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いつまでも読み継がれてほしい、戦争を忘れないためにも──野坂昭如 黒田征太郎『小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話 戦争童話集~忘れてはイケナイ物語り~』

すべての作品が8月15日という日付から始まります。その日は終戦(敗戦)の日なのにこの物語の中では戦争は終わることなく続いているかのようです。

8月15日以後も戦闘があったかどうかということではありません。戦争の影は無くなることがなかったということなのでしょう。

戦死した父親が作ってくれた防空壕。その中にいると少年は、辛い戦禍の日々が続いても、父親のことを思い出し、生きる勇気が出てくるのでした。大人たちからそこがどんなに不潔に思われても、そこは少年にとってかけがえのない場所だったのです。けれど終戦と同時にすぐに大人たちによって壊されてしまいます。少年のかけがえのない思いをも埋めてしまったのです。少年にはその時が戦死した父親の本当の別れだったのです。
「平和が訪れ、街に灯がよみがえったなかで、少年だけが、悲しみにとり残されていました」
少年とっては戦後などというものはなかったのでしょう、戦争で奪われた父は少年の心にずっと戦争というものを残していったのです。

この童話集には戦争がもたらすいくつかの大きなことが描かれているように思いました。
ひとつは〝餓え〟です。戦地で、空襲下で、迷いはぐれた草原で、また薬殺されないようにと逃がした動物を連れてさまよった山中……。どこにも〝餓え〟というものが立ちはだかっています。
〝餓え〟とはなんでしょうか。国力の貧困であり、政治の貧困のあらわれでしかありません。『天皇の料理番』では国民が餓えている時でも一部の軍部には豊富な食料があったように描かれていました……。

2つめは人間の〝非情さ〟です。満州のからの逃亡の時に置き去りにされた少女、思いでの地下壕を埋める男たちの姿にもそれはうかがえます。もちろんその人たちが根っから〝非情〟であったとは思えません。〝やむをえず〟という選択をしなければならないところに彼らも置き去りにされたのです。「軍部のえらい人たちの家族は、すでに特別列車で逃げていて、一般市民だけが取り残され、着のみ着のまま、逃げることになった」のですから。

そして戦争の中でも失われなかった〝愛情〟というものです。それは餓死するまでわが子に「体中の水分」を与えようとした母親の姿、アメリカ兵の捕虜との日々の中に、また象、馬、さらにはあぶら虫との間にもそれはありました。
けれどその〝愛情〟はどれもが死と隣り合わせのものだったのです。
戦争は人間のあらゆる感情を押しつぶしていくのです。その戦争の巨大なうねりの中では人は自分自身をすら守ることはできないのです。

野坂さんの言葉が心に響いてきます。
「日本人はいつの間にかあの戦争をなかったことのようにしてしまった。戦後というが、今のなお戦争は続いている。戦争は、気がついた時にはすでに始まっているのだ」
戦争は〝始まってしまうもの〟なのかもしれません。私たちが立ち止まってじっと見ていないと……。今が戦前や戦間期にさせないためにも……。

この物語に新しい命を吹き込んだ黒田清太郎さんの新たに書き下ろした120枚の絵、それもまたそのような思いを強くさせるものでした。いつまでも読み継がれますように、戦争を忘れないために、戦争に巻きこまれないためにも……。

書誌:
書 名 小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話 戦争童話集~忘れてはイケナイ物語り~
著 者 野坂昭如 黒田征太郎
出版社 世界文化社
初 版 2015年7月23日
レビュアー近況:昨晩の日本テレビ「月曜から夜ふかし」でOAされた、関西人の多くがチョコミントのアイスクリームが嫌いという取材VTRに衝撃を受けました。チョコミント大好きな野中は関西人として特異で、そんなコトをカミングアウトするオッサンとしてキモいです。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.10.27
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=4308

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