ポストを開けたら、カレーのルーと手紙が入っていた話。
(2017年のスウェーデン留学中に書いたブログの編集版!素敵な出会いだったので、noteにも書き残します)
2017年の始め。日常の真ん中の、とある日。
気温は氷点下すれすれ、かじかむ手に息をハァッとかけながら寮に帰る。
スウェーデンの冬は、きつい。と改めて思いながらポストを開けたら、カレーのルーの箱がひとつ、入っていた。
それと一緒に、きれいに折りたたまれたA4の紙が、1枚。
「…督促状?」
恐る恐る開いてみると、頑張って書いたんだなと感じさせる日本語が、優しくこちらを見ている。
その文字を見て、安心した。そして、とても寂しくなった。
カレーとお手紙をポストに入れてくれたのは、留学中の秋学期にアメリカへ戻った、大切な友達、Spenser だった。
手紙を読んでいたら、「あぁこんな友達を持てて本当によかったな」とSpenser との思い出が涙となってぶわぁっと溢れ出した。
ポストの前で、カレーのルーを持ちながら、私はひっくひっくと泣いた。
(留学先のルンド大学 / Lund University)
日本のカレーは、思い出の味
Spenser は「カレーは簡単だからね~」って言いながら、よくアジアンショップで買った日本のカレー(インドカレーはあんま好きじゃないらしい)をふるまってくれた。留学していたルンド市内にはいくつかアジアンショップがあり、そこにはタイや日本、韓国や中国などから取り寄せた現地の調味料やお菓子などが取り揃えてある。少々値段は張るけど、でも心の拠り所にもなる大事なお店だ。
彼が「こくまろ」と書かれたカレーのルーをすごいドヤ顔で見せてくれた時、なんだかとっても日本が恋しくなったのを覚えている。何個ストックしてるんだよ!って言いたくなるくらい、買い込んでいた。カレーで冬を越える気だ…!とりあえず便乗させてもらうぞ!(強引)ということで、彼の作るカレーを、前回noteで書いたイラン人の Zara と一緒に食べに行っていた。3人で何回カレーを食べただろう。
以前のnoteはこちら!
私が留学していたスウェーデンの南の街にあるルンド大学には、世界中から留学生が集まっていた。
Zara も今まで会ったことのないタイプの人だったけど、彼も本当に私とはまったく違うバックグラウンドを持った人だった。スウェーデン留学を豊かにしてくれた人のひとりだ。
アメリカのあったかいカルフォルニアから来た彼は、スウェーデンの気温の低さにかなり参っていたようだったけど、IKEAで見るからにあたたかそうなランプを買って、越冬しようと奮闘していた。
”沖縄の米軍”だった彼が、教えてくれたこと
パブで「ぼく、日本語しゃべれます」ってかなり流暢な日本語で話しかけられたのが、一番最初に交わした言葉だった。
「日本語は独学で学んだの?」と聞いたら、
「沖縄の米軍基地に3年間いたんだ」と返ってきた。
日本にいた時、日本語を勉強して、沖縄の言葉も現地の人に教えてもらって、たくさんの日本人と仲良くなって、日本のこと大好きになったんだって。
彼は、たくさんの沖縄の言葉を教えてくれた。
「にふぇーでーびる」は覚えておいたほうがいい、ありがとうって意味だよ。
一緒にカレーを食べながらそう教えてくれたのが、昨日のことのよう。不思議な呪文にさえ思えてしまったその沖縄の言葉を、私は舌の上で何度も転がした。まさか、留学先のスウェーデンで、アメリカ人の友達が日本人の私に沖縄の言葉を教えてくれるなんて思ってもなかった。
そして、彼は私よりも多く「日本が好き、日本に帰りたい」って言っていた。何回も、何回も。
それを聞きながら、私は人生で初めて、沖縄にいたというアメリカ人に会ったということ、そして私の中では、沖縄の米軍の方に対して少し偏ったイメージがある、ということを正直に話した。
ひとつの側面だけかもしれないが、沖縄にいる米軍の問題は依然としてあり、それを取り上げた痛ましいニュースをよく目にしていたからだ。
話をしながら、個々人と集合体をごっちゃにしてはいけない、とは分かっているものの、Spenser が友達という枠を越えて「沖縄にいるアメリカ兵」というカテゴリーの中に少しずつ吸い込まれていきそうだった。それに気づいた時本当に怖くなった。
「もちろん米軍の中にも、最低な奴らはいる。でも、全員じゃない。
メディアは一部分を切り取って、過激に伝えたりするけど、本当に沖縄が大好きで、日本が大好きな人だって、たくさんいるんだ。」
そうだよな。冷静になり、彼の言葉に心から頷いた。
これは、今ある日本の社会問題の場面にも当てはまる。
ヘイトスピーチも。一部の意見が膨張して、メディアはそれをまるで国民の総意かのように取り上げ、社会に覆いかぶさる。でも、実際に過激派の人の中で、ヘイトをしている対象の人たちと深く関わったという人は意外といない、という。
「ちゃんと関わったら、いいところがたくさん見えるんだよ」
彼の言葉はいつも、優しかった。
大学という場所の意味
彼は沖縄で滞在したあとに、韓国でも米軍として数年働いてたらしい。
毎日続く、過酷な訓練。身体が疲弊しきったある日、泥沼の中をほふく前進している時に、「勉強したい。軍隊やめよう」とふと思ったんだって。
次の日に Spenser は米軍基地の仕事をやめて、死ぬ気で勉強してアメリカの大学に入って、物理学を専攻して、ルンド大学に半年の留学するという切符を手に入れたらしい。
本当に勉強したい、と思った人が来てるんだな、大学ってところは。
そう思わせてくれたのは彼だった。
「めちゃくちゃ勉強したかったんだ」
って笑いながら言った言葉が、忘れられない。大学は「とりあえず行っておかなきゃ」という思いで、多額の資金を払ってまで入るような場所ではないのだ。
大学では絶対に留学したい。色んな人に会って、いろんな経験したい。
とは思っていたけど、大学でこの分野を死ぬ気で勉強したい!という気持ちは、高校生の私にはなかったんだよなぁ…。
だから、本当に勉強したいと思って、大学に入学した彼を尊敬していた。
軍隊に入ったわけ
「ところでさ、なんで Spenser は米軍基地で働こうと思ったの?」
日本には自衛隊はあるけど徴兵制がないから、軍隊で働くのがあんまり一般的というわけではないんだよね!
こんな質問を、キムチカレーを食べてる時に聞いた。
(カレーとキムチってすっごく合う!本当においしかった。さすが、日本と韓国に住んでいただけあって、シナジーをしっかり生み出している)
「どこから話そうかなぁ…」
聞いてはいけなかったかな、と思わせるような間があった。
口の中のキムチがちょっぴり、酸っぱくなった気がした。
「ぼくのお母さんは、メキシコからの移民で、お父さんはネイティブ・アメリカンだったんだ。だから、アメリカの社会のヒエラルキーの中だとね、かなり下のほうなんだ。」
ネイティブ・アメリカンって、アジア系だから、ぼくには髭があんまりないわけ。ほら。って、あごを指差した。他のヨーロッパの人に比べたら、たしかに全然髭がない。
「僕の家は貧乏だったから、小さいとき病院に行けなかったんだ。アメリカは保険が高いから。ぼくは長男だったけど、下に兄弟は4人いるし、風邪をひいても、病気になっても、医者に診てもらうことはなかったんだよ」
お金がないと病院に行けない、保険にも入れない、道で死んじゃうかもしれない、そんな国なんだよアメリカは。スウェーデンと全然違うよね(笑)
彼はそう言って、パクッとカレーを口に運んだ。
ちなみに、スウェーデンは、国民全員医療費は無料。その分、消費税は25%という爆高設定ではあるが、キャッシュがなくて命を落とす、ということにはならない。
一方アメリカでは、医療費が原因で自己破産する人も多く、そして命まで落とす人がいるんだ…。
日本で生きていて、病院に行けるということは普通のことに感じていたので、Spenser の話を聞いた時はびっくりした。
彼は学校での成績がいつもビリから数えたほうが早いくらい悪くて、みんなとはどんどん差が開いていって、クラスでは全く集中できずにいた。親が病気かと疑ったけど、病院にも行けず、「できない子」というラベルを貼られた。
それからは学校でどうしようもないくらい落ちぶれて、結果的にドロップアウトしてしまい、軍に入ることにしたらしい。
「軍隊では、こうやって机の上でカリカリ勉強しなくていいからね」と背中を丸めて鉛筆で書く真似をした後、肩をすくめた。
ADHDって?
軍隊での生活の話があまりにも過酷だったので、スウェーデンの冬も余裕なのでは?と思ったがそうでもないらしい。そんな話をしている時、机の上に置いてあったタブレットが入ったビンに気づいた。
ビタミンDの錠剤かな?
スウェーデンの冬は、日照時間が異常に短いので、太陽を浴びて人間の体内で生成されるはずのビタミンDを、自主的に摂取しなければいけない。
だから、留学生はビタミンDのタブレットを飲んでいることが多く、もれなく私もその一人だった。効いていたかは分からないけど。
「これなに?」って聞いたら、「薬だよ」って返ってきた。
「ADHDって病気だってことが、数年前にわかったんだ。だから毎日この薬飲んでるの。アメリカから持ってきたのがなくなったから、スウェーデンの病院で処方してもらった」
ちょっと息を吸ってから、Spenser は続ける。
「ADHDって知ってる?」
「うん。でもそこまで詳しくは知らないかな。」
私はどういう顔をしていたか覚えていない。でも、相手の方から話をしてくれるまで、待っていたのは覚えている。
彼はその病気について詳しく話してくれた。スマホで日本語のキーボードをうまく使いこなしながら、ググってADHDのページを見せてくれたりもした。
ADHDとは、注意欠陥・多動性障害(Attention Deficit Hyperactivity Discorder )の略。
ADHDは、AD(注意欠如)とHD(多動)に分かれる。ADには、人の話を聞くことができなかったり、集中できなかったりする。また、期限があるものであるのにも関わらず先延ばしをしてしまったり、忘れっぽいという症状がある。もうひとつのHDは、しゃべりすぎてしまったり、なかなかじっとしていられなかったりする特徴がある。子どものとき発症することが多いけれど、大人になって発症する(症状が顕著に現れる)こともあるようだ。
ADHDにも、グラデーションはあって、人によって度合いは違う。日常生活に支障がでてしまうレベルになると治療が必要だけど、今の時代、ADHDであると自覚がないままなんの問題もなく生活できている人も多いんだとか。
スマホで自分で簡単に傾向があるかどうかの検査もできるんだよ!と彼はチェック項目を見せてくれた。
Spenser は処方された薬を飲むことで、カッとなったり、時間を忘れて何かに究極に没頭してしまうことをはじめとする症状は抑えられると言っていた。
人生は、偶然なのか、必然なのか
「もし、ぼくが小さい頃保険に入っていて、
病院に行って、医者に診てもらって、
病気だってわかってたら、
それか病気になってなかったら、
たぶん学校をドロップアウトすることもなかっただろうし、
軍隊にも入ってなかっただろうな。
人生、今とは全然違うものになってただろうな。」
ってキムチカレーを食べながら Spenser が言った。
「でも、もしその病気になってなかったら、
ドロップアウトして、軍隊に入って、
いろいろなことを経験して、
日本に来て、韓国にも行って、
本当に勉強したいって思って、頑張って大学に入って、ルンドに来て、
私に会って一緒にカレーを食べる、なんてことはなかっただろうね。」
って私も水を飲んでから言った。
キムチカレー、ちょっぴり辛かった。
人生で起こることって偶然なのか、必然なのか、正直分からないけど、でも人生っておもしろいよねって言いながら笑っていた。
私も色々ADHDについて話したり調べてみたりしたが、障害や病気、という括りではなく、”特徴” という言葉のほうが適切かもしれないと感じた。
視力が悪いのも、障害や病気というよりは、ひとつの特徴だ。目が悪いなら、メガネをかける。それで日常を問題なく過ごすことができる。障害や病気は、社会によって作り出される、と言われることがあるが、本当にそうだと思う。
ADHDであろうと、そうじゃなかろうと、Spenser が Spenser であることには変わりはないからね!ADHDのことを、話してくれてありがとう。って言ったら、
聞いてくれてありがとう。
今日は、ハッピーな気分だから、薬は飲まないですむよ。って言われた。
その言葉を聞いて、本当に嬉しかった。冬の寒さを吹き飛ばすくらい、心があったかくなった。
エピローグ
ポストに入っていたカレーのルーは、他の野菜とうまいこと混ざり、私のお腹を満たした。キムチは、入れなかった。私がキムチカレーを作ったら、きっと塩梅が分からず辛すぎるカレーになってしまうだろうから。
先週、Spenser から「かのん、元気にしてる?今、僕は大学院で数学の勉強してるよ!もうすぐで卒業!」と連絡が来た。今頃、カリフォルニアでたくさんの日光をあびてるんだろうなぁ。院を卒業したら、どこでなにをするんだろう。
「私も、来月から働くよ!日本も、だんだんあったかくなってきたよ」と、最後に桜の絵文字を加えて送った。
カレーのこと、日本のこと、沖縄のこと、ADHDのこと、勉強すること。
いろんな世界を見せてくれて、Spenser ありがとう!
彼からの手紙には、たくさんのありがとうが書かれていて、今でもそれは大切に持っている。
みなさんにとって、明日もいい1日になりますように!