20191207

都会の女学生らが体現している 生命力と諦念との融合状態が欲しい 

沈黙の声に気づけ!! 充満しているものどもの裏側 光を放つ太陽の奥の闇

徐々の変化を抹消していくプラトニズム=キリスト教 神は一瞬にして知り・意志し・創る    我々は徐々に変化していく やりとりの中で!! 

目覚めとは信仰に目覚めることか 信仰から目覚めることか そして何が不可能なのか!! 〈純粋さ〉〈引き裂かれる心〉

ランボオの「純粋さよ!!」という叫びは 単にエデンの園を求める声ではない そうではなくてキリスト教的なものとそれ以前の純粋さという構図を脱することの根源的な不可能性を理解した上での 純粋さへの渇望である 構図の外を思い描くことすらその構図のうちにあってのみ可能なのである!! 不可能であることを理解しながらも渇望することは プラトニズム的=キリスト教的か??

ふと夢から目覚めたときの世界が夢の中ではないと言い切れない ランボオと夢

表面のその裏を見ることはできないが 表面が表面に過ぎず張りぼてであり その裏が存在している ということは分かることができる  あなたを全ては理解できないが 理解できない部分が必ずあるということは理解できる

全てを言い切ることを躊躇い 宙づりのままにしておくこと  どちらも肯定しない 中間状態 宙づり 両義性 あいまいさ どっちつかずの善さ

言葉の壊乱を通じて 言い表せないものを露わにしていく 「自分の書く言葉自らの生きる経験の真実に釣り合うことができなくなった」とはどういうことか??言葉と経験の関係 飢えの言説にあっては 経験が言葉を置いてけぼりにして先走っている 言葉では言い表せない事象と〈未知なるもの〉との関係は?? 〈未知なるもの〉と言葉の関係は?? 言葉について反省の目を向ければ 言葉のうちに現前させることのできない夜のざわめきがあることが分かる その夜のざわめきを言い表そうとすることが言葉の錬金術の試みであったか?? というよりも寧ろ 言葉の壊乱を通じて夜のざわめきに到達しようというのが錬金術ではなかったか?? 錬金術にあっては 断じて経験が言葉に先行することは無かったのではないか?? 言葉に先立ち現前する経験など ランボオにとって価値ないものではなかったか?? 言葉の錬金術は 言葉を壊乱させることによってのみ出会われるものを目指していたのではないか??言葉の壊乱なしに経験の中に現れる「今のところ語られ得ないもの」などに価値はないのではないか??

アカデミズムの論文に正しさなどあり得ない!! まさに日記が 雑録が書きつけられる瞬間 整理されていない言葉が ころころと裏切るように身振り手振りを変えながら現れ出るとき そこに真理に近いものがあるように思われるのである  現在進行形のもの または未完のまま書き捨てられたもの!! そして終止符の虚構性!!

神に到達できないという諦念はもともとキリスト教の内部にあったものである 未知なるものへ向かわんとするランボー的な試みにもまた 諦念は孕まれるであろう ランボー的な〈未知なるもの〉をキリスト教の神の無限性から区別せねば!!

〈同〉は或る側面では固有であり 他の側面では固有でない 大衆はみな同じ顔つきをしている!!

決定の不可能性 純粋さの不可能性!!

言葉にあっては 自分であることと自分のシミュラークルであることとが 根源的なしかたで重なっている  言葉とイデア 言葉と神との類似!! 神にあっては存在そのもの=存在者が重なっている!!

//幕間//

外国人娼婦 出稼ぎにきた外国人娼婦は 出稼ぎ先の国の言語を流暢に話してはならない!! 言葉を話さないことにおいてのみ見ることのできる夢と高揚があるのだ!! 

ヒュームのように独断論と懐疑論との間に漂い続けること ランボオのように分裂すること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?