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パートナーを愛するわたしと、パートナーに当たり散らすわたしが混在する。


わたし、嫌なヤツやなぁ。



刺激に疲れて、静かにゆっくり内省する時間をもちたい。
気が立っていて、呼吸が浅くなっている。
目の前のことに集中することがむずかしい。

そんな状況だと、わたしはパートナーを煩わしく思ってしまう時がある。

束の間ひとりにさせてくれ!!!って思うの。

みなさんにはそんなことありますか?
冷酷なヤツって思われてしまうかな、、?


わたしはこういう状況になっている時、自分のことを疲れているなぁと感じます。


だから、ちょっとしたこと(例えばパートナーの帰りがいつもより少し早い)ですら、受け入れがたくなってしまう。

側から見たら滑稽に映るほど、動揺して、イライラして、もっとこうしたかったのに!と
自分の思い描いていた通りの段取りで動けないことにむしゃくしゃしてしまう。

まずい、このままだと当たり屋になってしまう。
自分の方で大方察しはつくんだけど、まだコントロール制御が完全ではなくて。

相手に事前に余裕がないことを伝えていても、
期待通りの対応をしてくれるとは限らないのに。

パートナーが帰宅するまでに心を整える時間を設けていたから、たっぷりと話しを聴いてあげることができていた、と思う。

今日は無理やったー。

おかまいなしに話しかけてくるパートナーに、
ちょっと黙っとってくれん?!とひとこと。

あぁ、強烈なひとことを放ってしまった。

怖すぎるくらいに静かなリビングの中で、
ひたすら紙に気持ちを吐き出して、整理した。


こういう時、今までのわたしは、押し黙ってずっと沈黙を貫いていた。自分が空気をぶち壊したにもかかわらず。知らん顔をしようとする。もしくは、ごめんなさいとすがるように相手に謝りまくっていた。


この傾向は、愛着障害でいうところの、回避型と不安型の影響を受けているらしい。
問題が起きると、人との関係を避けようとしたり、人との関係が破綻することを恐れて依存したり。

うつと同様にこちらの症状も緩和させたくて、日々訓練している。

ここで有効なのが、このぐちゃぐちゃな感情のまま、相手に誠意をもって伝えること。
こんなみっともない姿を、汚い気持ちを相手に吐き出してどうするねん、何になるねん?ということをあえてシェアしていく。

この人にだけはこんな姿見られたくない、知られたくないのにって姿をあえて晒していくことが訓練になるのだ。
安定型になっていくための試練なのである。

いかんいかん、またひとりでやり過ごそうとしていたと気づき、パートナーに経緯を話した。

わたしは疲れていただけなのー!!と。

当たり屋になってごめんなさい!!!と。

我ながら嫌なヤツやなぁと思いつつも、原因追究することを辞めて諦めてはならんぞ!という戒めと。


自分の二面性に時々末恐ろしくなるんやけど、
こんな汚い言葉をパートナーに吐き散らかして正気か?と思うときもあるけれど、その姿も含めてわたしなんだよなぁ。

否定したいくらい嫌な部分も含めてわたしなんよ。
その姿もまるっと認めてようやく、ありのままの自分を受け止めるということになっていくんだよ。


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