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私が小学校の先生になった理由①

おはようございます。
小学校教員11年からフリーランスへと転職しました,のんです。

自己紹介,私のこれまでの人生,小学校の先生をしながら大切にしてきたこと
今後の人生で何を大切にしていきたいかなどなど
思ったことをたくさん発信していきたいのでブログスタートしてみました。


「そもそも,なんで小学校の先生になったの?」

これ結構よく聞かれる質問で
明確な理由は,自分でもよく分かっていない。

「なんか,その世界に呼ばれた感覚。」

それが今の所いちばんしっくりきてる。
めちゃくちゃ抽象的だけどね。笑


幼少期から振り返ると・・・

小学生の時は,どの教科もまんべんなくできる器用な子

学級委員的なポジションを任されることもあったが
学級内のヒエラルキーとかにも敏感で
このポジションに私が入ったらやりづらくなるなとかを
妙に冷静に見ているタイプの子だった。

大人のこともよく観察していて,
先生の中でも
「この先生は力があるな」とか
「この先生は,言ってることとやってること矛盾してるから学級崩壊起こすな」
とか考えてる子どもでした。なんか怖いね。笑

とにかく,子どもの頃から冷静で,周りをよく見ている落ち着いた子だった。
本音を出さず,周りに上手に合わせているタイプだったな。
そこの印象は,今と変わりないのかも。


その後の中学高校は【部活一筋の熱血少女】になった。

中学も高校も始めた部活では,なぜか毎回キャプテンに選ばれてた。

中学の時は,吹奏楽部兼マーチングバンド部をしていて
小学校から楽器やってますみたいな子たちもたくさんいたから,
部活についていけるか自体不安だったし
マーチングの練習も思っていたよりもハードで
体力のない私にはめちゃくちゃしんどかった。

だけど,やってくうちに
・もっとこうした方がいい
・もっとこういう言い方をすればチームがまとまるのに
とアイデアや意見が湧くようになって,気づいたら部長に選ばれていた。


高校は,吹奏楽を本気で頑張りたくて
沖縄県でNo.1の吹奏楽強豪校に進学した。
私がいた中学の部活はそこまで強い方ではなかったから
いよいよ着いていくのに精一杯の世界に入る覚悟をした。

1年生の時には,練習に着いていくのも技術を上げることにも
毎日必死だったが,自分よりレベルが高い人ばかりがいる世界
すごくワクワクしていた。

そしてなぜか,そんな強豪校でも部長を務めることになった。

楽器の技術は正直そこまでうまくはないけど
「周りを見る力とチームをまとめる力」には自信があった。

部長を任命された時にも,「え?自分が?」という気持ちもあったけど
「他の人に任せるぐらいなら自分がやります!」という感じで,
本気でかけてるものに対しては,時間も労力もかなり本気で向き合ってた。

その分,友達との遊びよりも部活が最優先。
恋愛とかしてる場合じゃないってことで好きな人さえ作らない。😂
学校行事も部活に支障がないかばかりを考え最低限度での参加。
同じ部活ではない友達を作ると,都合合わせるの面倒だから
関わるのは,基本同じ部活の仲間のみ。

遊びに行っても何か吹奏楽レベル向上につながることとして,
プロのコンサートに行ったり,楽器屋さんに行ったり
親からのおこづかいも部活関連に全投入。
(本,リード,楽器ケア用品などなど)

正直,この時に恋愛してたり,アイドルに夢中だったりする部員には厳しくて
部活に支障が出るならやめろ。というぐらいで関わってた気がする。笑
当時の仲間たち,ごめんなさい🙇‍♀️💦

それぐらい,「かけてるものに全力投球」の高校時代でした。🔥

でも振り返ると,この頃の経験が自分の人生にすごく影響してて
高校は部員100人を超えるチームだったので,
教員をしていく上での基礎もこの時にかなり鍛えてもらった。

私に部長のチャンスをくれた先輩たちと先生に感謝です。


とこんな感じで,教員になった理由を書こうと思ったのに
幼少期,学生時代を振り返る内容になってしまいました。😂
でも,この時の経験が私を作ってると思うので書けてよかった。

そして改めて自由に文を書いて発信できるのすごく楽しい!
教員始めてからは,こういうことできなかったから,
自由に思いを届けられる楽しさに,またわくわくしてる!

ではでは次回は,「大学生になってから」を書こうかな。

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