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「TOKYO LIVING MONOLOGUES」。私たちは、


DULL-COLORED POPさんの「TOKYO LIVING MONOLOGUES」を観劇してきました。

観た衝動で書き殴ったからまとまりのない文章が長々続くけど、それだけ情報量の多い作品だったということで……



「この東京で、私が生きていることを、私以外誰も知らない」




フライヤーのこの一言だけで多分好きなやつ!と思ってはいたけど、想像の何倍も気持ち悪かった……

ねむのきに続いて今作もすごく良かったです(毎回言ってる)。




帰りについ台本を買うくらい。
アウトだらけで面白いし狂気じみた文字の羅列に頭が痛くなってくる。
あと劇中歌の歌詞が最高。生きてるだけでSSR〜

観たら購入してみるの、とてもおすすめ。



ちなみにこれも観劇の思い出だけどお腹すいた状態で行ったらとても大変だった。
これから行く方は気をつけて……






【ここからかなりネタバレ】
※今から浴びる人は読まない方が楽しいと思う※


演劇……演劇……?



劇場に入って、整理された座席に行儀よく座り、物語を一線引いたところから見届ける……そんな普段の演劇の形をぶち壊すような空間で、お芝居を見ているというよりも本当に現実の続きにいるような気持ち。


観劇中に座席で頭を動かしちゃいけない!前のめりになっちゃいけない!みたいな治安が取っ払われているのが悪いことをしているみたいで楽しかったし、(勿論話の流れに沿って力が入りもするけれど)自由と言われている分いつもより自然な身体の状態で作品を観ることができたように思う。




客席では私たちも真っ黒な服+顔を隠して身元不明の何者かになる。
マスクとの組み合わせが怪しい人すぎて良い。

(面白すぎて自撮りしたけど撮って良いやつだったのかな……駄目なら消します……)


こんな"覗き見する有象無象"にされていた観客だけど、このお面は後半になって別の意味を持つ。これが本当に……。




それからZOOMを使った演出。
自宅で観る舞台の配信、じゃなくて、目の前の様子が映ったZOOMに接続しながら舞台を観るなんて初めて。


まずスマホとイヤホンをつけて舞台は観ない。


そしてこのイヤホンが最大級に生かされるあのシーン、すごい素敵な声ですごいことしてた(言えない)けど、あれ男性陣大丈夫だったんですか……?



現地4部屋+ZOOMの大量画面でも展開される物語はもう目も耳も心も足りない。


観る場所が各々違うから客席の人の顔の向きが違っていて、たまに隣の人と向き合う形になったのがなんとなく恥ずかしかった。
でもすごい!ありがたいことに仮面が顔を隠してくれる!!




大学時代、映画論の講義で"人は窃視願望を持っている"っていう話とその欲を満たす作品作りについて聞いたことを思い出した(ヒッチコック作品がわかりやすい)。


この話、HPでも言われてたけどかなり窃視。

普通の人を覗くだけでも緊張感込みの楽しさがあるのに、覗いちゃいけない・踏み込んだらいけなさそうな人たちの部屋を覗き見るんだからさらに"いけないこと"感が増す。

この背徳感がじわじわ楽しさと恐怖を上げていく。


ただ客席に向いたカメラも確かあって、覗かれているのは私たちも同じ……だったかもしれない。
あまりにも演者と客席の空間が近いし。
(行った人は分かると思うんだけど開演前にトイレ行くときの緊張感すごくなかった?)


結構目が足りなくて慌ててしまったので、スマホをちゃんと駆使できていたらちょっと見え方が変わったかもしれないって思うと少し悔しい。





そうスマホ。


観客が常にスマホをつけている状態だから、暗転も完全な暗さにはならない。

なんとなく居心地が悪くて画面を手で覆ってみたりもしたけれど、購入した台本に「観客のスマホのディスプレイが光っている」ってちゃんと書いてあってそりゃ計算済みか〜〜!ってこれも少し悔しくなった。



全部。
物音も光も見える場所も、観客がスマホを使うこと、動くことも多分想定済み。全部全部話の内容と合わさって嫌〜な緊張感がある。

これがもうヒリヒリして楽しい。居心地と空気の悪さに夢中になる。


すごく演劇なんだけど表面の形が違うから演劇……?ってなるというか、挑み方がすごい。



話の内容もすごいけど、この体験自体のためだけに行くのだって絶対に楽しい。
ライブエンタメの可能性は無限大……!


東京という場で生きる



私も東京で生きている。

私は今回ゴミ部屋の麗さんに1番恐怖を感じたんだけど、この恐怖は客観的な"この人やばい"の恐怖じゃなくて「これが私の未来じゃないなんて言い切れない……」っていう怖さで。


駆け出し俳優の私はこれからどうなるかなんて分からない。いつか夢も希望も失ったら。
あれは歳をとった先にいる私かもしれない。

なんて、私がネガティヴだからなのか妙に生々しく映ってしまった。



理解不能な人が多いかもしれない。
まず、きっとあれは"分からないなら分からないままの方が良い世界"だろうから。



だけど、正直明日ともしれない仕事をしている私みたいな人間に限った怖さでもないと思う。


介護もブラック企業も無職も全部隣にあるもので、人を惑わす陰謀論だってたった一言検索
すればすぐに見つかる。


ヤフコメにもTwitterにもああいう人たちが溢れているあたり(ていうか知り合いにもいたし)、世の中には間違いなく一定数ああいう人たちがいる。




小さな部屋にあるそれぞれの地獄は、確かに私たちの世界と地続きだ。




渋谷で叫ぶおじさんたちのことをそういう可愛くないマスコットキャラクターみたいに捉えていた節があるんだけど、そうか彼らにも家が、稼ぎ口が、生きてきた道があるよね……なんて当たり前のことを考えちゃって……きついな……



彼らはちょっとしたズレで誰にもなりうる可能性のある存在。そもそも彼らからしたらズレているのは世の中の多数の人間で、真実は彼ら自身。


文字の向こうやマスコットキャラクター()だった彼ら彼女らが急に人間の輪郭を持つ。


これが本当に怖い。
なんなら彼らは彼らなりに懸命に生きているから、途中ちょっと正解が分からなくなる。

(演者さんたちの"おかしいことなのに信じて疑わない"直球な狂気のお芝居がすごすぎるのは勿論あるけれど……あれが現実なら確かに勢いに負ける人も出て来そう……リアリティ……)




宗教は救いの無い人生の中で救いを求める"人の心"から生まれるから。


東京でどこにも逃げられない人生を生きる彼らにとっては陰謀論が自分を救う宗教だった。
あの立ち上がり方をした彼らの向かう先に幸せはないと思うけど。
だけど幸せってなんだ。


東京で生きる私は、もう10年前と同じ都会に憧れるだけの少女じゃなくなった。
故郷を出て1人で暮らす東京は孤独だ。


だけど、孤独な人間が生きられるのも東京。
それも確かだと思う。


良くも悪くも東京は「私が生きていることを知っている人がいない」、それか「周りなんてどうでも良い人たちの集合体」。

だからこそ、「正しい生き方」から外れた人間が息をすることを許してくれる。



地方出身者にとって東京は1人の場所。
それが良い風にも悪い風にもなる。
沢山の人間の住む街で、分断された個人の声。



放っておいてほしい。

でも孤独はつらいから誰かと繋がりたい。

誰か私が生きていることを知っていて。

生きていることを誰にも知られない人間は本当に「生きている」って言えるのか?



だからあの部屋の人たちは、小さく僅かに繋がりながら各々の生を叫ぶ。

人生の掛け違いなんて、想定外のことなんてどこで起きるか分からないのに、ここで"ちゃんと生きる"ってどうすれば良いんだろう。 

叫び出したいのは東京の人に限ったことではないけれど。

彼らの生活の地獄の出口は結局見えないままで、変な勢いと高揚感のまま物語は幕を閉じてしまった。
あれからTwitterでそれ系のアカウントを見るたびにあの部屋で生きていた4人を思い出す。



これ、観る人が観たら相当しんどいだろうな。
谷さんの目と言葉で切り取られる世界。
28日までだそうです。




最後に明るい(?)話題!
ネットオタク歴長い私は「インドで夫がオオアリクイに殺された」ネタが懐かしすぎて1人で爆笑しました

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