短編小説「お、点在やんけ!」
「いや、ですから、脱いで下さい。」
食券を買うことなく、五十代ぐらいの白髪の警官は、ゴナオガールに言った。冷静を装っているようだったが、その声は震えていた。声のみならず、体も震えており、うだつの上がらない人生を送って来たのであろうことが、残念ながら、見て取れた。ただの数秒に満たぬ立ち居振る舞いで人間を断ずるべきではないとは分かっているが、私は、謂わば〝同族特有の察知〟を無意識的に、していた。
ここは山間部の寒村の県道沿いの牛丼屋。三名の人造人間がメインで運営しており、たまに私のようなうだつの上がらない人間を、清掃及び警備の名義で、シフトに入れるのだ。有難い話だ。本当だったら、もう一体人造人間を雇えば、もうそれで〝完了〟だ。A永久的に美味しい牛丼を振る舞うAIの牙城が成立する。
私は、お情けで働かせて貰っているのだ。四十代、特技無し。私は、ここではエックス・キュウ・サン・ハチ・ゴ──X9385と呼ばれている。ここでは、と言っても、ここ以外に私は誰かに呼ばれたりなど、もう、しないが。
「脱ぎなさい。」
警官は警察手帳を掲げながら、ゴナオガールに再度──いや、再々々々々度、か?──促した。
店内の三名の人造人間は、下記の通りである。
食券機人造人間・コノオボーイ。二十歳ぐらいの外見に見える、凛々しい人造人間だ。清潔感のあるカウボーイ、といった雰囲気。
配膳機人造人間・ゴナオガール。二十歳ぐらいの外見に見える、美麗な人造人間だ。明朗なフライトアテンダント、といった雰囲気。
調理機人造人間・イジジシェフ。六十歳ぐらいの外見に見える、荘厳な人造人間だ。剣術道場の師範を思わせる風貌は、厨房を垣間見た客を圧倒させる。
「ぬ、脱げと、言っているだろう……!」
警官のおじちゃんは、もう、何だか、泣きそうだ。職場に居場所が無く、不遇な毎日を過ごし、やっとの思いでセクハラをしに牛丼屋へ駈け込んだら、客が一人もおらず、吐きそうだっただろう。隣に突っ立っているコノオボーイを無視し、カウンター越しに立っている美しく麗しいゴナオガールへ、最後の望みをかけて、脱衣を命じている。
「ぬ、脱がないのなら、ぼくが脱がせてや──」
「ピーッ、ピーッ、プログラムOCB55に該当、プログラムOCB55に該当、状況を展開します。」
勇ましい声を突然上げたのは、コノオボーイだ。彼のAIは、秩序を乱す客には容赦が無い。ここ数年だと、だいたい一週間に平均六名を複雑骨折させている。
コノオボーイは脇腹のハッチを開け、素早くカラーボールを取り出し、警官に──哀しき中年色魔に投擲した。一球や二球ではない。現時点で二百球。発射はまだ続いている。
「うわあああああああああああああん! 勘弁してくれよおおおおおおおおおお! ぼ、ぼくはただ、女の子の裸体に精子をかけたかっただけで、特に暴力を振るうつもりはないし、ほら、ね、うわああああああああああああああ!」
カラーボールはオレンジ色の蛍光色。オレンジの匂いもついていた。おそらく、オレンジジュースと蛍光ペン用のオレンジインクを混ぜたものだろ う。
コノオボーイが淡々と、しかし、凛々しく言う。
「この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。」
AIの独特の判断が、繰り返される投擲の中で、音声として浴びせかけられ、田舎の牛丼屋の内部に、狂った柑橘の花が咲いた。
「ぼく、ぼく、だって、いや、あの、」
「この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。」「いやあの、既婚者って膣(なか)に出しているんだよ!? それは、暴力ですよね!? いや、合意の上みたいな風潮ありますけど、それって、女性に対しての威圧的な環境が元々社会にあることを悪用していて、だって、おかしいでしょ、ほら、じゃあヤリモクのイケメンは、自分が出産するんだったら交尾するのかというと、あいたたたたたたたたた、」
「この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。」
ゴナオガールには、表情を変化させる機能があり、頬を赤らめたり、恥ずかしがっていることが一発で伝わるような絶妙な表情(かお)をしたり出来る。だが、今は、真顔。喜怒哀楽の全てと無縁の真顔で、ただ、突っ立っている。
「この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。この、オレンジと蛍光ペンの匂いで、塾などを思い出し、反省しなさい。」
コノオボーイの投擲はまだ続く。警官のおっちゃんはもう、土下座に近い体勢になっている。蹲(うずくま)っているのだ。
厨房では、今展開されている地獄絵図の方を瞥(み)もせずに、イジジシェフが淡々と仕込みをしている。私の周囲の空間はオレンジの匂いで塗り潰されているが、イジジシェフの周囲の空間にはバジルトマトチーズハンバーグの材料の匂いが、勢いよく躍っているのであろう。
投擲が止んだ。
警官は蹲ったまま、嗚咽している。
誰も、喋らない。
午後六時を告げる、山寺の鐘の音が、遠く、遠く、響いて来た。
私は、もう、他人事(ひとごと)と思えず、叫んでいた。
AIに かけたき白は 橙に
そこまで──上の句まで叫ぶと、もう、泣きじゃくって、警官と同じような体勢になるような勢いで、へたり込んでしまった。
五分経過。
皆、そのままだった。
「……ザザッ……。」
ふと、防犯カメラの隣のスピーカーがONになる音がした。どうやら、事態を把握している、この地域の牛丼屋を纏める事務所からの、放送のようだ。
「……ザザッ……涙に濡れて、」
「涙に濡れてバジトマチーグ、等と言うのならば、この建物に放火するぞ!?」
イジジシェフの絶叫を受けて、
「……ザザッ……。」
事務所からの音声はOFFとなった。
「ありがとうございます、あろがとうございます……。」
私はイジジシェフへ向かって、何度も何度もお辞儀を繰り返した。
《パリーン!》
窓硝子を割って原付をウイリーさせて飛び込んで来たのは、和尚だ。おおかた、気が狂れてしまったのだろう。人間、生きていれば、気が狂れるのは当然だ。
「気が、狂うわ!」
和尚は叫んだ。その後、床の曜(ひか)るオレンジ液にタイヤを滑らせて、ドリフト。玄関の窓硝子を割って出て行った。
沈黙(しじま)。
警官のおじちゃんは、未だに団子虫。静かに泣いている。
「X9385。清掃を、お願いします。」
ハンドベルと風鈴の中間のような、極めて透明感のある美声で、ゴナオガールが私へそう命じた。
私はズボンの中のパンツの中で射精しながら、
「はい。」
と答えた。
硝子が散乱しているから、危険だ。
厚手のゴム手袋を装着しながら、私は、玄関から吹いてくる、雪を乗せた風に対して、叫んだ。
「現実! 気が、狂うわ! 人生いろいろやね! 現実! 気が、狂うわ! 人生いろいろやね! 現実! 気が、狂うわ! 人生いろいろやね! 現実! 気が、狂うわ! 人生いろいろやね! 現実! 気が、狂うわ! 人生いろいろやね! 現実! 気が、狂うわ! 人生いろいろやね! 現実! 気が、狂うわ! 人生いろいろやね! 現実! 気が、狂うわ! 人生いろいろやね! 現実! 気が、狂うわ! 人生いろいろやね! 現実! 気が、狂うわ! 人生いろいろやね! 現実! 気が、狂うわ! 人生いろいろやね! 現実! 気が、狂うわ! 人生いろいろやね! 現実! 気が、」
《パシュッ!》
《パン!》
コノオボーイがいきなり剛速球を投げて来たが、捕球出来た。
私は、カラーボールを〝ゴナオガールに〟思い切りぶつけてやろうかと思ったが、やめた。
カラーボールを左手に持ったまま、山寺の方へ雪の中を走る私の背に、今一度、涼しい声が響いた。
「X9385。清掃を、お願いします。」
「黙れボケ! そこの警察のコスプレをした男性がたった今からX9385じゃ!」
「……えっ?」
「了解しました。」
「……えっ?」
交差点を越え、農道、畦道。雪。雪。雪。深雪。雪は愈々深い。
ゴム手袋の他は、いつものツナギなのだ。寒くないと言ったら嘘になる。室内用の格好で、日が没した後の山村を往くのだ。
一面の銀世界、の、夜。暗い白が、延々と拡がっている。
山寺の方角を目指すが、檜達の陰に隠れているのか、灯りが見えない。
周囲の三百六十度が、暗い白。
暗い白。
暗い白。
暗い白。
でも私は、左手の魔法の球から、橙色を〝表現出来る〟んだ。
そう思えば、ちっとも怖くない。
私は、振り返らずに、背後の牛丼屋に向かって、今一度、叫んだ。
AIに かけたき野性(しろ)は 理性(だいだい)に されども暗き 夜半(よわ)の世は余話(よわ)
山寺に着いたら、仏に向かって叫ぼう。
私はAIには何もかけないぞ、と。
白も橙も、何も。
そもそも仏だって、AIだ。
寒風を裂き、歩を進める。ゴム手袋が、ギュッ、ギュッと鳴る。
どれだけ進み続けただろうか、ふと、背後からエンジン音。
振り向く間もなく、私の脇を追い抜いていく、原付。
私は全身全霊のスリークォータースローを披露し、和尚の背中を橙に染めることに成功した。
和尚は止まらずに、そのまま山寺へ向かってゆく。
ぽたり、ぽたりと、白の世界に、橙が点在してゆく。
それを見て、私は、嘗て無い程の大声で、叫んだ。自らの鼓膜が破れるのも、気に留めずに、叫んだ。
「お、点在やんけ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
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〈了〉
非おむろ 2023/02/05
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