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シェフが「I LOVE YOU」を捧げる人

私がアルバイトをしているレストランで、ホールの仕事や経理などを取り仕切っているのはシェフの奥さんだ。管理栄養士の資格を持ち、コロナ禍での感染対策も中心になって取り組んだ。

日中は記者の仕事をしてディナーの時間しか入っていない私はなかなか接点を持てていない。でも、LINEグループでの指示や連絡、そしてシェフを通じて店になくてはならない存在だということはもちろん知っている。

改めてお話を聞いてみると、「夫の夢を支える糟糠の妻」という一昔前の感動物語には収まらない夫婦のリアルな物語が見えてきた。

講師だった妻にシェフが一目惚れ

二人の出会いは、シェフが大学を卒業して、調理師専門学校に入った22年前に遡る。

講師として教壇に立っていた一つ年上の奥さんにシェフが一目惚れ。シェフから猛アタックを繰り返されて、押しに負ける形で付き合うことになったそうだ。

「すごくアピールしてくるな、という感じでした。押しが強かったので、私もそのうち応じたのでしょうね。もう覚えていませんが(笑)」

その後、5年ほど付き合い結婚した。

その結婚披露宴の動画を深夜、私やバイト仲間だったコイズミ君はシェフに見せてもらったことがある。

今よりずっと若い二人がドレスとタキシードを着て寄り添い歩く。初々しい姿に「おお〜美男美女ですね」と私が言うと、シェフは「俺はともかく、うちの奥さんは綺麗だよ」とストレートにのろけた。

結婚17年も経った妻をこんな風に人前で褒めることのできる関係は素敵だなと思ったものだ。

「自分の店を持ちたい」 披露宴で宣言した新郎に新婦は…

この結婚披露宴の動画で、印象的なシーンがあった。

最後の新郎挨拶で、「いつか自分の店を持ちたい」とシェフが宣言したのだ。その時、隣にいたのがシェフの奥さんである。

その頃、シェフは専門学校卒業後、銀座のインド料理店で修行をしていたはずだ。そばにいた奥さんはシェフの夢をどんな気持ちで聞いていたのだろう。意外な答えが帰ってきた。

「実は私は独立にずっと反対していました。店を持ちたいという話は聞いていたのですが、結婚する日が迫っていくうちに、現実を考えると生活していけるのかすごく不安になったのです。『もし独立を考えるなら、結婚も考え直したい』と伝えていたほどです」

そんな話し合いをして、奥さんにとっては立ち消えになったはずだと思っていたシェフの夢。披露宴の挨拶で突然、人前で宣言するのを横で聞いて、「話が違うぞ!」と思っていたのだという。

「みんなにはいい話に聞こえていたかもしれません。でも、私は内心『え?!』と思っていました」

反対しつつも、手伝うことに

間もなく一人息子を授かり、介護施設に転職していた奥さんは仕事を辞めて専業主婦になった。

「飲食店で働いて夜遅い夫に育児への参加は望めなかったし、一人職場だったので育児と両立するのは無理かなと思って諦めたんです」

その後、インド料理店からピザ専門店、イタリア料理店と場所を変えて修行を重ねたシェフは、子どもが小学校に上がる頃、独立に向けて本格的に動き出す。

「それはもう反対しましたよ。急に何?って。その数年前から話はされていたのですが、私はずっと反対していました。子どももいるのに生活をどうするの?と。そのうち何を言っても私が反対するだろうと思ったのか、夫は何も言わずに物件を探してきました」

「私は話を勝手に進められて腹を立てていました。納得していないのに『こういう風にするから』とだけ言われて、始まってしまった。もうやるしかなくなった、という感じでした」

奥さんは家事、育児を一手に引き受けており、自分のペースで働き始めようと考えていたタイミングでもあって、店を手伝うつもりはなかった。でも、2013年10月のオープン時にホールで働けるスタッフは一人しかいなかった。なし崩し的に手伝うことになった。

「子どもが小学校に上がったばかりでしたから、学校から帰る時間には間に合うようにランチが終わったら急いで帰っていました。夜も人手不足で大変な時には入っていたのですが、近所のママ友にお願いして子どもを一晩預かってもらったこともありました」

葛藤…活かせない専門資格 

奥さんにはもう一つモヤモヤがある。管理栄養士という国家資格を持っているのに、店を手伝うことでそれが活かせないという葛藤だ。

2015年から新型コロナが始まる直前までは、管理栄養士としていわゆる「メタボ健診(特定健診)」に引っかかった人に栄養指導などをする「特定保健指導」の仕事を店と掛け持ちしていた。

自宅に帰っても夜遅くまで報告書を書いたり、対象者に電話をかけて指導したり、店の仕事と両立するのは大変だった。でも充実していた。

「私の拙い話でも『知ることができて良かった』と言ってもらえたり、初めはつまらなそうな顔で聞いていた人が『面白かった』と興味を持ってくれたりした時は本当に嬉しかった。自分の勉強したことを直接的に活かせて、仕事をした分きちんとお給料をもらえることも単純に嬉しかったです」

「生活習慣病予防は社会的にもとても大切ですし、専門性を活かして社会とのつながりが持てた気がしました。子育てで閉鎖的だった世界が広がったと、生き生きしていたと思います」

だが、その掛け持ちの仕事も店の人手不足が続く中、断念せざるを得なくなった。

「『1件だけ担当するのでも構わないから続けて』とは言われたのですが、店の方が忙しくなるとやはり掛け持ちは難しい。そのうちコロナが始まって、さらに人手不足や経営状況が厳しくなりました。店に専従せざるを得なくなったのです」

働く女性の一人として、奥さんの葛藤はとてもよく理解できる。もし、私が夫に「記者の仕事を辞めて自分の仕事を手伝ってくれ」と言われたらどうだろう。支えたい気持ちはあっても「私には私の生きがいがあるから」と伝えるだろう。

でも現実問題として奥さんがいないとこの店は営業がストップしてしまう。そして飲食業界は慢性的な人手不足で、従業員の募集をかけてもなかなか応募が来ない。難しい問題だなと考え込んでしまった。

「受け身な人生」 そんな気持ちを切り替えて

やりがいのある専門職としての仕事ができない。店の仕事は我慢してやっている。でも家を出ていくこともできない——。

奥さんがそんな悶々とした気持ちを切り替えたきっかけがある。

新型コロナの流行が始まったばかりのその日も、ランチタイムのホールに入って忙しく働いていた。

「ずいぶん受け身な人生だなと、そんな自分に嫌気がさしていました。でも夫を心から応援して支えていこうとか、そんな綺麗事も思いつかない。じゃあ自分の良いところは何だろうと考えた時、責任感が強いことだと気づいたのです」

「あぁ、この人と結婚した責任を取るんだ、と思ったら腑に落ちました。少し能動的になれたと思えて、『仕方ない、やるかー』と、店のテーブルを拭きながら泣くのをこらえたことを覚えています」

結果的に、客が減ったコロナ禍で身内がシフトに入り、アルバイトに人件費をかけずに済んだのは店を維持するのにプラスに働いたと自負している。

「潰れる店もたくさんあった中、家族である私が専従で入っていたことで生き延びられたところもありました。それは良かったと思います」

帰ってこない夫、心配な体

妻としては、深夜まで仕事に追われるシェフが、店から片道1時間かかる自宅に滅多に帰ってこられなくなったのは寂しいことだ。

「雇われ人だった時は家事や育児はしないまでも毎日帰っていましたし、休日に家族で出かけることもできていました。コロナの2年ほど前までは若い正社員がいて仕事をある程度、任せて帰ることもできていたのですが、コロナ後は特に人手不足です。仕入れや仕込み、片付けを一人でやらなければならず、ほとんど帰れなくなりました」

一人で全てを背負う夫の体も心配だ。

「できれば仕事が終わったら家に帰って、お風呂に入って、ゆっくり寝てほしい。休みの月曜日も家で夕飯を食べてほしいのですが、唯一の自由時間で知り合いの店に飲みに行ったりするのを大事にしているようなので、なかなか難しいですね」

シェフは店が混んで忙しくなってくるとピリピリし、一緒に働く我々スタッフに対して言葉がきつくなる時がある。

そして、一番気を遣わない存在である奥さんに対する言葉遣いはなおさら厳しいようだ。一度、当たり散らしたシェフに腹を立てて、営業途中で店を出て行ったことがあるとも聞く。

「『帰ろ!』と思って店を出たのですが、結局、公園でヒートダウンして店に戻りました」

そんな風に妻に当たった日、シェフは「今日は忙しくて奥さんに当たって悪いことをしたな。甘えているんだよな」と落ち込んでいる。「直接、奥さんに言ったほうがいいですよ」と言っても、昭和生まれの亭主関白だからか、なかなか言わないようだ。

実際、奥さんはシェフから感謝や謝罪の言葉をほとんど聞いたことがない。

「別にありがとうと言ってほしいわけではないから、謝ってほしい。絶対に謝らないんですよ。もうちょっと『こうやってくれたら助かるな』とか、ものの言い方を工夫してくれるだけでこちらも気持ちよく働けるのに」

こだわりはすごいけど…健康に気遣って

家庭を顧みずに仕事に没頭する夫に複雑な思いを抱いても、仕事人としては敬意を抱いている。

「よくやっているなと思うのは、人の顔や名前をしっかり覚えていること。何年も前にきたお客さんの顔を覚えているだけでなく、名前まで出てくるのがすごいことですよね」

仕事のこだわりぶりも、素直に感心している。

「何に関しても『なんでもいいや』とはならない人ですね。『これはこうだから』というこだわりを貫いているから、それはすごいなと思います。でもそのこだわりに周りは巻き込まれて苦労するのですが(苦笑)」

そんなシェフ一家はこの4月初め、やっと1日だけ休みをとって家族で1泊2日の温泉旅行に出かけた。互いの実家に帰省する以外は、房総半島に出かけて以来、5~6年ぶりの家族旅行になる。

「子どもも大きくなってきたから一緒に旅行に行く機会がなくなっちゃうよと説得しました。世話はしなくても、お父さんとしては子どもをとても可愛がっています。見た目もそっくりですしね。最近、中身も似てきたのが心配ですけれど(笑)」

夫に今、最も望むことは、もう少し健康に気遣ってほしいということだ。

「お酒を控えて体を大事にしてほしい。体が資本の仕事なんですから。私の言うことは聞かないんですけれども、体がダメになったらお店も続けられなくなっちゃうよ、と伝えたいですね」

「I LOVE YOU」を捧げる人

店は今年の10月で10周年を迎える。

「よく保ったなと思います。私は今後、できれば管理栄養士としての仕事もしたい。店にまったく関わらないわけにもいかないのでしょうけれども、せっかく資格を持っているのですから。『自分が我慢すればいいや』とやりたいことを諦めるには残りの人生は長くない。やりたいことも諦めずに時間を使いたいのです」

趣味の音楽にかける時間も譲れない。学生時代から続けているサックスをブラスバンドで演奏するのが大好きなのだが、毎週の練習がランチの時間とかぶるため、月に2回参加できればいい方だ。

「先日も、『練習に行かせろ』と夫とケンカしました。『人がいれば行ってもいいよ』と言われるのですが、最低、月2回は練習に参加するのが私の中のボーダーラインです。最後の砦なんです」

先日、ギターやバイオリンが得意な常連さんが店でミニ演奏会を開いてくれた後、その生伴奏でシェフが得意の歌を披露したことがあった。

尾崎豊の歌を気持ちよさそうに歌っていたシェフは「『I LOVE YOU』を歌ってくださいよ。誰に捧げますか?」とその常連さんに言われ、急に真面目な顔をしてこう言った。

「I LOVE YOUを捧げるのはうちの奥さんしかいないよ。目の前に奥さんがいないと歌えないな」

店の10周年には、楽器が得意な常連さんたちに声をかけて、店で生演奏をしてもらって祝えないかという話をゆるゆるとし始めている。

「奥さんもサックスで参加するのはどうですか?」と聞いたら、「いいですね!セッションしたいかも」と乗り気になってくれた。

私はただのアルバイトにすぎないが、そこでシェフに奥さんの目の前で「I LOVE YOU」を歌ってもらえないかと願っている。言葉に表すことができないのならば、せめて歌で奥さんに感謝と愛情を伝えてほしい。

この店を愛する一人として、この場所を踏ん張って守ってきてくれた二人が笑顔で10周年を迎えてくれることを祈っているから。


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