしている。自立心旺盛な私とは真逆の性格だが、結婚まで順調に進んだ。

そして結婚を機に元気になったばあちゃんを一人残し、隣町に新居を構えた。
何もかも順調で幸せな新婚生活のスタート。

新居に移って3ヶ月ほど経ったある朝、
「足に力が入らないから病院に連れて行ってほしい」
そんな電話がばあちゃんから来た。
その前から具合が悪いなど情報はなく、またもや青天の霹靂。

急いで向かうと居間で座ったまま動けなくなっているばあちゃんがいた。
慌てて近くの病院へ向かうと大学病院を即日紹介され精密検査。

そしてついた診断がまたもやガンだった。
寛解したのとは別の進行性のガンで、素人目にもわかる大きな腫瘍だった。

ばあちゃんはそのまま家に帰ることなく入院生活に突入。私は看病生活が突然始まった。


「急になんでこんなことに、、、」
「もっと早く体調のこと言ってくれたらよかったのに」
などと私は勝手にばあちゃんに対して憤ったが、早くに夫を亡くし、一人娘である母も先に他界していた境遇でばあちゃんは気軽に人を頼れなかったのだ。体の不調を我慢し不安に思いながらも、家族に迷惑をかけまいと過ごしていたのかもしれない。
私は自分の真新しい生活しか見れていなかったことを反省した。

大学病院での標準治療を終えてばあちゃんは、地元の病院に転院した。
2日に一回、私は仕事を早めに上がらせてもらい面会や洗濯物の交換、差し入れに行った。
もうこの頃には痩せ細り寝たきになって言葉も少なくなっていた。

入院当初は寛解の実績を持つばあちゃんだから、また復活するだろうと楽観的に捉えていたが、数ヶ月で人をこんなに変化させるガンの恐ろしさを初めて感じた。(母は突然他界したので闘病期間はなし)

転院して間もなく、ばあちゃんの余命宣告を受けた。
本人に余命は伝えないこと、延命治療はしないことを決めた。
これが1番心がきつかったかもしれない。

入院当初、ばあちゃんの家の周りではコガネ色の麦がサラサラと揺れていた。
その麦が刈り取られ、稲に植え変わって青い穂をつけた頃にばあちゃんは静かに亡くなった。

亡くなる前日に、珍しく夫もお見舞いについてきた。
15分しかない限られた面会時間。私たち夫婦は話すことがなくて時間を持て余し、あと5分を残して「また来るね」と言ってその日は病院を後にした。

次の日のお昼、仕事中に病院から急変の連絡を受けて慌てて向かうと、ばあちゃんは息を引き取った後だった。
「一人で逝かせてしまった」
「昨日は面会時間いっぱい居ればよかった」
「よく頑張ったね、お疲れ様」
そんな後悔と労いの気持ちで、眠っているようなばあちゃんのおでこを撫でた。まだ温かくて泣いた。

今でも最後の面会の時に私たち夫婦を見るばあちゃんの満足そうな顔は記憶に残っている。

ばあちゃんを看取った日の晩「安心しちゃったんだね。」と夫は言った。


ばあちゃんを送り出して数日後。
生理が遅れていることに気がついた。
でも検査薬の結果は”陰性”

少しがっかりしたが「まさかね、そんな簡単に子供はできないさ」と疲れとストレスで遅れてるんだと思った。

それからさらに1週間。来ない。いくら待てども来ない。気配がない。
「生理 遅れる 病気」
「生理 来ない ガン」
「妊娠 陰性 実は病気」
など言葉を変え検索しては、一人で不安になっていった。

「ばあちゃんのこともあったし、病院に行った方がいいかも?でもその前にあと1個検査薬あるし試しとくか〜」と受診前に念のためという意味で、夫がお風呂に入っている間に再度検査してみた。

結果はあっさりと”陽性”
水分を吸い上げながら今度は素早くはっきりと線が浮かんできた。

初回は単純に説明書をしっかり読まずフライング検査して結果がうまく出なかっただけ。妊活初心者すぎた。

お風呂から上がった夫にニヤニヤしながら検査薬を見せて報告した。

が、なんか複雑そうな顔の夫。
「え?本心はまだ子供は要らなかった?」と不安になり
「どうしたの?」と聞いたら

「検査するなら言って欲しかった。
二人で一緒にワクワクしながら確認したかった〜」と言われた。

それはほんとゴメン!

数日後、病院で妊娠を確認してもらい、何回かの通院後に母子手帳を受け取った。

予定日は来年の春。
その頃には、私たちは空き家になったばあちゃんの家に移り住んでいる予定だ。

タイミング的には、家に帰りたがっていたばあちゃんの生まれ変わりか、はたまた寂しくないようにと初孫で可愛がってくれた私への置き土産なのか・・・

どちらにしろ、あの時に地元に帰ることにならなければ、婚活も始めてないし、夫とは出会ってなければ結婚もしていない。この子もお腹にいなかった。
今、ばあちゃんが結んでくれた縁でこの子がお腹にいるのは間違いない。

人生でたまに結ばれる不思議なご縁に驚かされる。
(ばあちゃんとは誕生日が一緒。これも不思議。)

まだ平らなお腹を撫でながら、この子が大きくなったらこの話はしようと思った。



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