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いかにルールを減らせるか

 「生徒手帳っているのかな?」

 僕は中学生の時こんなことを考えたことがあった。そもそも中学生になって突然現れた『生徒手帳』にはびっしりとルールが書き込まれていた。

 「先生。何で白い靴じゃないとあかんの?」

 中学1年の時に担任の先生に聞いてみた。大して納得の行く答えは返ってこなかった。他の先生にも色々と聞いてみたがあんまり納得の行く答えが返って来ない。

 世の中がお洒落だと言う反町隆史はシャツのボタンをどんどん開けていても、中学生は第一ボタンまで閉めないといけない。タバコやお酒にバイクがいけないことはわかる。日本では『違法』だからだ。だけど同じような剣幕でシャツの裾が出ていることやアクセサリーを付けて来ることを取り締まる『理由』が僕にはわからなかった。

『学校はそういう場所では無いから』
「それを決めたのは学校じゃん。」

『子どもにはまだ早いから』
「小学生でもお洒落をしている子はたくさんいる。」

『大人になったらいくらでもできる』
「今したいことの何がいけないのか…」

 考えれば考えるだけよくわからなかった。

 僕はその後、生徒会の役員になった。中学校には生徒総会があった。ここに上がってきた意見があれば『変えられるかもしれない!』そう思ったが、結局はそこに挙げられる前にクラスで「そんな意見はふざけている」と消えていったことを知った。

 それから何年も経って僕は学校の先生になった。
 あれだけ『息苦しかった』ルールを設定する側になって変えようとした。だけどこれも違った。ルールを見直す必要性を強く主張していてもなかなか伝わらなかった。「みんなが自由にしちゃうと何が起こるか…」

 僕は今教員を辞め、自分で施設を立ち上げた。小中学生が通う施設だ。僕はこの施設には最低限の『ルール』しか置いていない。すると色々なことが起こってくる。その度に僕は保護者の方々や子どもたちと話をし、少しずつ子どもたちの姿は変わって来ている。『ルール』を少なくすることは『コミュニケーション』を生むのかもしれない。

 たくさんの『情報』たくさんの『ルール』そしてたくさんの『常識』が渦巻く学校文化の中で『ルール』を減らすことは『コミュニケーション』を生む最高の手立てなのかもしれない。

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