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小説「オリジナル小便カーニバル」2024/06/15──非おむろ

 ベルトコンベアに飛び乗ったかと思うと、クロワッサン達をむしゃりむしゃり!
「うわあっ、なっ、なっ……。」
 若藤(わかふじ)さんがおろおろと犬から遠ざかる。犬はベルトコンベアを失踪。社員達も騒然となりつつこちらを見ている。
「せっちゃん、こっちへ逃げて来い!」
 そう叫んだのは五十根(いそね)君。私と同じ苗字の男の子。若藤さん──〝せっちゃん〟とは若藤 芹葉(わかふじ せりは)さんのことだ──は別に犬に襲われていたわけでもなく、最接近時でも二米(にメートル)程は離れていたが、五十根君の声に応じて、こちらへ駆けてきた。
「ひぃ、ひぃ、ふぅ、何あれ、何あれ……!」
若藤さんはそう言っているが、まあ、本人も分かっているだろう、犬だ。問題は何故、首輪のついた大型の犬畜生が、パン工場の袋詰め生産ラインのある区域に闖入(ちんにゅう)してきたか、だ。
「これは……とんでもない損害額だぞ……。」
 私の隣で青鹿(あおしか)君が呟く。

 犬達が暴れ廻るのを、我々初日のバイト四名は勿論、社員さん達十数名も、ざわざわしつつ、遠巻きに見ていた。
 私はどさくさに紛れて、袋詰め済みのクロワッサン一つを、服の中へ忍ばせた。窃盗だ。

 五分後、厚化粧の老婆が闖入してきた。
 社長夫人だった。
「あーあーあーあーあーあー!!!!!!!!!! 琥珀たん!!!!!!!!!!」


   ***


「損害賠償!!!!!!!!!! 全額払って貰いますからね!!!!!!!!!! 屎(くそ)バイト共!!!!!!!!!!」
 正直、経緯がよく分からないが、一時間後にそのように社長夫人に吐き捨てられ、私達は馘首(くび)となっていた。

 別室。
 白髪交じりの工場長に対して、五十根君は良い姿勢で堂々と言い放った。
「我々が指示通りに作業していたら、社長夫人が飼われていらっしゃった犬が──」
「琥珀さんね。」
 自棄糞(やけくそ)じみた工場長のチャチャに対して五十根君は一切聞く耳を持たずに続けた。
「生産ライン付近を荒らしました。そして、それが本日が初日の我々新人バイト四人の責任であり、解雇するし、賠償もせよと? ……裁判ですね、これは。」
「まあ、聞いてくれ。」
 チャチャを入れていた時は半笑いだった工場長が、今、怒りと哀しみの半々の表情で、神妙に語り始めた。
「工場長である私にもどうしようもないような力関係が、社長の一族と社員との間には有ってね……。君達。時給一二〇〇円で本来ならば本日は六時間やるところを、三時間半で……いや、三時間で、〝ハプニング〟により終了したわけだ。」
 いや、四時間は過ぎていたけどな──と私は言おうか迷ったが、言わなかった。
 工場長は続ける。
「故に一二〇〇円×三時間=三六〇〇円……それに……うん……一五〇〇〇円を足そう! 君達。うん。端的に、言う。一人に対して一八六〇〇円を、今、現金で渡すよ。──みつるん、用意して。一八六〇〇円を四人分。」
「はい。」
 みつるんと呼ばれた銀縁の円眼鏡のおじさんは、奥の部屋へと駆けていった。工場長は咳払いをして、目を伏せながら言った。
「それだけ配るからさ、馘首(くび)になってくれないか。それで、今日のことはもう忘れて、誰にも言わないように、ということで。……。」
 三十秒黙った後、工場長は私達の目を順々に鬼の形相で睨み付けて、最後、若藤さんの双眸(そうぼう)を睨み付け乍(なが)ら、低く鋭く、静かに叫んだ。

「いいね?」



   ***



「納得行くんだか行かないんだか。」
 青鹿君が揺れながら言った。四人共、鞦韆(ぶらんこ)に座っているのだ。六月下旬だというのに、空梅雨(からつゆ)も空梅雨で、快晴。パン工場から五分程歩いたところにある河川敷公園まで来ている。
「セネカぁ、でもさ、まあ……いいだろ。一八六〇〇円貰えたんだから、ラッキーさ。屹度あの犬が荒らした、踏みつけ済みクロワッサンや涎(よだれ)付きクロワッサンも……市場に出回るんじゃないの? 知らんけど。」
 五十根君が夕焼けの色になりつつある西の空を眺めながらそう述べた。かっこいい。
 若藤さんは半泣きで黙っていた。後に、ぼそりと、
「……そんな……汚いよお……もうクロワッサン食べられなくなっちゃう……。」
と風に囁いた。

 若い。



 四名が鞦韆に、静かに座っている。四名の前を、どこにでもある町のどこにでもある川が、流れてゆく。──どこにでもある、と言っても、本当はそんなことはないんだ。〝普通の町〟なぞ、一つもこの世には無いんだ。考えようによっては、ね。
 ここは、普通の町だ。
 小さな山に中ぐらいの川に大きな田の町。海の見えない町。

 私達四人(よたり)は、本日の朝も早く来ていたが為に結構話し込んだわけだが、折角だから、改めて少し話した。私以外の三人(みたり)は、短大で知り合った三人(みたり)で、卒業後、フリーターをしている。三人(みたり)と私は今日が初対面だ。新人バイト初日で、まさかパンで犬で馘首(くび)とは。


 若藤 芹葉(わかふじ せりは)、二十二歳、女。綺麗であり可愛い子だ。可愛い、が強めか。虫が好きらしい。巨乳。飼っていた、雄の皂莢虫(さいかちむし)の久遠(くおん)と雌の皂莢虫の斧靫(ふせ)が最近他界し傷心だとか。廃炭坑へ続く廃線の途中で、紫色のジュースが売っている自動販売機を見かけたらしく、「また見つけたいのに見つからなくて靄靄(もやもや)している」抔(など)と云(い)っている。〝紫のジュース〟が、パッケージが紫なのか中身の色が紫なのか、缶なのかペットボトルなのか瓶なのか、判然としない喋り方だった。ただ、「紫は紫でも葡萄じゃない!」と云(い)い張っている。妙だ。(更に云えば〝どうでもいい〟わけだが、こういうことを〝どうでもいい〟で片付けてしまうと、人生そのものを〝どうでもいい〟と評するようになるだろうから、簡単にこの〝紫のジュース〟を無視することは許されないような気がする。)
 若藤さんは三人の中では、せっちゃん、と呼ばれている。


 五十根 圭森(いそね けいしん)、二十二歳、男。かっこいい。苺の夜光ストラップをマップケース──小型の肩提げ鞄(昔の郵便屋さんが使っているようなヤツ)──に結んでおり、それがお気に入りらしい。かっこいい。「辛いものを食べるのって自傷行為と一緒だろ」ということを少し云っていた。かっこいい。でも、食べてしまうらしい。かっこいい。「面白いスニーカーですね、蠅叩(はえたたき)のプリントがされているんですね、カケイサン。」だって。かっこいい。
 三人の中では、五十根君、と呼ばれている。


 青鹿 豆凉(あおしか とうりょう)、二十二歳、男。五十根君が男性アイドル的なかっこよさだとしたら、青鹿君はもっと〝男性であること〟が全面に出ているかっこよさだ。五十根君は別に単体で眺めていても中性的には見えないが、青鹿君の隣だと、中性を通り越して女性にすら見える。で、背の高い五十根君より少しだけ身長が低い青鹿君は、冗談なのか分からないけれど、「借金をしているんだ」だとか、「釣餌用の虫の赤磯蚯蚓(あかいそめ)を養殖して儲けようとしたが上手く売れない、もう食うしかなくなっちゃった」だとか、愉快な笑い話を連発した。
 セネカ。それが三人の中での青鹿君の渾名らしい。
「何でぼくが〝セネカ〟って呼ばれていると思いますか、カケイサン?」
「……えーっ……? ……えーっ……?」
「……ふふ、それは、浅瀬の〝瀬〟に〝音(おと)〟と書いて、〝瀬音(せね)〟というハンドルネームでネカマをやっていたことが短大在学中にバレて、〝瀬音(せね)〟+ネカマの渾名(あだな)として、〝セネカ〟が爆誕したってわけですよ、カケイサン!」
 太陽のように笑う青鹿君。


 私は自分のことはあまり話さなかった。今朝の雑談を含めても、名前が五十根 鍋桂(いそね かけい)であること、三十五歳であること……うん、それぐらいだ。云ったのは。大学を中退したことだとか、鬱で塾講師を辞めて長い間ニートをやっていたけど両親が病気になったからついにフリーターを始めたことだとか、そういう余計なことは話していない。
 五十根君と同じ苗字だが、正真正銘の初対面で、血縁も無い。
 つまり、結婚しても一向に差し支えないというわけだ。
 私は。
 女。
 うん。女だ。



 西陽が愈々紅を主張し始めた頃、青鹿君が或る提案をした。
「来週の土曜、論壇街(ろんだんがい)のプールで掃除のアルバイトが有って……オイシイことに、八時間で二一〇〇〇円なんよ。ミズカマキリが大量発生したらしくてさ、キヒヒ……。」
 ひぇっ、と私は思った。併し乍ら、若藤さんは目を輝かせて、
「えーっ行きたい!」
とのこと。そうだ。この女、虫が好きなんだ。
 私は、云ってみた。
「……あのう……。……あのう……。……私も、行っても良いですか?」
「……無論です~。論壇街のプールって、あの、国道沿いのバームクーヘンのオブジェのところの……分かります?」
という青鹿君の回答に私は、
「分かります分かります!」
とルンルンで答えた。その後、青鹿君が集合場所や持ち物等に関する詳細を滔々と述べた。私は、ボールペンはあったものの手帳を忘れてきてしまったので、座り込んでいた鞦韆(ぶらんこ)を放棄し立ち上がって、近くにあった葛(かずら)の葉を千切り、そこへメモをした。
 落陽。真っ赤な夕焼け。まさに空梅雨。

 来週が楽しみだ!



   ***



 まだ六月は終わっていないが、今日と明日のアルバイトが終われば六月は終わりに垂(なんな)んとしてしまうという状態だ。
 今日も流石に空梅雨(からつゆ)で、午前九時、快晴ではないが、晴れ。日射しが厳しいのなんの。

 で。

 よく分からない状況になっていた。

 青鹿君が解錠して、既に我々四人(よたり)は、プールサイドに立っていた。全員孔空きの走れるビーチサンダルだ。日向では既に暑さが加速している為、日陰で、四人、立ち、輪に。四人でも一応まあこれは輪だろう。
 青鹿君は、早口ではないが、淡々と滑舌良く、我々へ告げた。
「いやはや皆(みんな)。五十根君、せっちゃん、カケイサン。三人(みたり)には謝らねばならない。実はミズカマキリの群れはいない。施設から頼まれたアルバイトというのも、嘘。実はぼくも借金が嵩(かさ)んでいてネ~、ここらで発明品で当てて、一発億万長者になりたくてね。で、借金返済、と。えー、あのさあ、五十根君はこの装置を腰と陰茎に装着して自慰行為をしてほしい。結構荘厳な金属のようにみえるけど、ほら、人体と接触する部分はジェルやゴムが優しく吸収してくれるからさ、OKなのよ。これは自慰行為で発電をする装置。これが本当の〝発電〟なわけだ。で、せっちゃんごめんね、脱いで下さい。五十根君の〝おかず〟になって下さい。あ、五十根君が腰を下ろせるように今、ビート板をこの日陰に敷くね~、っと。(複数のビート板を敷きながら)あ、カケイサン、本当にすみませんでしたね、騙しちゃって。部外者であるカケイサンも呼ぶんだから、まず、五十根君もせっちゃんも騙せるんじゃないかな~って思いましてね……。申し訳ありませんでした。ではお達者で!(複数のビート板を敷く作業を続けている)」

 私は、頭の中がぐちゃぐちゃの闇鍋のようになってゆくのを感じつつも、集中して一本の光のようなイメージの声を搾り出した。
「……あの……っ……私も協力します。脱ぎます、私。」
 既に全裸になっている五十根君と若藤さんは、この発言に驚いていた。……というか、私にとってみれば、この青鹿君の発言を聞いている最中に脱ぎ始めた若藤さんの方が驚きだし、更には、最初は怒りの表情(かお)を展示していたにもかかわらず若藤さんが脱ぎ始めたのを見てから脱ぎ始めた五十根君の方が驚きだ。
 ──半分嘘。驚かなかった。一週間前の、我々が出会ったあの日の〝視線やら何やら〟を総合して考えると、どうやら五十根君は若藤さん……うん、若藤を大好(おおごのみ)しているらしく、若藤は青鹿君を大好(おおごのみ)しているらしかった。


 強い日射しを断続的に雲が遮ったり遮らなかったりしている。依然としてまだ晴れの範疇には入るだろうが、雲が少し出てきたようだ。
 風が、涼しい。


 私は、改めて、叫んだ。
 嗚呼。
 恋する乙女である私──膝が……震えていた!
「私も脱いで、協力します。だから! だから、うん、端的に云うね、五十根君と青鹿君、どちらか余った方は……私と付き合って下さい!」
「無理。」
「きついっす。」





 〇・〇一秒後に五十根君、〇・〇二秒後に青鹿君からそのような返事が、あった。





 ぶぢり。



「やめて! なんでそんなことするの!」
と媚びに媚びた薄汚い声で叫んだ雌猫は、若藤だ。おお、私は気がつくと、五十根青鹿の両菊門に信じられないような力でトー・キックをお見舞いしていたようだ。
 二人の血塗肛門(アカボシ)は悶絶を続けている。あー、スニーカーは紅に染まっている。蠅叩(はえたたき)のプリントだって、鮮血でコーティングされていやがる。全裸の五十根と着衣の青鹿の、正直金玉を狙ったのだが、二人は身を咄嗟に捩って菊門で受けたわけだ。
 併しまあ、感触からして五十根は疣痔(いぼじ)を、青鹿は切痔(きれじ)を既に患っていたらしい。


 渠等咎人(かれらとがびと)の生き地獄はまだまだ続くとして、私は全裸の性犯罪者、どぐされビッチに歩み寄った。名前、忘れたわ。この雑魚の。

「カケイサン! いや、カケイ! おばさんねえ! 何すんのよ! 二人に……二人に謝れ変態婆(ばばあ)! そんでもう、近付くなや屎年増! 何なんだよガチで! 青春拗らせてんのか知んないけどイキ遅れの汚物が若者に近付くな! 陰キャのコミュ障さんさあ、キ~……ッショ! 私の二人の騎士(ナイト)の、大切なところを、」



 バーッギ!!!!!!!!!!



 莫迦女の話の途中ではあったが、物凄い音がした。どうやら私の全力の蹴りが、眼前の屎雌(くそめす)の陰核を砕いたようだ。
「……あ……。……こひゅ……。……あぎがががががががががががががががががががが……!!!!!!!!!!」
 若いだけの軽薄あほゴミださビッチは崩れ落ちた。力無くげぼも吐き始めている。鼻に踵落としをした。
「びげえ!!!!!!!!!!」
 噴水の如き鼻血がプールサイドを彩る。
 私はのっしのっしと出入口の方へと歩く。ふと、ドサンピンメスのトートバッグが傍らに置かれているのに気がつき、歩み寄って、中を改めた。

 財布がある。〇秒で自らのポケットへと入れた。

 化粧セット。ナヴァナリタ・エア……私でさえ知っている高級ブランドだ。化粧セットは助走をつけた大遠投でプールの背の高い柵の向こうの藪へと投げ棄てた。

 スマートフォンがある。裏に、可愛らしいキャラクターが、
「ひま~♡」
と鳴いている絵が書いてあった。

 私の体重の全て──と云ってもたったの九〇瓩(キログラム)しかないが──をかけて、粉々に踏み潰した。

 私は人生で一度も、暇、などとほざいたことはない。気力が無いから休みたい、等なら分かるけど──あのー、ね。暇、と人生で一回でもほざいたことがある奴って、紐無しで最寄りの山の送電塔からバンジージャンプをしてくれないかな?
 暇、とか云うな。暇とか。生まれてから一回も苦労したこと無ェのかよボケ。

 クロワッサンがある。一袋。クロワッサンが。






「……そんな……汚いよお……もうクロワッサン食べられなくなっちゃう……。」




 そのように、鞦韆(ぶらんこ)の上で云っていたのは、何だったの? 嘘。



 あは。

 あはははは。


 外見良い女ってやっぱりごみなんだ。これ、証拠じゃん。責任能力無し? 自分の全ての行動に対して、責任を取るつもりがないってこと? ……そうだよね。愚かな感情論のみで生きている、著しく頭の悪い生命体。あほ。罪悪感を生まれてから一度も感じたことかないんだろうな、この被害者面(づら)した加害者のお姫様。
 特に言葉の責任を感じることもなく、媚びたんだね。ぶりっこしたんだね。だって、鞄の中にクロワッサンが一袋。

 けくけくけくけくけく。

 笑いが、込み上げてきた。



 私はクロワッサンを急いで開封し、それを持って猛ダッシュであほ女の元へと駆け寄った。女は相変わらずのたうちながら横たわっている。ぴくぴくぴく、と、動いている。

「おらッ!」

 くそあまの菊門に、クロワッサンを挿入した。詰め込む。詰め込む。詰め込み教育。クロワッサンをINし切る。ボケが。人生舐めんな。ここは地球だ。クロワッサンの滋養浣腸を、有難く思え!

「うぎゃ、うぎ……やめて、やめ、や、ひ、ひいい、なんで……いががががご……挿入(い)れ、挿入(い)れないで……あが……げろろろろぼお……。」

 びぢゃびぢゃじょぼぼぼぼ……。くそあまは嘔吐し乍ら小便を曇天へと放出した。相当な量の尿だ。全裸の痴女。若いだけのごみ。
 顎を蹴った。くそめすはのたうち回った。

「ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが! ぼけが!」

 クロワッサンがチョコクロワッサンとなり再びこの浮世に姿を表した途端、ぽつり、ぽつり、そして、ダダーッ、と、篠突く雨が降ってきた。いつの間にか、黒い雲が完全に天を支配していた。
 空梅雨(からつゆ)は、〝空(から)〟ではなくなった。


 雄二疋も雌一疋も、豪雨の中、ぴくりぴくりと痙攣し乍ら倒れている。金玉四つを撫でるように辷(すべ)り滴る玉露に、私は痰を吐いた。軈(やが)て、四球を視ることが難しい程に雨脚が強まってきた。私は、プールの出入口にぐにゃりぐにゃりと絡まっていた配線の如き植物の蔦を用いて、三疋の愚かな生命体を縛った。渠等は豪雨の中、私に為されるが儘(まま)にされていた。
 雄二疋の財布も盗(ギ)り、私はプール施設を後にした。この果てのない闇鍋の内側で、雑魚共は永遠に反省をしてほしいものだ。若造。ナルシシスト。あほ。

 雨、風、共に愈々強(いよいよしたた)か。視界の脇の川を龍宛(さなが)らの流木が流れてゆく。


 おお!

 三つの財布を携えて私は、雨の中、廃炭坑へ続く廃線へと走っていた。気がついたら、走っていた。本能的に、紫色のジュースが売っている自動販売機を見たくなったのかもしれない。

 既に店どころか民家も無いような、山道だ。普段の梅雨の町。否、その綴り方では甘い、普段の梅雨のイメージより大幅に……烈しい。梅雨というより、嵐。嵐の中を走る。
 尿(いばり)の意(こころ)が発生したが、私は立ち止まらなかった。菊門をクロワッサンが通過することにより失禁する、といったような、意味不明なブス若メスごみと私とは、訳が違う。私の方が、女としても、人としても、遥かに上なのだ。
 尿を出しながら全力疾走を続ける。暴風雨は、私の人生の禊(みそぎ)に協力してくれているかのようだった。そういえば、私、パン工場から偸盗(パク)ったクロワッサンは何(ど)うしたんだっけ? 食事(パク)っといったんだっけ? 何(ど)うでもいいか。
 走る。走る。走る。

 ズボンやスニーカーの血が、洗われてゆく。スニーカーの蠅叩(はえたたき)のプリントが、雨水の中踊り狂い、若々しき曜(かがやき)を纏いつつある。そして、尿意。

 放つ。放つ。放つ。

 大嵐の中の疾走をし乍らの放尿。良いスポーツだ。音がもう、雨。風も強いが、とんでもない降水量だ。
 走っている。走っているが、雨の音しか聴こえない。

 私は、何なのだろう。私とは。

 私とは?

 走るしかない。もう、走るしかないんだ。これは、祭だ。自己であり、祭だ。

「カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル! カーニバル!」

 絶叫は荒れ狂う梅雨の最中へ溶けてゆく。噫(ああ)。これが、私なんだ。このカーニバル自体が、私!

 尿意の儘(まま)に。
 オリジナルのお祭りだ。これが、本当の放尿なんだ。
 自我なんて、集まっているともいえるし、散っているともいえるんだ。走れ! 走れや走れ!
 更に強くなることはないと思っていた雨脚が、更に強くなる。弾丸の如き雨粒!
 これが、私のクオリアの──主観の祭の、オリジナルなんだ!
 オリジナル小便カーニバル。

 私の行方は、誰も知らない。




     ゆく自我や尿と雨打て蠅叩



 私の行方は、私も知らない。









        小説「オリジナル小便カーニバル」2024/06/15──非おむろ / 8560文字






 




 
 



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