のんちゃんが二十歳でADHDの診断を「つける」までの話。
うすうす分かっていた。
現代を生きるADHDの人、特に、発達障害の中でADHDのみを持っている人はそうだと思う。想定外の診断だった人は少ないのではないか。
高校生の頃、母が「お前は病気だ」と言ってきた。私は、自分の成長を完全に期待してない母の言葉に、とても傷ついた。私だってやればできる!少し周りの人よりもやる気がないだけなのだ、と。
これまた高校生の頃、これまた母親が、ADHD児の子育てに関する本を読んでいた。私はそこで初めて母親が、冗談ではなく本気で病人だと思っていると感じた。そしてそこで初めて「ADHD」という言葉を知った。
私はよく道端で転ぶ。ぶつかって、引っかかって、けがをする。学校では「よく転ぶ奴」で名が通っていた。これ本当。それを見かねた友人が、「のんちゃん、あまりにもよく転ぶから私心配で調べたんだけど、そういう脳の病気があるらしいよ。」と言ってきた。なんて返事をしたかなんて忘れたが、内心、ギクッとしたことはすごく覚えている。
そんなこんなでネットの情報も相まって、自分がADHDという病気、特性、障害なのではないかと思う。というか確信する。明確な日にちこそ覚えていないが、高校3年生にはADHDだという前提で生活を送るようになった。
しかし、未診断あるあるだと思うが、「無能な健常者なのではないか」という不安に襲われるようになる。その不安に耐えられなくなった大学2年生の初夏、私は自ら病院に出向き、何度かの診察を経たのちに、診断を受けた。
お医者さんは、私を「典型的なADHDだ」といった。このままだと大学は卒業できないだろうし(実際できなかった)、向いていない仕事につけばたちまち苦労するだろうといった。知能検査の結果も、我ながら面白いものだった。そして、ストラテラを処方されて生活する今に至るのである。
ぶっちゃけ病院に行くのなんて、答え合わせ感覚だった。もちろん正解だったし、想定内の現実が突き付けられた。帰り道、病院に行くという自分の判断が正しかったのかわからなくて、めちゃ泣いたけど。
でも今では、行って良かったと思っている。「ADHDなんだろうな」という憶測でしかない前提をもとに対策を練るのと、「ADHDだ」という確信をもとにお医者さんと一緒に薬を使って対策を練るのでは全然違う。無能な健常者である可能性もなくなった。
よくある、大人になってから分かるパターン。発達界隈では、何の変哲もない体験。なんの意外性もない。
そしてその半年後、双極性障害が発覚するのだが、そんなこととは知る由もないのんちゃんなのだった。
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