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「カエシテ」 第61話

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 三日後。
 赤羽にある『風見鶏』には二人の客が来ていた。初老の男と若い女だ。店の入り口には、貸し切りの札が掛かっている。
「これで片が付いたんじゃないの」
 しばらくはテレビの音声だけが響いていた店内だが、三十代の女が口を開いた。ハイボールを一飲みした後のことだ。女は黒髪を腰まで伸ばし、眼鏡を掛けている。『月刊ホラー』で事務を担当していた由里だ。
「そうね。あの男は死んだわけだから」
 前を向いたままアミが答える。
「それなら、二人がここまでした甲斐があったってものじゃないか」
 そこで初老の男が微笑んだ。新潟にいた茂吉だ。
「そうね」
 二人の女はカウンター越しに顔を見合わせ微笑んだ。実はこの二人、楓の肉親だった。アミは楓の母で、由里は楓の妹だ。新潟で質問を受けた際、茂吉は適当な名前を口にしていたのだ。一方で、加瀨は楓本人の写真を聖に送ってもらったことで誰かに似ていると感じていたが、その相手とは由里だったのだ。姉妹なのだから似ていて当たり前だ。
「これで全て終わったわけだから良かったわよ。一時はどうなるかと思ったから」
「本当だよな」
 茂吉は笑いながら日本酒を飲んでいる。
「あの人達は、あのままいっていたらもしかしたら真相を掴んでいたかもしれないからね。危ないところだったわよ。あの会社にいて良かったわ。情報は全て筒抜けだったから」
 当時を思い出し由里は笑った。
「あなたも新潟まで来るなんて思っていなかったんじゃない」
 アキも笑顔でカウンターから声を掛ける。
「あぁ、焦ったよ。しげさんからいきなり連絡があって、東京から記者が来ているって聞いたからさ。慌ててあの写真を用意したけど、突撃されていたら完全にアウトだったよ」
 茂吉は冷や汗を拭った。彼が加瀨に見せた写真は、ネット上で見つけた見知らぬ人の家族写真だった。三人で手頃だったこともあり、ダウンロードし印刷したのだ。そのため、加瀨が本物の楓の写真を見た時に違和感を覚えたのだ。
「そうなの。なら、向こうもまた混乱したんじゃないの。結構、熱心に調べていたから」
「そうかもね」
 三人が笑い声を上げた。
「それに、間抜けな奴もいたからな」
 お茶を一口飲むと茂吉は続けた。
「誰」
 由里が聞く。
「山根っていただろ。新聞社で働いていて噂を嗅ぎつけてきた奴だよ。東京から雑誌社の記者が来た後で、重さんが少し脅したらしいんだよ。東京から雑誌社が来たけど、お前が教えたんじゃないだろうなって。もしそうだとしたら、お前にも害が及ぶかもしれないぞって。そしたら、あいつは慌てふためいていたそうだよ。数日後には、あの山に一人で入っていったそうだ」
「嘘でしょ」
 あの山の怖さを熟知しているため、二人はカウンター越しに顔を見合わせた。
「本当だよ。夜になったら警察が来て大騒ぎになっていたって話だよ。結局、見つからなかったらしいけどな」
「そうなの。それならそのまま見つからないでしょうね。あの山に一人で入ったんじゃ」
 由里は笑いながらハイボールを口に運んだ。
「あぁ、警察は捜査を継続するような措置を取っているけど、実質的には何もしないだろ。仮に見つかったとしても、その時にはもう白骨化しているよ。そこで身元を調べて終わりだ。遺体が見つからないケースの方が圧倒的に多いんだから」
「そうよね」
 二人は笑みを見せた。
「でも、重さんのお陰だからね。私達がここまで出来たのは」
「そうだな」
 会話が止まったところで、三人の頭には自然とあの日のことが甦ってきた。重さんとは、加瀨を運んだタクシーの運転手だ。彼は、喋り好きのため調子のいい人間と思われがちだが、博識な一面を持っている。特に、地元に関してはあらゆる事を知り尽くしている。北見一家を救ってくれたきっかけも、その豊富な知識の中から出て来たものだった。
 楓の事件が起きた後、北見一家は心身共に疲弊していた。家に閉じこもり、近所の目から逃げていた。そこに重さんがやって来て、ある提案を持ち掛けてきたのだ。
「大丈夫か。きっと憎むべき人間はたくさんいるんだろう。騙されたと思って、この祠に行ってみたらどうだ」
 重さんは一枚の用紙を差し出してきた。
 茂吉が受け取ると、用紙には地図が書き込まれていた。場所は県内の山で、行き先を示すように線が引かれている。線の横には数字が書き込まれている。距離のようだ。
「ここには、古くから言い伝えがあるんだ。不遇の死を遂げた人間の怒りの対象や怒りがこもった物を供えると、代わりに恨みを晴らしてくれる神様がいるという言い伝えだ。ただし、行くまでの道のりはこの通り、険しいけどな。山中には道らしき道はなく、洞穴には明かりなんてないから。覚悟があるのであれば、行ってみるといいよ」
 重さんの話を聞く限り過酷そうだったが、三人に迷いはなかった。翌日には、もらった地図を手に山に入った。
 だが、そこは予想を遙かに上回る悪条件だった。山の入り口までは車で行けたものの、そこからは重さんの言っていた通り、道はなかった。大人の腰ほどまで生えた草を踏み分けながら進んでいった。その草の中からは派手な色をした虫が飛び出てくる。周囲の木々にも、見たこともないほど大きな蜘蛛が巣を張っていたり、突然、枝から鳥が飛んでいったりと恐怖は続く。その度に三人は腰を抜かすほど驚いた。また歩いている地面も平坦ではなくデコボコで、いきなり高さが急変する場所もあり、神経を使わなければいけなかった。足にはたちまちマメが出来、歩く度に激痛が走るようになった。
 三人はそんな苦難に耐えながら歩き続けると、入山して三時間もしたところでようやく目的の洞穴に辿り着いた。洞穴は、五メートルほどの高さで中は漆黒の闇となっている。奥行きがどれくらいあるのか、外からでは見通すことは出来ない。
 三人はそれでも迷うことなく足を進めていく。家から持ってきた懐中電灯の明かりを灯し、洞穴の中へと入っていった。
 足を踏み入れてみると、地面は安定していた。草地とは違い、平らだ。
 三人はそこに安心したが、懐中電灯の明かりを闇に向けると、一気に総毛立った。洞穴の床には、大量のコオロギやゴキブリにネズミが蠢いていたのである。壁や天井にも明かりを向けてみると、壁にはヤモリや見たこともない足が無数に付いた生き物が走り回っていた。隅には、無数の蜘蛛が巣を作っている。天井には、コウモリの姿もあった。三人は逃げ出したい気持ちを押し殺し、身を寄せ合って進んでいった。
 すると、百メートルほど歩いたところで、ようやく祠が見えてきた。格子状の扉は閉じているが、明かりを向けると奥には怒りの形相を浮かべた置物があった。この置物が怒りを晴らしてくれるようだ。神殿の前には賽銭箱があり、間には杯がある。
 三人はまず、杯の上に金田の写真を置いた。本来であれば陣内の写真も置きたかったが、生憎彼の写真は持っていなかった。その後で、それぞれの財布からお金を出すと、賽銭箱に入れ、願いを掛けた。そして一礼した後で、険しい道を引き返していった。
 その後、家で朗報を待っていた三人だったが、ニュースは突然入ってきた。金田が拘置所で急死したというのだ。死因は心臓麻痺と言うことだが、三十代の人間の身に起こる症状ではない。実際、金田は身体に問題はなく、部屋にも異常はなかったという。呪いが発揮したのだ。
 三人は確信した。
 そうなると、対象は黒幕にも向く。
 三人は調べていった。
 だが、そこにまたしても戸倉が顔を出すようになった。金田の死に関してコメントを取りに来たのだ。その際、運悪く楓が怒りを書き殴ったノートの存在を知られてしまった。戸倉は、しつこくノートを見せて欲しいと付きまとってきた。遺族は必死に拒否したがお構いなしだ。何日も続けて姿を見せた。遺族は必死にノートを守った。ノートに書き込まれている内容は、とても表に出せるようなものではなかったからだ。過激な言葉が並び、筆跡も大きく歪んでいた。看護師として人命に携わる仕事に就いていた人間が書いたものとは、信じがたいほど強烈な内容だったのである。家族でさえ中身を見たことがなかったのだから、当然、赤の他人に見られることは臨んでいないと考えたことも一因だった。
 だが、その甲斐もなく隙を突かれ戸倉にノートは撮影されてしまった。遺族は必死に抗議したが、戸倉は知らぬ存ぜぬをくり返すばかりだ。
 楓の気持ちを考えると、三人は怒りを覚えた。再びあの祠へ行くことを決意した。一度行ったものの、二度目もやはり厳しい道のりだった。それでも三人は愚痴の一つもこぼさずに進んでいった。そして今回は、楓が怒りを書き殴ったノートを杯の上に置き呪いを掛けた。
 だが、タイミング悪く戸倉は東京本社に戻ってしまったため、呪いの効果が発揮されるまで時間が掛かったようだ。
 金田の時とは違い、三ヶ月も掛かった。
 三人は安堵したが、まだ一人、ターゲットが残っている。
 金田の背後にいた男だ。この男も地獄に落とさなければ復讐は完結しない。
 すぐに調べていくと、正体は判明した。
 陣内だ。彼は楓の事件後、逃げるように東京へ戻っていた。
 アキと由里はすぐに東京に飛んだ。
 問題はここからだった。
 人が溢れ返る東京で何のつてもない二人が、一人の男を捜すことは困難を極めた。由里はSNSを駆使して情報提供を求め、アキは居酒屋を開き情報を求めた。情報に関しては頻繁に入ったため、その度に二人で足を運んだが、空振りばかりだった。
 一年もそんな日々が続いたことで、二人の間にもあきらめの気持ちが生まれ始めた。
 そんな時だった。
 由里のSNSに情報が寄せられた。その情報こそが、『月刊ホラー』の編集長をしている人間が似ているというものだ。
 由里が確認に行くと、情報は本物だった。楓に見せてもらった画像よりも太っていたが間違いなかった。そこで由里は、名字を偽り会社に潜り込んだ。人手が足りていなかったこともあり、身分に対して書類の提出もなかったため、偽った名字でもバレることはなかった。あとは、ノートの画像をどうやって陣内に見せるかだけだ。ただし、その頃画像はS社で猛威を振るっていた。まずはこの画像を自社へ移さなければいけない。
 熟考した末、由里はS社に勤めている都市伝説好きな女を探し出すことにした。そこで選ばれた女は、さつきだった。彼女は、福沢と同じオフ会の参加メンバーだった。さつきに楓の話をすると、予想通り食いついた。すぐに、会社内から画像を見つけ出してくれた。そして、その画像をオフ会で福沢に渡してくれた。由里からすれば、福沢がその画像を陣内に見せることを期待したが、彼はもったいぶって見せずに犠牲になってしまった。これではさつきと知り合った意味がなくなってしまう。そこで由里は、作戦を変更した。画像の怖さを思い知らしめることにしたのだ。この頃になると、由里の元にもノートの画像はあった。さつきに譲ってもらっていたのだ。さすがに由里には、身内と言うこともあり害を及ぼすことはなかった。それをいいことに、フリーのメールアドレスを使い純に送りつけた。彼女は陣内に向けている視線を恋心と勘違いしていたことに苛立っていたため、心苦しさはなかった。新潟まで逃げたが、あっさり犠牲になってくれた。他の二人に関してはよくわからないが、とりあえず陣内の命を奪い、楓の敵を討てたため、三人とも満足していた。現在、画像データは三人の手元にある。陣内の命を奪った後、由里がオフィスに入り奪還したのだ。その際、陣内が無様に路上で息絶えている姿も目にしていたが、一瞥しただけで素通りして帰ってきた。翌日のニュースによると、経営難に苦しみ自殺とあったが、もはやどうでもよかった。その後三人は、再び洞穴に足を運び、感謝の気持ちを伝えると、供えていた楓のノートを取って帰ってきた。今は、ささやかな打ち上げをしているところだった。
「加瀨さんはいい人だったけどね。よくこのお店にも来てくれたから。残念だったわ。亡くなって」
 打ち上げの中でアキが加瀨を惜しんだ時だった。
 突然、引き戸が開いた。
 談笑していた三人の目は入り口へ向く。
 すると、そこには老女が立っていた。
 高城公子だ。

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