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「カエシテ」 第52話

   52

 朝早い新幹線は空いているものだ。週末と言えども、それは変わらない。空席の方が圧倒的に多かった。
 この日も家族連れが二組と、出張に向かうサラリーマンが数人乗車している程度だった。
 その車内に目を向けると、見覚えのある顔があった。
 山根だ。窓の外を睨むような目で見ている。
 彼はさんざん悩んでいたが、一つの決意を固めていた。それは、新潟に行くということだ。あの日受けた電話の内容を熟考していたが、他に策は思い付かなかった。ただし、仕事に穴を空けることは出来ないため、休みとなる週末を利用することにしたわけである。
(早いところ、片を付けないとな。こんなこと)
 車窓に広がる景色を見ながら山根は気持ちを強く持った。
 だが、昨夜は仕事が深夜にまで及んでいた。そのため、睡眠時間は僅かしか取っていない。車内ではすることもないため、自然とまぶたは重くなり、ついには閉じてしまった。
 そして、次に開いた時、景色はすっかり様変わりしていた。都心の町並みから田園風景に変わっている。
 新潟駅には、それから二十分ほどで到着した。
 山根は新幹線から下車すると、改札を通過し駅を出た。
 駅を出ると、目の前にはロータリーがあり、数台のタクシーが止まっている。左側にはバス停があり、二台のバスが停車していた。ロータリーの先にはビルが何棟も建ち並び、居酒屋や飲食店の看板が目に入る。他にも銀行やファストフード店も散見できる。午前九時を回ったばかりだが、人通りは多い。買い物に行く人や、遊びに行く人で街は賑わっているようだ。
 山根はロータリーを抜けると、弁天線を進み、駐車場の角を右に曲がり、その先にあったレンタカー会社に入り車を借りた。本来であれば電車を利用したいところだったが、田舎のため本数が少ない。目的地である山の最寄り駅には、午前と午後に一本ずつしか運行していない。万が一乗り遅れでもしたら、最悪帰ってこられなくなってしまう。さすがにそれは避けたいため、渋々レンタカーを利用することにしたのだった。
(ちょっと急いだ方が良さそうだな。思ったより時間を食ってしまったから。日が暮れたらさすがにまずいよな)
 車を運転しながらも山根は、アクセルを踏む足に力を込めた。法定速度をやや超えたスピードで走っていく。
 車が進んで行くにつれ、町並みは変わっていく。駅周辺の都会的風景は徐々に消え失せていき、一時間も走るとすっかり田園風景に変わっていた。左右は広大な畑が広がり、遠くに山並みが見える。
 なおもその道を走り続けていると、やがて両端は木々に覆われるようになった。対向車はおろか、人の姿さえ見当たらない。
 更に一時間走り続けると、ようやく山根は目的地に到着した。
(ここでいいんだよな。あの山は)
 車を止めると、山根は確認した。今までは、両端を木々に覆われた一本道をひたすら走ってきたが、その木々が僅かに途切れたエリアに出くわしたのだ。これは話に聞いていた通りだ。山の入り口とみて間違いない。
 山根は車から降り木々の先に目を向けた。
 だが、山は全く見えない。まるでよそ者から守るかのように、木々や草が生い茂っているばかりだ。
(これは想像以上だな)
 一瞬、山根は怖じ気づいたものの、ここまで来て引き返すわけにはいかない。大体、山は標高五百メートルほどと、それほど高くはない。今でこそ仕事が多忙なため足は遠のいているものの、昔は登山を趣味にしていた男だ。五百メートルクラスの山であれば、朝飯前だった。
(まぁ、この程度の山であれば、すぐに終わるだろ。早いところ済ませてしまおう。俺だって決してヒマじゃないんだから。ここで時間を多く取れないよ)
 生い茂る木々を見ると、山根は助手席からリュックを取り出した。中には、必要最低限の登山用具が入っている。登山を趣味にしていただけあり、例え標高の低い山と言っても決して軽視することはなかった。リュックを担ぐと、山に足を踏み入れた。
 ただし、道のりは険しい。
 周囲は木々が生い茂り、草は腰まで生え道はない。草を踏みしだいて進まなければいけなかった。一歩踏み出すだけで通常の倍以上掛かった。おまけに、枝には何羽もの鳥が止まっていて、山奥に侵入者の存在を伝えるかのように不気味な鳴き声を上げている。
(ここは思ったより過酷だな。さすがにあんな言い伝えがあるだけあって。これは、もっとしっかりと調べてくれば良かったな。失敗だったかもしれない)
 入山して一時間もすると、山根の胸には後悔が生まれ始めた。山と言えども、普通は獣道くらいはあるものだ。
 だが、この山にはそれすらない。まるで人類未到の地とでも言うように自然が手つかずの形で残っている。山根としては、これは計算外だった。
(これはまずいな。出直すか)
 更に一時間歩いたところで景色に変化はなかったため、山根は引き返すことにした。方向を後ろに変える。
 が、そこには思わぬ光景が待ち受けていた。
 山根は目印として草をしっかり踏み倒して歩いてきたが、倒したはずの草は全て元通りに戻っていたのだ。これでは、来た方向がわからない。
(嘘だろ)
 山根は慌ててリュックから方位磁針を取り出した。
 だが、それも無駄だった。針は不自然に回転するばかりで一向に止まらない。まるで富士の樹海に迷い込んだかのようだ。
(ヤバいぞ。これは)
 山根は完全にパニックになった。むやみに歩き出せば遭難の確率が上がることは熟知していたが、足は勝手に動いていく。草を踏みしだき進んでいく。
(俺はこんなところでは絶対にくたばらないからな)
 必死に自分を奮い立たせて山根は歩いた。
 だが、草や木が周囲を覆い、一向に求めている下界の景色が見えることはなかった。

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