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20220327_春と思考の散歩

韓国海苔オリーブオイル味が止まらない 飲める


近所に韓国スーパー?みたいなのができたから韓国海苔爆買いして食べてる。癖になりすぎる。

朝から犬の散歩、今日は雲は多いけど気温が温くて気持ちいい。時折吹く風もまたよろし。朝8:30ごろ。この時間、この気温、この人通りの少なさ、いろいろベストなコンディションだ。散歩中は、横を歩く犬を気にしつつただ歩く、歩くだけだから頭の休憩にちょうどいい。特に休日の散歩は、時間に追われることもないからのんびり歩くだけ。周りのいつもの風景、いつも大体同じコース、近所だから目新しさはないけれどいつも散歩のたびに何かトピックないかなあと、いつもの道の少しの変化を見つける、ちょっとばかしの旅をする。

ぼけっと歩いていると犬がうんちをした。わたしがうんち袋を取り出し、しゃがんでうんちをとっていると、向こうから中年の男女、おそらく夫婦が歩いてくる気配がした。うんちをとってる間は気配しかわからないけど、2人横並びで会話をしている。わたしはうんちを取り終えて、立ち上がり無意識にそちらに目をむけると、その夫婦の横並びの距離が、若干数センチ、離れたような気がした。旦那さんの左手と奥さんの右手が、触れるか触れないか、近いけれど少し離れた、そんな様子を見せた。そのまますれ違い、その夫婦は道を曲がって見えなくなった。もしかしたら、わたしがうんちとってる間まで、手をつないでいたんじゃないだろうか。気配でもわかった、お互い信頼しあって仲が良い様子は。「そんなお気遣いなさらず〜〜〜〜〜」と心の中で思ったが、ちょっとしたそんな恥じらいも、なんか愛おしい気分になった。ほくほくしながら、散歩を続ける。

散歩中は道端の草花、雑草でも植木でも、見るようにしている。見るようにしているというか、ただ歩いてるだけだから自然と目がいくよね。先週寒の戻りがあったけど、3月に入って一気に春らしくなった。今まで焦げ茶色、カサカサするような色の景色に、少しずつ色が増えていく。桜ももう開花宣言をした。上を見上げれば桜の木から薄いピンク色、他の木々たちも濃い鮮やかなピンク、下をみれば道の雑草たちも黄色・白・青色があちこち。「やあ、今日はすごしやすいねえ」「今日もかわいいねえ」と心の中で挨拶する。たまに、声にでちゃう。

「オオイヌノフグリ」という花がある。小粒の青い花を咲かせる雑草だ。調べたらヨーロッパ由来の草らしい。確かにヨーロピアンなかんじするなあ。へぇ〜。今調べたソースは、前に買ったポケット図鑑。「ひと目で見分ける580種 散歩で出会う花 ポケット図鑑」を家の本棚から取り出して調べてみた。やっとこの本、まともに使ったわ〜。実はこの本は、先日2月末に急遽帰省したとき、帰りの飛行機を待つ空港内の本屋で衝動買いしたやつだった。この時なんで買ったかはあまりわからない、暇になりそうだから買ったんだろうけど、飛行機の中で本を読むと酔いがちなのに、その本を手に取った瞬間は忘れていた。買った後で我に帰って思い出した。結局買ってパラパラみてほとんど読んでなかったから、今ちゃんと使えてよかったと思ってる。私はいつもこういう本の買い方をしてしまう。でも、本は時間を置いて「そういえばあれ読もうかな」があるから、自分でも本の衝動買いは正当化してしまってる。「本を買う時=本を読みたい時、とは限らない」と思っている。

また脱線したな。とにかく春の息吹を感じる散歩道に、オオヤマノフグリもしっかりとおはします。名前がいかつい割にかわいいなと子供の頃から思っていたから名前は覚えていた。毎年会えて、うれしいよ。ありがとう。そんなこんなでまだまだ散歩は続く。

散歩中、周りの景色を見ながら頭の中を泳がせることもあれば、全然関係ないことを思い浮かべることもある。昨日、改めて友人Mさんの文章をちゃんと読み返してみた。やっぱり、人の文章、散文なのか日記なのかわからないその文章は、読む時空間を超えて、いろんな発見をもたらしてくれる、ということを改めて気づいた。前にword2〜3ページって書いたけど、ちゃんとみたら4.5枚くらいあった笑 長い笑

どんなに急いでいても、走らない。走ることはくだらないと、半ば本気で信じている。扉が閉まると同時に、電車に乗りこんだ。うむ。出だしは、なかなかよい。

序盤にこんな文章がでてくるけど、わたしはよみはじめからこの文章がとても気に入っている。なんで気に入っているか、説明しようとしたらたぶんまたこれすごいまとまった記事になりそうだけど今そこまで書く気分ではないから書かない。こんな調子の文章がずっと続くのだ。その後も面白いんだけど、全貌みせるのはなんか違う気がするのでやめておく。ひとまず感じたのは、特に今書いてて思ったけど、わたし少なからずとも影響めちゃ受けてるなということだ。散歩中も、このテキストのことをぼや〜っと考えていた。

ちなみに、わたしがそのテキストを読んで、解説を試みた文章の冒頭はこんな感じだった。

人によって、書く文章の文体は微妙に異なってくる。例えば2人の人物が、それぞれ書く「内容」が同じだとしても、それぞれの文体、言い換えれば「形式」を全く同じに書くことは困難だろう。ましてや、それらを比べていったいこれらが「どう」違うのかを説明するのは困難であるし、問われたところで私たちは言葉に窮してしまう。しかし、これらの違い、いわばニュアンスの違いを、少しずつ解きほぐして行く試みは、その人の思想・人生・その人自身を映し出してくれるであろうし、また同時に、その人のコミュニケーションの様相もうかがうことが出来る。ちなみに、その人が書いた文章、いわば表現方法が、なぜ書き手の思想等を映し出すのかという問いは、ひとまずここでは棚上げしてしまおう。ひょっとしたら、この前提で話して行くことで、この問いも<解消>されるかもしれない。

なにいっちゃってんの笑笑 という感じだが、これ書いてる時の自分は超アゲアゲで書いてたのを覚えている。なんでアゲアゲだったのかと言われると「なんでだろう・・」だけど、とにかく書くことが楽しかった、それしかなかったとおもう。

ちなみに、今このnote書いてるのもだいぶ楽しい。忘れてたよこの感覚。スマホでさっと書くのもいいけど、キーボードでバチバチ書くの気持ち良すぎる。気持ちいいことしたいよね、人生。

あと昨日、千葉雅也さん著書「現代思想入門」を買ってきたのでそれも読もうかな。これを買ったのも突発的、Twitterで紹介されてたから「あ、これ買おう」と決めてそのまま本屋へ流れるという感じ。これもまた、積読になっちゃうかもしれないけど笑

うまかっちゃん食べよう。大量に家にあるから消費しないと。今日はここまで〜。

2022/03/27 10:13

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