誰のせいでもないことが一番やっかいなの。
そう。
わたしはいつものように誰かのせいにしたかった。
子供のころ、よく母に言われていた。
"ほら、またヒトのせいにして!"
わたしは、わたしが悪いことをしても、
"○○があんなことしたから、仕方ないじゃん"
"○○が先にしたんじゃん!"
なんて、ヒトのせいにしてしまう子だった。
子供ながらにも、ヒトのせいにしてしまうたびに、なんだか分からないけれど、自分の価値が少しずつ少しずつ下がっていくような感覚を持っていた。
でもそれを感じながらも、自分の悪いところをまるっと受け入れて、言葉として発することができずにいたし、心の中も同じだった。
そう。
わたしは捻くれていた。
いつも素直になれずにいた。
大人になった今も、たぶんまだその思考は残っているし、どこかでいつも逃げ道を考えてしまう。
…
ドラマ silent 第五話を、見逃し配信で昨日見ていたのだけど、出てきた言葉に、心がズキッとした。
ヒロインの相手役で"耳が聞こえなくなった男性"のお母さん役、篠原涼子さんの台詞。
ズキッ。
そうだ。わたしはいつものように誰かのせいにしたかった。
父のせいにしたかったし、もしかしたら、遺伝ってこともあるのだったら、父のお父さんお母さんのせいにしたかったし、環境のせいにしたかったし、
父と結婚した母のせいにもしたかったし、
まだよく解明されていない世の中のせいにもしたかったし、
とにかく、いろんな"せい"にしたかった。
でも、結局"せい"に出来なくて、それが今もわたしをときどき苦しめているのかもしれない。
いっそ嫌いになれたら、良かったのに。
いっそ父を嫌いになれたら、楽だったのに。
…
父とは、もう20年近く会っていない。
わたしが中3の時に別々で暮らしはじめ、
最後に会ったのは、父が住んでいた父方の実家が火事になった時だ。
私が二十歳そこらの時。
その時、その実家には、父しか住んでいなかった。
父のお父さん(祖父)はわたしが保育園生の時に亡くなっていたし、父のお母さん(祖母)は火事になる数年前に亡くなっていたし、父の弟(未婚)は病院に入院中だった。
わたしは、母方の実家が、わたしの住む家になっていたので、その時は、家の台所にあるテレビのニュースを見ていた。
そしたら、
火事のニュースが流れてきて、それが見覚えのある家だった。
小さい頃何度も連れていってもらった、いろんな思い出が残る家の形とそっくりだった。
まさか。
と、思いながら、その時出かけていた母に連絡をとり、
どうやり取りしたのかは覚えていないのだけど、やっぱり父の住む家、父の実家ということがわかり、そのまま母と2人で警察署に向かった。
警察の方の話によると、
火事の原因はおそらく父のタバコの不始末だろうことと、父は火事のときには幸いにも出かけていた、ということを聞いた。
そして、近所の方は、誰か家に残っているかもしれないと、煙が充満した家の一階の窓ガラスに体当たりして中に入って確認してくれたみたいで、本当にありがとうございます、近所の方が無事でよかった…という気持ちだった。
不在だと判明した父の行方も、間も無くして、警察の方に見つけてもらい、保護されていた。
警察署でお話しを一通り聞いて、
そのあと、近所の方々へのお詫びの菓子折りを用意して、火事の現場の父の家へ。
全焼に近い焼け方だった。
(のちに、全焼と認められた)
悲しかった。
もうないんだな…
母としばらくながめていた。
どこにでもある昔ながらの家だけど、
インテリアは少し洋風も感じさせるものがあって、キリスト教だった父方は、仏壇がキリスト教仕様だったり、親戚で集まっていろんな時間を過ごしたり、主である祖母は、とても気品がある喋り方でいつも優しくて言葉も動作もとても丁寧で、
家まるごとあたたかい祖母の思い出だった。
その祖母とは、火事の数年前にお別れはしたのだけれど、火事になって、家がなくなって、もう一回お別れをした気分になった。
でも、祖母にとっては、亡くなってからの火事でよかったのかもしれないね
わたしと母でご近所の方へお詫びの挨拶をしながら周り、
そのあと、警察署から病院へ移送された父に会いに、病院へ行った。
実は、わたしは父の病院へ行くのがこの時がはじめてだった。
そこは、精神的な病気で入院するひとたちがいる病院。
父は統合失調症だった。
統合失調症のなかでも、少し重めの症状だったと聞いている。
病院に着いて、初めて院内に入ってみると少し違和感を感じた。
病院の大きさは、総合病院と変わらない立派な大きな建物なのに、とてもとてもシーンとして、人気が全くない。すごく気になる。
休日だったのもあるのかもしれないけれど、総合病院とは明らかに異なっていた。
入り口近くの電話で、母はどこかに内線で連絡を入れているようだった。
人気のない廊下を歩いていく母の後ろをついていく。
そして、エレベーターで上へあがる。
目の前に見えたのは、二重のとびら。
父がいたのは、閉鎖病棟だった。
映画でなんとなく見たことはあったけれど、
患者さんが自由に外に出られないように、インターホン越しの向こう側の看護師さんに認められない限り、固く閉ざされていた。
その閉ざされた頑丈そうな二重ドアが開くと、母と中にすすんでいった。
中には、いろんな人がいるようだった、
はじめての入る空間だったので、わたしにはとても居心地が悪い。
どこを見ていいのか分からない。
壁伝いに歩く人。
何かぶつぶつしゃべっている人。
叫んでいる人。
目を合わせたら、なにかされるんじゃないか、ってなんとなく怖かった。
父は、わたしが小さい頃に統合失調症を発病して、そこから何度も入退院を繰り返していた。火事になった時は、症状が幾分か軽くなったのか、退院して自宅で過ごすことが出来ていたのだけど、火事をキッカケにまた病院に戻ることになったみたい。
数年ぶりに会った父は、以前と変わらず、ぶつぶつぶつぶつ何か言いながら、ときどき言葉に詰まりながら、あまり的を得ていないような会話のやりとりを母とかわしている。
わたしは母の隣にいたけど、この時直接父と会話を交わしたんだろうか。
思い出そうとしても、思い出せない。
のちに、わたしは、またこの病院に、一人で訪問する自体が発生するのだけれど。
その時は父には会わなかったので、
その時以来、わたしは父に会っていない。
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