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自己対話のススメ〜ランニング〜


皆さん、自分と対話をする時間、取れていますか?

わたしは意識して作り出そうとしても、なかなか思うように時間を生み出せない時がありました。

なぜわたしは走るのだろう



もうひとつ、質問です。
皆さん、走ることは好きですか?

わたしは嫌いじゃないけど、苦手でした。

短距離走ならまだしも、長距離走は勘弁。
何を隠そう、高校の体育で行われた持久走は毎年ほぼ最下位でした。

それが嫌で嫌でどうやってサボってやろうかとか、計画的腹痛を訴えようとしてみたり脳内ではあれこれ試すんですが、サボるための言葉は口から出せなくて、結局授業に毎回出ていた真面目な子でした。

長距離走=苦しくて辱めを受けるもの
くらいに本気で思っていたため、大人になったらもう二度と人前で走らなくていいんや!って気持ちが軽くなったはずなのに。


それなのに、なぜ今になって走り始めたのだろうか。

きっかけは、憧れの福田萌子さんや、松浦弥太郎さんが気持ちよさそうに走っている姿を見て、わたしもできたらいいなぁと漠然と思ったから。


10km走れる身体を手に入れると見える景色が広がるとのこと。
旅先で朝10kmランをしてモーニングに良さそうなお店に目星をつけておき、身支度を整えて、改めてお店へ出向くという弥太郎さんスタイルを真似てみたいと思ったから。

動機はいつだって不純です。そんなもんです。

500mでヒーハーしていたわたしですが、今では5km、30分続けて走れる身体になりました。

2024春にハーフマラソン完走を目指してトレーニングを始めているところなのですが、ここでふと思ったんですね。

なんでわたしはこんなにも走りたいと思うのだろう、と。

長時間走り続けるというものは、正直言って退屈です。大好きな音楽も聴き続けていたらだんだんとただのBGMに成り果てます。要するに飽きがきます。

それでも走りたいと思うんです。なぜだろう。

わたしはランニングを通して、自分の内側と対話する時間になっていたようです。

外側に目を向けたら、頂きの景観が見られて、
内側に目を向けたら、己との対話が聞こえてくる。


ランナーであるわたしと、
伴走者としてのわたしがいるようで、

伴走者であるわたしが、時にメンターのような天からの声かけをしてくれているんです。

一人で走っているんだけど、
二人で走っているような境地なんですよね。

常にランナーのわたし一挙手一投足を、伴走者のわたしからフィードバックしてもらっているような心地がするんです。

ランニングをしていると、決まってよき伴走者 兼 相談者であるわたしが顔を覗かせます。
足を動かしながら同時に頭も口も盛大に動かして、思考の整理をしてくれているようなんです。

走れる距離が伸びていくと、自己対話も自ずと深まっていくようで。

今日の夜ごはん何にしようから始まって、
今悩んでいることから、来週の予定、未来の計画、どんどんクリエイティブな発想が浮かんでくるんです。

ランニング開始時には気分の上がるお気に入りの曲を聴いて、だんだんランニングが乗ってきたら、自然と静寂を求めるようになる。
そうしたら、音楽の出番は一旦終了の合図です。

音楽やスマホなど、すべてのノイズをシャットアウトして、ようやくわたしのランニングが始まります。

瞑想を行っている時や、サウナに入っている時の精神状態に近しいなぁと思います。

意図的に作り出したこのホワイトスペースの確保がわたしには必要みたいです。
束の間刺激から離れて、心の声に耳を傾けるために、わたしは長い時間走りたいという気持ちになるらしい。

そして何より走ることが楽しくて気持ちよくて快感なんで病み付きになりました。

究極のデジタルデトックスのようになっています。


皆さんにとって自己対話をするためのツールはありますか?
それはどんなものですか?ぜひお聞かせください。


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