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流浪の月/凪良ゆう

オンライン読書会第2回目を終えた。

2回目のテーマは各自読みたい本を読んでその本の紹介、印象に残った話、などざっくばらんに他の参加者に紹介する会となった。

知らない本は世の中沢山溢れていて、読書欲を高めてくれると同時に

参加者の人柄に触れられる素敵な会だ。

あらすじ(ネタバレあります)

家内更紗(かないさらさ)という女性と佐伯文(さえきふみ)という2人の関係の「真実」と世間で伝えられている「事実」との物語。

更紗はちょっと周りから変わってると言われつつも大好きな両親のもとで9歳まで幸せに暮らしいていた。

重たいものを嫌い自由に生きるお母さんとそんな奥さんを愛するお父さん。

常識に縛られない自由な家庭で育った更紗。
ある事情で両親を失った更紗は母方の伯母の家に引き取られる。

今までの両親との生活とはまるで違う。
常識で押し付けられた更紗にとっては牢獄のような生活になった。

放課後、そんな家に帰りたくない小学生の更紗は、公園で19歳の男子大学生、文に出会い、文の家に居着くことになる。

文は、更紗が放課後、友達と遊んでいた公園のベンチから小学生たちをじっと見ている「ロリコン」と噂されている人だった。

そんな噂とはまるで違い、文は危ない人ではなく、更紗にとって文との生活は心から安らげる場であった。
更紗にとって両親との生活を失ってから初めての幸せな平和な時間だった。

しかし当然のことながら、更紗の捜索願いが出され誘拐事件として警察が動き出す。

そして動物園という多くの人が集まる場で文は幼女誘拐事件の犯人として逮捕され2人は引き離されてしまう。その様子を周りの人が携帯で撮影し、ニュースやネットで話題となる。

10数年後2人は再開し物語は加速してく。
どんなに月日を経てもネットで名前を検索すればすぐに事件の事が見れてしまう世の中。見知らぬ人が発信し続ける噂や常識、事実と真実、人の善意、デジタルタトゥーがどんなに月日を経ても2人につきまとう。

本を手に取ったきっかけ

私は本を買うと言ったら、なるべくネットでは買わず、本屋さんや古本屋さんを利用する。ネットだったらクリックひとつで買えるけれど、私は本屋さんや図書館、古本屋さんで探して探して本に出会えた時の瞬間が宝物を見つけた時の様な気分になれて大好きなのでよほど急いで手に入れなきゃいけない時以外はそうやってじっくりかけて本に出会って買う。

この本に出会った日も私はお気に入りの湘南T-SITEの蔦屋書店をうろうろしていた。

私は天邪鬼で「本屋大賞受賞!」など書かれていると普段、買うのを躊躇してしまう。今回もドリアン助川さんの「新宿の猫」を探しつつ何かピンと惹かれる本がないか眺めていた。

気になる本は無数にある。うろうろ。

本屋大賞受賞!

大きく書かれていたコーナー。普段ならさらっと通り過ぎる。この日も1度は通り過ぎた。でも2回目に通った時本の帯に惹かれてしまった。

「せっかくの善意を、私は捨てていく。
そんなものでは、私はかけらも救われない」
「愛ではない」
「けれどそばにいたい」

ここ1年間心に残っている悩みに何かヒントをくれる気がして。

本を手に取りレジへ進んだ。

私と○○

「文とはただ一緒にいたいだけだ。そういう気持ちにつけられる名前が見つからない。人と人とがただ一緒にいることにすら、目に見えないルールのようなものがあって、私と文とは出会ったときから、そこからはじき出されている。いつも居場所がない気分というのはひどく疲れる」(p248一部抜粋)
「私は文が好きだ。」
「それは恋とか愛とか、そういう名前を付けられる場所にはない。どうしてもなにかに喩えるならば、聖域、という言葉が一番近い。(p130一部抜粋)
ひとりのほうがずっと楽に生きられる。それでも、やっぱりひとりは怖い。神様はどうしてわたしたちをこんなふうに作ったんだろう。(p225一部抜粋)

私は性別とか歳とか関係なく人と接したい。もちろんリスペクトは大事に。

枠を作れば年上の友達、年下の友達、男友達も女友達とか私の周りには仲良くしてくれる色んな人がいる。でもみんな一人一人私の中では存在が違う、落ち着く存在、馬鹿出来る存在、悩んだときに相談する存在とか、誰1人代わりはいない。だから失うと心にぽつぽつ穴が開く。

開いた穴は塞がらない。小さくなったりするけど代わりはいないからいつまでたっても塞がらない。でも塞がらなくてもいいかなと思っている。その人と過ごした時間は大切な思い出だから。ぽっかり開いてた方が思い出せる。あの頃あの人とこんなことしたなとか。こんなこと教えてもらったなとか。

でも失うってしんどいことだ。

だから1人が楽とか言ってみる。

ほんとは1番寂しがりのくせに。

失うのが怖いからほどほどに関わる。

でもそんなんじゃ心は満たされない。

そんなことばっかりしてるから

自分を見失って私は私の気持ちにすら鈍感になる。

そして私は去年、20歳、歳上の大切な存在を失った。自分のせいで。

自分の心にポツポツ開いた穴の寂しさを埋めるようにその人に甘えた結果、相手の感情を傷つけ、失った。

失ったと言っても相手は生きてる。私にとっては両親よりも落ち着く何でも話せる人だった。仕事の事や好きな人の事、ボルダリングの話や他愛もない天気の話、どうでもいい冗談。自分と意見が違ってもただ話を聞いてくれた。意見が違っても認めてくれて、認めた上で自分の意見を話してくれた。

でもお互いの存在意味みたいなものがすれ違った。

私にとっては親のような存在だった。恋愛感情ではなく人として好きだった。でも向こうからしたら私は子供のような存在ではなかった。違った。

お互い「一緒にいるのが楽しい」「一緒にいたい」は同じなのに一緒にいたいの意味がすれ違った。

20も年上の男の人とよく一緒に遊べるね。よくそう言われた。

私にはその感覚はなかった。

小さい頃から男友達と遊べば付き合ってるの?と聞かれ、

同年代の子と遊ばず、ママさんの輪に入っていると不思議な目で見られた。

めんどくさい。そう思っていた。

年が離れていたら遊んじゃいけないのか。

性別が違ったらみんな付き合うのか?

私の中で恋愛としての好きと人として好きは明らかな心の動きが違くておおきな違いがあるのだけど、なかなか理解されないことが多い。

だからこそ時に相手を傷つける。

でも最近、遠距離恋愛をしている彼氏ができて気が付いた。

彼は離れていても心地よさや安心感を与えてくれ、自分に戻してくれる。

更紗の言う「聖域」のような不思議な存在だ。

でもだからこそ、付き合うとか彼氏とかレッテルを貼る事で失う怖さみたいなのも生まれている。貼らなければ、ただただ心地よい人として一緒にいることが出来たかもしれないとか。

でもきっと今まではそうやって誰ともレッテルを貼らない事で人と深く関わる事から逃げていたのかもしれないと。

色の鮮やかさ

グダグダと自分の事を書いてしまった。自分の今の心のもやもやに光を指してくれるような言葉をこの本から沢山プレゼントしてもらった。

そしてもう1つこの本の好きなところが私はある。

ストーリー序盤の更紗が両親と暮らす家の描写だ。

置いてある家具や飲み物の色の表現がとてもきれいで読んでいてとっても綺麗な世界が目に浮かび幸せな気持ちでいっぱいになった。

また人の目が気になりだした時この本を読みたいな。

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