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休めない、帰れないシェフ。コロナ対策を書く私が、バイト先では宴会を歓迎する理由

イタリアンレストランで接客のアルバイトを始めて気づいたことだが、オーナーシェフはなかなか休めない。そしてなかなか家に帰れない。慢性的な過労状態で、なんとか店の経営を維持している。

そんな姿を間近で見ていると、これまで医療記者として発信してきたコロナ対策が実行しづらい実情も理解できてしまう。引き裂かれる自分を感じる日々だ。

毎晩、店に泊まり込み 


私が働く個人経営のイタリアンレストランで、料理を作り、食材の仕入れや仕込みをするのはオーナーシェフただ一人だ。

調理補助の若いアルバイトを一人雇っているが、彼は他の店と掛け持ちで働いているため、仕込みや調理を弟子のように全て教え込むことは難しい。自分の代わりになるような料理人を雇いたくても、長引く不景気にコロナ禍が打撃を加え、飲食業界の人材確保は厳しい状況が続いている。

代わりがいないということは、シェフがすべてを背負うことになる。毎晩、店の片付けや仕込みを終えて深夜になると、シェフは店の椅子を並べ、レジ脇の棚から布団を取り出して、簡易ベッドを作る。だがそんなところでぐっすり眠れるはずもない。店は大きな幹線道路に面していて、一晩中車の走る音も聞こえる。

「家に帰った方がゆっくり眠れるんじゃないですか?」と言っても、「1時間かけて家に帰って、また翌朝起きて店に出てくるのにかかる時間を考えると、ここに泊まった方が睡眠時間は長くなるんです」と返ってくる。

店の椅子を向かい合うように10脚組み合わせて、簡単なベッドにする。
シェフは「枕はテンピュールなんだよ」と自慢している。

バイトを始めてひと月ほど経ったある日、夕方に出勤すると、いつも明かりがついているはずの店が真っ暗だった。ドアを開けても静まり返っている。

「あれ?誰もいないんですか?」

そう奥に声をかけると、店の隅のテーブルで突っ伏して寝ていたシェフが疲れ切った顔で起きてきた。トレードマークのハンチング帽は脱げて、ボサボサの髪でふらついている。

「昨日は一晩中、物音がして眠れなかったんです。ランチも忙しかったし、もう立っていられない…」

この時は店の隅のテーブルの前のカーテンだけ閉めて、お客さんが入ってくるまで仮眠してもらった。

ここまで疲れ切っていたのは珍しいことだが、慢性的な過労でシェフはよく体調を崩している。

風邪症状があっても休めない 


医療記者の私は、新型コロナの流行が始まってから、熱やだるさ、咳などの症状があったら仕事を休むことは常識になったと思っていた。
 
しかし、そんな症状があってもシェフは仕事を休まない。というか休めない。

ある時など「昨日は39度、熱があったんですよ」と時折、軽く咳き込みながら開店前に何度も体温計で熱を測っていた。体がだるいらしい。「コロナかもしれないから休んでください」と言っても、「もう今は36度6分になったから」などと言いながら、険しい顔で黙々と開店準備を続けている。

シェフが休めば、必然的に店は閉めざるを得ない。そうなれば当然、1日分の売り上げは消える。テナントの家賃は毎月同じだけかかるから、店の経営はさらに苦しくなる。

そんなシェフはこの3年間のコロナ禍で1回感染している。客商売で積極的にお客さんとコミュニケーションも取る人だから、当たり前と言えば当たり前だろう。さすがにその時は店の営業をしばらく休み、その月の売り上げはかなり厳しい状況になったそうだ。

そんな事情がわかるため、私も強く休むようには言えない。「せめて熱が上がったら、休んでくださいよ…」としか声をかけられない。

シェフはこれまでコロナワクチンを3回うっているが、オミクロン対応のワクチンはまだうっていない。これまで接種後に腕の痛みや高熱などの副反応が出たため、仕事への影響を恐れているのだ。それを聞いた時も私は強く接種を勧めることができなかった。

誤解を与えないように強調したいが、うちの店は感染対策をおろそかにしているわけではない。店には二酸化炭素モニターが置いてあるし、アルコール消毒や換気もそれなりに徹底している。それでもこんな実情があるのだ。

医療記者と飲食店バイトと、宴会に感じる気持ちの違い

医療記者としての私はコロナ禍が始まって以来、常に、大人数での飲食や宴会は控えるように呼びかける記事を書いてきた。第8波が始まった12月半ばに本業の会社で忘年会パーティーをすると聞いた時は、反対に回ったほどだ。

だから、初めてバイト先の店で20人規模の宴会を経験した時は、正直「感染が怖い」という気持ちの方が強かった。せめて換気は頻繁にしようと思っていたのに、いざ宴会が始まると、忙し過ぎてそんなことをする余裕はなかった。

けれど、シェフが命を削るように働く姿を見続けていると、宴会に対する気持ちが変わってきたのに気づく。まとまった売り上げがある大人数の宴会が入ったと聞くと、素直に嬉しくなるのだ。

飲み放題込みで6000円。それが10人になれば6万円、20人になれば12万円。普段の店のディナーの売り上げと同等かそれを大幅に上回る額を2時間で稼げることになる。

もちろん宴会の時はシェフもホールのスタッフもてんてこ舞いなのだが、やはりお客さんがたくさん入って活気のある店はやりがいもあって、みんな自然とハイテンションになる。

コロナ第7波が落ち着いた10月頃から、うちの店も徐々に客足が戻ってきた。お客さんが入れば入るほど、話に花を咲かせワインや食事が進めば進むほど、店のスタッフとしてはシェフの頑張りが報われているようで嬉しくなる。

医療記者としての自分とは別人格が働いているような気持ちにさえなった。

飲食店の痛み、どこか他人ごとだった自分

2022年〜23年の年末年始はコロナの流行が始まって以来、初めての行動制限のない冬だった。医療記者としての私は相変わらず感染対策について書きながら、バイト先で普段感じていることを思い、筆が迷っているのを感じている。

もちろん流行初期から、感染を広げる場所として名指しされ、制限を加えられてきた「夜の街」や「芸術・文化」の側の苦悩も取材してきた。

水商売協会が感染対策のガイドラインを自主的に作って営業を続けようとしている努力(「客もスタッフもマスク着用」「一卓ずつ開けて客と座る」 水商売の業界団体が営業再開のためのガイドライン作成)や、新宿・歌舞伎町のキャバクラで働くキャストの女性やお客さんの思い(厳しい目で見られ続ける「接待を伴う飲食店」 存続を賭けた取り組みとは?)、「感染拡大を防ぐ」という至上命題の前で大事にしてきた価値観や生活が奪われるという指摘(「問われているのは『命と経済』ではなく、『命と命』の問題」 医療人類学者が疑問を投げかける新型コロナ対策)、活動の場を失った音楽家と感染症の専門家の対談(音楽家が新型コロナ対策について感染症の専門家に問いかけた 「みなさん行き過ぎてませんか?」)などなどだ。

そのどれもが切実な声だったが、むしろコロナ禍で取材が忙しくなり、サラリーマンとして安定した収入を得ている自分にとっては、どこか「他人ごと」だった感は否めない。

これらの記事を書いた次の日には、感染拡大を抑えるために大勢での飲食などリスクの高い行動は控えるように呼びかける記事を全開で書いていた。

 飲食店で現役で働く料理人の母が営業自粛で長く仕事に出られず生きがいをなくしていた時もそうだ。ワクチンがまだなかったこともあり、どちらかといえば70歳を過ぎた母が外に出て行かずに済むことにホッとしたぐらいだったのだ。

もちろん自分の行きつけの居酒屋が緊急事態宣言下で営業自粛となったり、時短営業になったりした時は辛く、せっせとテイクアウトを買いに行ったり、仕事を早く切り上げて飲みに通ったりした。それでもその制限は「きちんと補償が支払われる一時的な措置で、流行拡大を抑えるためには仕方ない」と考えていたし、その考えは今でも変わらない。

両方の視点、歯切れが悪くなる筆

第8波が猛威を振るう今、医療は逼迫して、コロナ感染拡大による死者数はかつてない規模に増えている。すっかり緩んだ街とは違い、コロナ対応の最前線に立つ医療者は厳しい行動制限を続け、医療者と一般の人の気持ちや行動のギャップに諦めのような気持ちさえ抱いている。

最前線でコロナ対応に当たる救急医二人をこの冬取材した。スタッフが感染や濃厚接触によって次々に離脱し、人手が足りずに苦しみながら、二人とも世間の緩和状況については受け入れていたのも印象深かった。

この3年間、感染対策が最優先されて、きっとどの飲食店もうちの店のシェフと同様、ギリギリで暮らしてきたのだろう。ギリギリさえ保てず、私の周りでも閉店した店がいくつもある。そんな苦境を経てきた飲食店も、今年の冬は客足が少し戻って息をついている様子がうかがえる。

医療が逼迫し救える命も救えずに苦しむ医療者、コロナによる長引くダメージで疲弊してきた飲食店。

どちらの姿も見ながら、私はこれからどんな記事を書けばいいのだろう。飲食業界の中に足を踏み入れ、ここが自分の生きる場所の一部となり、私はこれまで制限され苦しんできた人の痛みが少しだけ「自分ごと」になったのを感じる。

これから緩和と感染対策との難しいバランスを考えながら、ますます記事の歯切れは悪くなるだろう。医療記者としても私は、簡単には記事が書けなくなったことを喜ぶべきなのかもしれない。


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