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「カエシテ」 第55話

   55

 その頃。
(よしっ、出来たぞ。これなら平気だろ)
 平子はついに、自分の動画サイトを満足のいく形で完成させた。
(きっと、これなら視聴者に興味を持ってもらえるはずだよ。多分、あの会社よりもアクセス数は稼げるだろう)
 理想の未来を思い浮かべたことで自然と笑みが浮かぶ。動画サイトを立ち上げることは夢の一つだったが、今は違う。別の目的があった。『月間ホラー』を潰すことだ。退社時には恩があるようなことを言っていたが、それは真っ赤な嘘だった。憎しみしかなかった。特に、さんざんこき使われた陣内に対しては殺意に近い感情を持っている。この恨みを自分なりに晴らす方法として、動画サイトを立ち上げ『月間ホラー』の内情を晒そうと画策していたのだ。
(それじゃあ、早速公開していくか。閲覧数を稼ぐには時間が掛かるから。一日も早く、公開した方がいいだろ)
 全てのチェックを終えたことで、平子はアップロードの作業に取り掛かっていった。専用のアプリを立ち上げに掛かる。
 しかし、そのアプリが立ち上がった直後のことだった。
「カエシテ」
 どこからか、声が聞こえてきた。物悲しい女の声だ。
(何だ)
 思わず手を止め、周囲を見回した。
 だが、狭い個室には平子一人しかいない。土台、この狭い空間に他の人が入れるスペースなどない。
(外で誰かが言ったのかな)
 平子はそう考え、モニタに目を戻した。
 が、そのモニタは様変わりしていた。アプリを立ち上げたはずだが、今は無数の白い点で埋まっている。
(何だ。これは)
 平子は手を止め白い点を凝視した。
 すると、白い点は少しずつ大きくなり、モニタの外へと飛び出てきた。外に出て来た点は、肘まである手へと姿を変え次々と平子に迫ってくる。
「おい、嘘だろ。まさか、この話は本物なのか」
 自分に向かってくる手を見たことで平子は確信した。この不可解な現象を納得させる答えは他にない。
「ヤバいぞ。早くここから逃げないと。俺も犠牲になってしまうよ」
 慌てて荷物をまとめ部屋を出に掛かった。
 だが、足が動かない。
 目を向けると手が掴んでいた。
「離せ。この野郎」
 必死に振り払おうとしたが、足は全く動かない。まるでどこかに縛り付けられているかのようだ。ビクともしない。
「何だよ。これは」
 平子は必死に自らの手で引き剥がそうとしたが、モニタから次々と出て来る手がそれを許してくれない。手足に飛びつくと、あっさり四股の自由を奪った。平子は狭い個室の中央でかかしのように立ち尽くすばかりだ。その体にも、容赦なく手は飛びついてくる。たちまち全身は手で覆い尽くされてしまった。遠慮なく顔を移動していく手もある。
「くそっ、どうすればいいんだ」
 完全に自由を奪われた平子の目は自然と室内へ向く。
 すると、部屋は既に手で埋まっていた。床は見ることが出来ず、文字通り、足の踏み場もない。数え切れないほどの手が、まるでゴキブリのようにひしめき蠢いている。デスクや椅子やベッドや天井も見えないほどだ。壁や天井にカマキリのようにへばりついている手もある。中には、天井から落ちてくる手や、まるで地獄へ誘うかのように揺らめく手もある。それぞれが思い思いに動いている無数の手は不気味でしかない。
「くそっ、ヤバいぞ。これは」
 身震いしながらも平子は必死に逃げ道を探していく。
「カエシテ」
 そうしていると、再び声が聞こえてきた。物悲しい女の声だ。
(どこだよ)
 平子は唯一自由に動く目を四方八方へ向け、声の出所を探していく。
 すると、すぐに判明した。
 テーブルに載せていたパソコンだ。
 モニタに女の顔が浮かび上がっていた。現在はうつむき髪で顔を隠している。
(あいつか。あの声を出しているのは)
 モニタに映る女に気付いた平子がそう判断した瞬間だった。
 女が突然、顔を上げた。その顔は肌が青白く、白目が黄色く濁っている。しかし、視線には強さがある。まるで、目に映ったもの全てを呪い殺そうとしているかのようだ。
(マジかよ)
 とてもこの世のものとは思えない不気味な顔が現れたことで、平子は咄嗟に目を逸らそうとした。
 だが、それは遅かった。
 女の顔は一瞬にしてモニタから飛び出ると、彼の目の前で止まった。
「カエシテ」
 息の掛かる距離で浮遊すると、女は口を動かした。ただし、声は刺すような視線とは対照的に物悲しい。そのアンバランスさがまた恐怖を誘う。
「嘘だろ。こんな事が現実に起こるなんて」
 戦慄の光景を前に平子は凍り付くばかりだ。福沢の話していた都市伝説が正に形となっているのだ。誰かの作り話だとしか思っていなかったため、夢かと錯覚したほどだ。
「カエシテ」
 だが、耳にはしっかりと女の声が聞こえてくる。全身にも、確実に手が蠢く感触が伝わっている。目の前にはしっかりと女の顔もある。現在起きていることは紛れもない現実だ。
「助けてくれよ。俺が悪かったからよ」
 もはや逃げ道はないと観念し、平子は懇願した。
 だが、それは遅かったのだろう。
 平子の脇では、モニタから出た手が着実に自分達の仕事をこなしていた。
ひしめき合う中でノートパソコンの本体からコードを引き抜くと、器用に操り、端の方に輪を作り上げた。
 輪の完成したコードは、バトンのように手を経由し、少しずつ平子へ近付いていく。
「おい、何だ。それは」
 自分に近付いてくるコードの存在に気付き平子は慌てた。
 だが、身動きが取れない状態ではどうすることも出来ない。唯一自由に動く目で移動していくコードを見つめるばかりだ。
 視界の中でコードは頭上まで運ばれていくと、スッと落ちてきた。
 輪はすっぽりと平子の頭を通過し、肩で止まった。
「何だ。どうするつもりだ」
 不気味な動きに平子は問い掛けたが、輪は少しずつ面積を縮めていく。
「止めろ。冗談だろ」
 狙いを知り叫んだが、ついに輪は平子の首と同じ面積になった。
 それでも動きは止まらない。
 ついには、息苦しさを覚えた。
「止めろ。止めてくれ」
 息苦しさを覚え平子は訴えかけたが、コードを締める力が緩むことはない。喉に食い込み、呼吸は急速に苦しくなっていく。
「止めろ」
 口から出る声もか細く変わる。
 それでもコードを締める力が緩むことはない。
「助けてくれ」
 平子は助けを求めたつもりだったが、もはや声にはならなかった。
 やがて呼吸は出来なくなり、意識は闇に覆われた。

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