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20220408_母と八百万の神

ちびまる子ちゃんよりもコジコジ派


なぜってそれはコジコジが可愛くて真理しか言ってないからさ。

少女漫画は子供の頃読んでいたけど、いわゆる学園もの(小学校・中学校もの)、ファンタジー・異世界もの、キャラもの、色々あるけど傾向でいうとファンタジーやキャラものを好みがちだった。特にキャラもの。ファンタジーものだとしても、ゆるキャラみたいなやつ(ぬいぐるみとして売り出されるやつ)が出てくる方が好きだった。あとは少年漫画系。

このころから学園もの、とくに「人間関係」「友情」のような、自分がリアルに生きてる世界に近い世界観のものはどちらかというと避けがちだった。それよりは自分の生活ではまずあり得ないこと、動物や生き物が人と言葉でコミュニケーションするとか(セーラームーンのルナ&アルテミスとかカードキャプターさくらのケロちゃんとか)、手品と称してまるっきり変身しちゃうやつ(セイントテール)とか、そういうのに憧れていた。ちなみに、マーマレードボーイ、こどものおもちゃ、ご近所物語、NANAは未だに読んだことがない。

コジコジは色んな姿形の、それぞれの担当みたいな個性があって、八百万の神的な世界観が好き。やかんくんとか、もう謎すぎるんだよね。人間界と離れた世界。(でも人間界とつながってる)色んな姿形の精霊・神様、あんな神ありゃこんな神あり。楽しい。


これは母親の影響も少なからずあると思う。どんな文脈かは忘れたけど、いつだったか母親と宗教の話題になった時。キリスト教、仏教、イスラム教、色んな宗教、いろんな神様がいて、それぞれ「この神が本当の神だ」と信者たちが信じるけど、母は特にどれか特定の教えに信仰はなかった。


「お母さんは無宗教!どの神様が1番なんてないから!」

「八百万の神様ってあるでしょ?お母さんはそれが好き。『あっちにも神様』『こっちにも神様』ってなんか楽しくない??笑 なんか、色んな神様に見守られてる気がするから好き。だから、絶対唯一の神様なんて、いないんだよ。みんな神様、色んな神様がいろんなとこにばあ〜っているのよ。」


言い方はこの通りじゃないとは思うけど、こんなようなことを言っていて、わたしもそれを聞いてなんかちょっと楽しくなったのを覚えている。いろんなものがある、それぞれ。母は昔から、何か主張を子どもに押し付けたり、こうある「べき」論を言うことがほとんどなかった。父もそうだった。


書いていて思い出したのは、父方の祖母の家に一家全員住んで祖母の家で暮らしていた時のこと。わたしが小学生の頃だった。祖母はこの頃から、某新興宗教に入れ込み始めていた。教祖さまの本が本棚に並べられ、しばらくすると教祖さまの小さな祭壇らしきものが設置された。(ちなみに、祭壇の大きさは小学校のころから15年ほど経った頃には床の間全体まで規模を広げていた。)その教団から毎月定期購読で送られてくる冊子があり、その冊子の中に小学生でもわかりやすく教えを伝えるためなのか、一部オリジナル漫画が掲載されていた。わたしは家で暇でぼ〜っとしてたとき、その冊子が目に入りパラパラめくった。そこにその漫画があったので自然と読んでいた。その時読んだ内容は「脳死と診断された身体の臓器摘出は悪である」という内容だった。その漫画の主張はこうだ。

通常の死は、死によって肉体と魂が正常に切り離され、天上界(理想の天国?)に魂だけ導かれる。だが脳死は人の死ではなく、まだ魂と身体が繋がっている状態であり、身体の一部を摘出すると魂も一緒に「欠けた」状態となり不完全な魂となる。そうなると天上界へはいけなくなり成仏できない。彷徨い続ける魂となってしまう…的なことを書いていた。わたしはこれを読んで当時子供心にも恐怖を感じた。生きたまま心臓取られちゃうの?そのあとこの人はどうなっちゃうの?という恐怖で居ても立っても居られなかった。

その時、祖母はいなかったのか覚えてないけど、この時家に母がいたので母にこの不安をぶつけた。「脳死って死んでないんだって。心臓取っちゃったら、その人天国へ行けなくなっちゃうんだって。あれに書いてあった。」そんなようなことを言ったと思う。

それを聞いた母は、多分だけど、少し寂しそうな、悲しそうな顔を一瞬だけした。でも次の瞬間からいつもの母の調子でわたしをこう諭した。


「そうやって言う人もいるけど、別のところでは臓器提供で人が助かってることもあるんだよ。色んな意見があって、それぞれなんだよ。」


これをきいた当時のわたしは、そうなんだ、そうか、と動揺が少し落ち着いた。助かった人にとっていいこと、そしたらこっちの話は間違い?でもそれぞれ、意見がある、価値観がある。この出来事があってから、わたしは何か強い主張に出くわしたとしても、その時気持ちが揺らいでもいいから、その主張をそのまま鵜呑みにしないで違う立場や違う角度で物事を見直すことが大切なんだと知ったと思う。

母が八百万の神の話をしたのはこの時よりだいぶ後、もっとわたしが大学生くらいになったくらいに話していた。でもわたしが小学生のこの時の母の心境としては、思うところはあったのだろう。でも、無碍に「そんな雑誌読むのやめなさい」とか言うのではなく、優しく諭してくれた。

あの時、母がああやって言ってくれて本当に良かったと心から思う。


コジコジからこんなところまできてしまった。まぁいつものこと〜そういう流れ〜

2022/04/08   9:25

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