20191107

フレーゲにとって〈客観性〉は非空間的であり 非現実的=理念的である / 神の全知についての議論が人間の間で交わされることをも 神は知っていたか??    神は我々の同一性を捏造しないと我々にsentenceを下すことができない!!    内なる呼び声としてのconscience 審判者である神と私の意識とが重ねられている  神も私も私の愚行を知ってしまっている  首尾一貫性を要求してくる consciousnessという概念は神の全知に由来するのではないか  〈私〉の一貫性は 何かの一貫性は 無知=忘却によってこそ支えられているのではないか?? 神に向けた語り 告白としての祈り 嘘をつけない相手への語りは告白となる 自分が何であるのかを確認する作業 世界を変えるためというよりはむしろ自己了解のための祈り=告白 personal identity  personal integration  元々はバラバラ??元々は連続??

フッサールの前提 実在=レアールは時間的・可変的  理念=イデアールは非時間的・不変的  実体と実在の関係は??    フッサールにあっての〈思念〉は心的作用である 〈心的作用〉と〈理性〉の関係は??    レアールとは 〈心的体験〉に結び付く述語である    貨幣の匿名性と欲望の顕在化!!    フッサールは世界と切り離された〈私〉が可能であると前提している?? そもそも純粋意識などあり得ようか??純粋とは??    契約の背後の不確実さ!!契約は不確実さの只中に確実さを捏造する!! ドロドロな部分をどうする?? 契約の本質は破綻し得ることにある!! stataticなものとdynamicなもの!!   理論は何故その理論が生じたのかを説明できなければならない!!   フッサールにとって〈意味〉は同一的で変わらないものである 様々な射映のうちで 〈机そのもの〉は一つの意味である  意味の次元はイデアールな次元である!!    レアールが可変的なもののことを指すとしたら レアールは世界の可変性を示す  他方理念は 人間が作り出すもの若しくは神によって与えられたものとして 不変的である  理念が人間的なものであるとしたら そのことは人間が神になったこと 神が死んだことの証左である!!    意味について 「あらゆる実在的統一は意味の統一である」にあって レアール-実在と〈意味〉とが取り結ばれている  意味はイデアールなものではなかったか??    「樹木の意識」における樹木は イデエルな「意味」敵対象=ノエマとしての樹木であり 不変である  燃やすと無くなるような実在物ではない  〈実的-レエール〉と実在物との関係は??  ノエマ自身は知覚のうちに実的には含まれていない 現実の期と同じように  現出する木の色とノエマとしての木の色は異なる  前者は陽光の当たり具合によって変化し 後者は同一的・不変的である  ノエマの同一性(ひいては木そのものは安定しているという仮象)はノエシスによる意味付与に由来すると思われる??  

ウィトゲンシュタインが「語られ得るものは明晰に語られ得る」と言うときの〈明晰さ〉とは?? / 生活せねばならない 例えば資本主義にあっては お金を稼がねばならない 社会から評価される文章を 哲学を 思想を紡がねばならない  こういった思想的妥協それ自体を容認するような思想を

正当化が必要なのは 他者との生活の中で〈私〉が〈私〉であるためにである  正当化という捏造は 生活のために起こる   懐疑主義者もドグマティコスらを餌にせずには生きていけなかったのではないか?? / デカルトの思想にあって 全知全能の神の概念がなかったら 彼の思想はどのようになっていたか?? 恐らくあらゆるものを懐疑の対象とし偽と看做すあの方法的懐疑まど行わなかったであろう 最後にはこの世界を保証してくれる神がいる ということが常に根底にあることで初めて 方法的懐疑が可能になったのではなかろうか?? ひとは 予め何か縋りつけそうなものを見繕って初めて それまでの自分を否定し去ることができるようになる / デカルトが「欺かれる」と主張できるためには デカルトは何らかの真なるものを前提としていないか?? 例えば塔の形についての真なる形が存在することは疑われていないのではないか?? このことは 感覚を通じて得られるものごとを全て偽と看做したあとでも疑われていないように思われる  塔が丸く見えたり四角く見えたりすることがあるということを理由に感覚の欺きを主張するということについて デカルトはここで 塔の同一性 塔の真なる同一的な形を前提しているように思われる / 

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