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20220321_ウインカーの発見

まずい、バナーがまだなっとう大根おろしだ


朝から曇り空でどうやらまた春は後退らしい。今寒い。三寒四温。明日は雨らしい。

相変わらずbgmはユーミンのターンが続いてる。今日は祝日だけど仕事出になってしまった。なので今電車の中で書いている。午前中でおわりますように。おわりますように。

昨日、思考がいたちごっこですぐ忘れるの話をした後早速私は「とりあえず思いついたらiPhoneにメモ!」を実践することにした。iPhoneがポッケにあるうちは、とにかく些細なことでもキーワードをメモる!ということにした。ということで昨日メモったキーワードは「子供の頃のウインカーのひみつ発見」です。なんだこれは。いやわかる、本人であるわたしは思いついた内容はわかるんだけど、キーワードだけ抽出されるとなんかジワるな。


大人になったらそりゃ当たり前だろというかんじだが、車のウインカーは左に曲がりたい時には左のライトがチカチカ点滅して、右にライトが点滅すれば右に曲がる。あと、車が減速する時はブレーキランプが点くから、両側の赤いランプが点けばその車は減速することになる。

私は子どもの頃車のライト、ウインカーランプの仕組みがわからなかった。というか、大人に「のんちゃん、車が右に曲がる時は右側のライトが点くからね。気をつけてね」なんて丁寧に教えてくれる機会ないよね??もしかしたら小学校の時の交通安全講習的なやつで教えてもらってたのか?いや、でも少なくとも私の記憶には1mmもない。なので、当時のわたしは「車ってなんであのランプが光るんだろう」と素朴な疑問だった。あの時はこっち側のランプ、次はこっち側、右と左のランプは見るたびに違う方が光る。同じ時もある。なんでだ。ぼんやり疑問に思いながら日々をぼんやり過ごしてた。

ある時わたしは気づいた。私は今までずっと「車」そのものしか見てなかったけど、そうじゃないんじゃないかと。車だけみても、あのランプの光のしくみはわからない。そこに車の「動き」、もっと言うと車が走る「道」とセットで見る。その途端、左に動く時にはその直後左のランプが、逆の時は右が、光ることにわたしは自分で気づけたのだ。何をきっかけにしてそれに気づいたのかは残念ながら覚えてないけれど、「そ、そ、そういうことだったのかーーーーーー!!!」と雷を打たれたような衝撃だったことは覚えている。ヘレンケラーの「water」くらいかもしれない。それは言い過ぎかもしれない。だけど、「知」ってこうやって生まれるんだろうと振り返った今思う。自分なりの「問い」を立てて、その対象をいろんな角度から「観察」して、「仕組み」「構造」に自分で<気づく>。この体験は私にとって凄く嬉しかったのを覚えている。たかがウインカーとあなどるなかれ、問題はそこじゃなくて先に言った「問い」→「観察」→「気づき」のプロセスで、「気づき」に触れた時にめちゃめちゃ興奮したこと、このプロセスめっちゃ楽しいじゃんと思ったことが重要なのだ。車を運転する人に質問して答えがすぐ分かったら、この感動は味わえない。てか、すぐ教えてもらえるなんて、つまらない。今は検索すればある程度の「答え」が提示されるし、もう今の時代はそれが共通認識。だから、情報を鵜呑みにして人が動くような世界になってしまったのか。

わたしは多分死ぬまでこのプロセスをやり続けるんだろうし、やり続けたい。たまに思考停止になっちゃう時も、ある。でも、やり続ける。この時はウインカーランプだったけど、他にもそんな事象はごろごろ転がってると思う。

2022/03/21 8:31

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