20191208

仮定(=仮設された前提)から出発するのは 帰結や条件が秩序立ってそこから生じてくるところの 無仮設の始源的原理へと行き着くためである byプラトン  プラトン以来の前提!! 神は受け入れる 信仰されることのみ可能なのではないか?? 神の存在の可能性や妥当性は主張され得るとしても 神の存在が十分に証明されることは果たして可能なのだろうか?? 始源的原理の存在を仮設=仮説を階梯として証明することの可能性

スピノザのコナトゥス概念は 何に由来するのか どのような系譜を辿ってスピノザの体系の中に結実したのか??

カントの統覚は 要請された結果として打ち立てられたものであろうか?? おそらくそうであろう 現に一つに世界がまとまってあらわれている その一なるまとまりの〈現に〉が要請するもの としての統覚  「超越論的ループ」の結果として統覚の存在は要請されるのではないか??  そもそも世界が一つにまとまってあらわれている というスタート地点が 超越論的ループを経て初めて可能になるものである  すなわち そのスタート地点においては 出来事=事件はすでに排除されている  カントと出来事!! 自己循環-中動相と神!!  出来事と神!!  要請という制度に出来事性を突きつけたらどうなるか??

///小幕間///

純粋理性批判について その出版前にカントは 或る手紙の中であと三か月以内で出版すると述べる しかし結局出版するに至ったのは その手紙の9年後であった

結婚する直前の虚無を 例えば女は 如何にして満たすのだろうか  バスケの試合を入籍後に 男友達と見に行くか  全く興味のないバスケの試合を 夫の知らない男友達と  婚約=契約と浮気  もれ出づる月の影のさやけさ  秋風にたなびく雲の絶え間 より

視霊者の夢が 結局のところ無しかもたらさないことは 形而上学者の夢が結局のところ何ももたらさないことである  視霊者の「無」的なありかたを暴くことは 無知を自覚させること 我々の理性の限界を画定すること  学批判  理性の限界の画定は知恵である

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