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テーマ曲「天ぷらのない国の栗祭」

テーマ論
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人形劇『天ぷら帝マロン・カーニバル』

【梗概(あらまし)及び全文(ぜ~んぶ)】



当代(とき)の帝(みかど)は天ぷら狂い、天ぷら大好きひげおやじ。蒼氓(たみ)は隠れて帝(みかど)をば、「天ぷら帝(てい)」と呼んでいる。

或る秌(あき) 、隣国の治安悪化に伴い、油も小麦粉も莫(の)うなったげな。そこで、天ぷらをば拵(こしら)えること能わず、蒼氓(たみ)は恐れた。
「嗚呼! 天ぷら帝がお怒りになられ給うのでは!」
蒼氓(たみ)は繰り返し、繰り返し、慌てふためいた。
「嗚呼! 〝天ぷら〟という、普段から強調なされていたテーマを剥奪されて、天ぷら帝は、お錨(誤字。正しくは、怒り。)だ!」
蒼氓(たみ)は繰り返し、繰り返し、慌てふためいた。
「嗚呼! 〝天ぷら〟という、普段から強調なされていたテーマを剥奪されて、天ぷら帝は、お錨(誤字。正しくは、怒り。)だ!」
蒼氓(たみ)は繰り返し、繰り返し、慌てふためいた。
「嗚呼! 〝天ぷら〟という、普段から強調なされていたテーマを剥奪されて、天ぷら帝は、お錨(誤字。正しくは、怒り。)だ!」
蒼氓(たみ)は繰り返し、繰り返し、慌てふためいた。
「嗚呼! 〝天ぷら〟という、普段から強調なされていたテーマを剥奪されて、天ぷら帝は、お錨(誤字。正しくは、怒り。)だ!」
蒼氓(たみ)は繰り返し、繰り返し、慌てふためいた。
「嗚呼! 〝天ぷら〟という、普段から強調なされていたテーマを剥奪されて、天ぷら帝は、お錨(誤字。正しくは、怒り。)だ!」
蒼氓(たみ)は繰り返し、繰り返し、慌てふためいた。
「嗚呼! 〝天ぷら〟という、普段から強調なされていたテーマを剥奪されて、天ぷら帝は、お錨(誤字。正しくは、怒り。)だ!」
蒼氓(たみ)は繰り返し、繰り返し、慌てふためいた。
「嗚呼! 〝天ぷら〟という、普段から強調なされていたテーマを剥奪されて、天ぷら帝は、お錨(誤字。正しくは、怒り。)だ!」
蒼氓(たみ)は繰り返し、繰り返し、慌てふためいた。
「嗚呼! 〝天ぷら〟という、普段から強調なされていたテーマを剥奪されて、天ぷら帝は、お錨(誤字。正しくは、怒り。)だ!」
蒼氓(たみ)は繰り返し、繰り返し、慌てふためいた。
「嗚呼! 〝天ぷら〟という、普段から強調なされていたテーマを剥奪されて、天ぷら帝は、お錨(誤字。正しくは、怒り。)だ!」
蒼氓(たみ)は繰り返し、繰り返し、慌てふためいた。
「嗚呼! 〝天ぷら〟という、普段から強調なされていたテーマを剥奪されて、天ぷら帝は、お錨(誤字。正しくは、怒り。)だ!」
蒼氓(たみ)は繰り返し、繰り返し、慌てふためいた。
「嗚呼! 〝天ぷら〟という、普段から強調なされていたテーマを剥奪されて、天ぷら帝は、お錨(誤字。正しくは、怒り。)だ!」

併し乍ら、天ぷら帝は、白装束を来て土下座をしている大臣(おとど)や蒼氓(たみ)の代表達の前でこう仰った。
「いい加減諄(くど)いぞボケ。それ、効果的でも何でもなくて、ただ単に広がりも莫(な)くマンネリ化していくだけだからね? 少し考えれば分かると思うが。しかも、〝反復法〟なんて古代も古代から使われてきた文学的表現技法だし、〝創作時の主題の提唱〟なんていうのは、そりゃあ何かを書く前には何を軸として書くかくらいは保育園児でも考えるだろ、というぐらいの当然の行為で、今更何をそんなぎゃあぎゃあと……? まあ、天ぷらを食べられないというのは残念で、確かにヤンナルネ。でも、天ぷらがなければ、栗でも食べればいいやんけ!」

斯くして天ぷら帝は恐怖に震え自刃しか無いのかと惑っていた蒼氓(たみ)を霽(は)れて辜(つみ)無しと矚做(みな)し、マロン・カーニバルを催し、名君として末永く称えられた。王朝が滅びたあとも、その地には、栗祭(くりまつり)の風習が今なお受け継がれているという。

天ぷら帝の廟(びょう)の碑(いしぶみ)には、下記の一首が彫られている。





安不良奈之己武幾己奈之天毛衣々也无計久利遠末川良武久利波安留毛无天
(あぶらなしこむぎこなしでもえゝやんけくりをまつらむくりはあるもんで)





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人形劇『天ぷら帝マロン・カーニバル』よりテーマ曲「天ぷらのない国の栗祭」


今回のテーマは「テーマ論」! 「テーマ論」に則り、テーマを繰り返して作曲しました。宜しければ聴いて下さい!
(私は聴きません。駄曲を聴くのは時間の無駄なので……。)
 


                  (2022/10/26 テーマ論の墓)

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