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「カエシテ」 第33話

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 加瀨は、午前九時過ぎにホテルをチェックアウトした。純とは、燕三条駅で落ち合うことになっている。待ち合わせ場所に行くと、純は予定通りの時間に改札から出てきた。笑顔で手を振り近寄ってきた。
「お疲れ様です。すいません。いきなり」
 彼女はそばに来ると頭を下げてきた。
「いいよ。別に」
 加瀨は笑顔で応じると、二人は外に向かい歩き出した。燕三条駅は、新幹線が停車するものの、利用客はそれほど多くない。構内は閑散としている。北に行くと、寺泊漁港や海を渡れば佐渡に行くことが出来るが、観光客は伸び悩んでいるようだ。一方で、モノづくりの町としても知られている。特に包丁や洋食器の製造が盛んだ。近年では、職人が手ほどきする体験イベントも行われている。
「ところで、新幹線に乗っていたら陣内さんからメールが来て、黒幕の男がいるような話を耳に挟んだんですけど、その人のことも調べるんですか」
 歩き出すと共に純は聞いてきた。走り寄ってきた時とは違い、その顔はさすがに真剣だ。
「あぁ、俺としては調べてみたいんだけどな。でも、陣内さんは考えが違うんだ。そんな奴は週刊誌が調べるネタだろって怒鳴られたよ」
 昨夜のことを思い出し、加瀨は苦笑いした。
「そうなんですか。その様子が目に浮かびます」
 純も笑顔を見せる。
「ところで、携帯が壊れたんだって。大変だろ。純のように若いと」
 思い出したように加瀨は聞いた。
「はい、何もすることが出来なくて退屈でした。昔の人って、携帯がなくてよく生きていけましたね。私には信じられませんよ」
 純の話に加瀨は笑っている。
「まぁ、人間は対応力があるからな。何とかなるものだよ」
 二人は、そこで駅を出た。途端に、身を切るような風が肌に襲い掛かってくる。季節は十一月に入ったばかりだったが、新潟ではもう東京の真冬並みの寒さとなっていた。
「これは予想以上に寒いですね」
「そうなんだよ」
 二人はこの寒さから逃げるように、客待ちのタクシーに乗った。ドアがすぐに閉まったことで、身を切る風から逃げることが出来た。人工的な暖かさが包み込んでくれる。
「すいません。ここまでお願いします」
 そこで加瀨は昨日、田川にもらったメモ用紙をドライバーに見せた。
「わかりました」
 ドライバーは用紙を見ると、カーナビに入力し車を走らせ始めた。受け答えは丁寧な男だったが、運転は豪快だ。信号が黄色でも平気で突っ込んでいくし、片道一車線の道路で対向車が来ても減速することはない。
 そんな荒っぽい運転で三十分ほど走ったところで目的地に到着した。
 タクシーが止まった場所は、日本家屋が軒を連ねる一角だった。家の方は、木造平屋建て。台風が来れば吹き飛ばされそうだった。表札は黒ずんでいるものの、辛うじて北見と表記されている事が確認できた。どうやら、田川は本当に父親と知り合いだったらしい。こうなれば、あの高い料金も無駄にはならなかったようだ。
 加瀨がそう思いながらインターフォンを押すと、僅かに間を置いて小柄な老人が出て来た。白髪頭をスポーツ刈りにして、額には三本のしわが刻まれている。肌は日焼けしているが、鶏ガラのように痩せている。彼こそが、自殺した北見楓の父親の茂吉もきちだった。
「今日はご協力ありがとうございます」
 加瀨は茂吉に頭を下げた。純もワンテンポ遅れて同じ行動を取る。
「いいよ。そんなことは。それよりも寒いだろ。中に入れよ」
 茂吉はしわがれた声で家に上げてくれた。
「お邪魔します」
 二人は家に上がり込んだ。玄関を上がると、暖気が流れてきた。思わず二人の表情は和む。家は、僅かに廊下を進むと突き当たりがリビングになっていた。和室でちゃぶ台が置かれ、隅にテレビがあり、現在はニュースが流れている。音量は異様に大きい。反対側にはストーブが置かれていて、火が灯っている。右側はキッチンとなっていた。
「楓のことを聞きたいわけだな」
 お茶を出した後で茂吉は切り出した。
「はい、そうです」
 お茶を一口啜った後で加瀨が頷く。
「まぁ、楓は殺されてしまったわけだけどな。新聞にも小さくではあるけど、載ったんだよな。でも、内容は大半が嘘だ」
 またしても記事の全面否定が始まった。
「新聞には確か、娘が体を売って借金苦でサラ金にも追われていたって書いてあったんだけどな。あれは全部嘘だよ。楓の口座には百万以上の金が残っていたからな。記事を書いた奴が嘘八百を並べたんだよ」
 三流記者の使う手口のため、加瀨は顔をしかめた。調べていくことで戸倉という人間の愚行ばかりが浮き彫りになっていく。
「では、真実はどういうことなんですか」
 そう思っていると隣で純が質問した。
「それは、楓の性格に問題があったんだよ。娘は責任感が強かったからな。男に騙されていたと知った時は相当ショックを受けたと思うよ。その頃、金は少し渡してしまったようだからな。悪いことに、そのことは私の妻の耳にも入ってしまったんだ。それだけじゃない。狭い町だったから、噂は瞬く間に町内に広まってしまった。そうなると田舎の人間は恐ろしいんだ。全員が敵になる。楓は白い目で見られるようになったんだ。家族も同じだよ。嫌がらせを受けるようにもなった。楓は、自分のせいでそんなことになってしまったことに責任を感じたのだろう。ある日、男と話し合いの場を持ち、貸した金を返してもらった上で別れようとしたんだ。そこで男は逆上して、楓を手に掛けたんだよ」
「そういうことだったんですか」
 田舎ならではの悲劇が真相と知り、加瀨は複雑になった。確かに、伝聞されていくことで話には尾ひれが付いていくものだ。特に、人の悪口に目の色を変えている人間や、ありもしない被害を作り上げて同情を集めて悦に浸っている人間が間に入ると、ややこしくなる。人の興味を惹くよう平気で内容をすり替える。こういった人間は責任感がなく、自分のことしか考えていないため、注目を集めればそれでいいのだ。ねつ造された人間がどうなろうが一切気にしない。仮に問い詰められたとしても、すぐに人のせいにして逃げる。責任感のない一番、たちの悪い人間だ。北見一家はきっと、この手の人間に被害に遭ったのだろう。
「あぁ、だからきっかけは全てあの記事だ。でたらめばかりを書いたあの記事が出なかったら、俺達は一家離散になんてならなかったんだよ。しかもあの男は、楓が書いたノートの存在を知ったみたいでな。連日、家に押しかけてはノートを見せてほしいなんて言ってくるようになったんだ。あのノートはあいつの恋愛日記だったからな。最初の方は、読むのも恥ずかしくなるような内容だったよ。そんなものだから、あいつは見られたくないと考えて当たり前だろ。でも、あの男はしつこくてな。挙句の果てには、私達の隙を突いてノートを撮影して行きやがったよ。幸いにも記事になることはなかったけどな」
 茂吉は怒りを見せた。
「一方で、新聞に掲載された幾つかの記事でもっとも傷ついた人間が妹だった。心を病んでしまったんだ。部屋に塞ぎ込むようになってな。一時は食事も取らなかったよ。私達も声を掛けていたが、改善する兆しがなかったからな。環境を変えようとこっちに来たんだ。でも、状況は悪化してしまった。ある日、あいつの部屋の前を通ったら、何やら不気味な声が聞こえてきてな。気味は悪かったんだけど、気になったからそっと中を覗いてみたんだ。そしたら腰を抜かしたよ。あいつは、夜なのに灯りも点けずにいたんだ。自分の周りに何本ものろうそくを立てて。そのろうそくの輪の中であいつは、楓が男への恨み辛みを書き殴ったノートを前にして、ブツブツ言っていたんだ」
 二人の体に緊張が走る。この呪いがノートに乗り移ったのかもしれない。
「私は怖くなってな。すぐに止めさせようと部屋に入ったんだ。そしたら、あいつは今までにない形相をしてな。私を睨みながら罵声を浴びせてきたんだ。姉の敵は私が取るとか言っていたよ」
 二人は完全に茂吉の話に聞き入っている。テレビでは臨時ニュースを伝える音が流れたが、見向きもしない。
「その時は情けない話だけど、俺は何も出来なかった。あまりの迫力でな。それで翌日に女房に相談したんだ。そしたら、あいつは知っていると言うんだ。しかも、あの子の力は本物だなんて後押しまでしてきた。あの子ならきっと、楓の敵を取ってくれるはずだ、なんて真顔で言ってきたんだ。俺は怖くなったよ」
「この辺りで古くからそういう言い伝えはあるんですかね。例えば、呪いの儀式のようなもので、対象者を死に追いやるということが」
「そんなものはないよ」
 茂吉は鼻で笑い、ハエでも追い払うように顔の前で手を振った。
「そうですか。では、聞いたところによると、逮捕された金田の裏にはもう一人男がいて、その人物の指示により動いていたという話もあるんですけど、ご存じですか」
 どうやら呪いの儀式に関してはなさそうなため、加瀨は陣内に止められた話をぶつけてみた。
「あぁ、知っているよ。妻とあいつはその男を捜して、ここから出て行ったんだから」
「どこに行ったかはご存じですか」
 加瀨はすかさず聞いた。
「それはわからないんだ。東京に行くとは言っていたけどな。どこからか、そういう情報を仕入れたんだ。二人は飛び出ていったよ」
「それは、どこから入ってきた情報なんですか」
 加瀨は質問を重ねていく。
「そこは私もわからない。ただ、二人は連日動き回っていたからな。金田の周辺にいた人物から聞いたんじゃないのか」
「なるほど。ちなみに、二人とは今も連絡は取っているんですか」
 メモの手を動かしながら加瀨は質問していく。
「取っていないよ。連絡先も知らないから。向こうはこっちの住所は知っているけどな。筆無精で面倒くさがり屋だから年賀状すら送ってこないし」
「そうですか」
 どうやら二人は完全に茂吉の前から姿を消えてしまったらしい。
「では、お名前を教えていただいてもよろしいですか。奥さんと妹さんの」
 そう思っていると、隣で純が聞いた。
「あぁ、構わないよ。妻は、明美あけみ。娘はゆかりだよ。年齢は六十台と三十台だ。今はどこで何をしているのか、さっぱりわからない」
 茂吉は辛そうに首を振っている。
「明美さんにゆかりさんですね。もしよろしければ、写真はありませんかね」
 メモしながら純は追加した。
「あぁ、あるよ。ちょっと待ってな」
 茂吉は四つん這いのような体制で進むと、押し入れを開けた。中には、段ボールや布団が収納されていた。茂吉はその中からアルバムを取り出すと、ちゃぶ台に戻りページをめくり始めた。
「これなんかいいんじゃないかな。顔がしっかり映っているから」
 茂吉はその中から一枚の写真を指差した。
 目を向けてみると、三人が笑顔で写る写真だ。姉妹と母が横一列になって写っている。
「右がゆかりで左が楓だよ」
 写真を指差し茂吉は教えた。
「ありがとうございます」
 写真は貸してもらうことも撮影することも出来なかったため、二人は頭の中に記憶した。
「これは念のために伺いますが、あのノートはこちらにあるんですか」
 その後で加瀬はさりげなく禁断の質問を差し込んだ。
「ノート?」
 と、途端に茂吉の様子は変わった。アルバムを片付ける手を止めた。
「何だ。お前らもあのノートが目当てなのか」
 続けて目を剝いてきた。数分前とはまるで別人だ。
「いえっ、違うんです。話を聞いてください」
 その様子に加瀬は慌てて説明していく。
「東京では今、不可解な死を遂げる人が続出しているんです。うちの会社も例外ではありません。犠牲者が出ています。その原因は、あのノートにあることを私たちは掴んだんです。それで、何か手掛かりを掴みたいと考えているのです。ですから、あのノートがあるのであれば見せていただきたいと思っているわけです」
「何が手掛かりを掴みたいだ。どうせ口から出まかせだろ。そんなことを言って、あのノートを雑誌に載せるつもりだろ。お前らの魂胆なんてわかっているんだよ」
 茂吉は憤慨した。瘦せこけた体のどこにそんな力があるのかというほど大きい声を出してきた。
「帰れ。もう帰ってくれ。東京からわざわざ来たと聞いたから好意で話してやったが時間の無駄だったよ。もうお前らのような人間の話には応じないからな」
 茂吉は立ち上がり、大きく手を振り払った。
「すいません。不快な思いをさせてしまって。失礼します」
 こうなるともう手に負えない。加瀬は頭を下げると純を連れ茂吉の家を後にした。


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