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スクウェアが台東区になかったら今の自分はいない。たぶん。

ども。
私です。

スクウェアってのはスクウェア・エニックスのスクウェアの方、スクエニのスクの方、DQ/FFのFFの方だ。
ちなみに私はFFを買ったことはない。

つまりはゲーム開発・販売会社。
漫画家にもなりたかったが、絵心は全く無いので一瞬で選択肢から消えた。

運動音痴だが、文章を書いたり妄想するのは大好きだった。

当時はファミコン超全盛期。
私が小学高学年のころ。
1987年とか1988年。

ファミコンで遊び、ファミ通やらファミマガを読んでいたり。
あ、そういえばゲーム雑誌の編集にもなりたかったかも。
で、ファイナルファンタジーの広告が載っているわけだ。
すると「株式会社スクウェア 東京都台東区台東…」とある。

当時の家からチャリで行ける範囲。
そんな近くでアホみたいに売れているゲームを作っている会社がある。
文章を書いたり妄想をすればゲームを作ることができる、実際はそんなわけないのだが、小学生の夢なんてそんなものだ。
ちょっと勉強すれば、すぐ近くで大好きなゲームを自分でつくることができる。
勉強して文章がうまくなれば、そこに行ける。
そんなことを勝手に思っていたりした。

まあ、実際に約20年後にブラウザゲーム開発の立ち上げをコーディネイトすることになるのだが。

繰り返しになるが、小学生の夢。
明確で道筋だった夢ではなく、単なる願望にちかい、夢のようなもの。
あんな「風」になりたい、というだけだった。

そして中学生に進級。
中学生時の「運動音痴」はかなり致命的だ。
それだけでいじめの対象になるし、いわゆるスクールカーストで言ったら、運動音痴だけで最下層。
しかもデブ。
自慢じゃないが、そこそこ勉強はできる方だったし、文章を書くのは好きだし、妄想も好きなままだった。

そうしたら、自然と物書きの方にターゲットが向いていく。
ただ、自分は漫画もさして読まずゲームからも遠ざかり、野球大好き少年で新聞・雑誌大好き少年だったので、なんとなくそっちなのかなと思っていた。

決定的だったのが1992年、中3の夏休みが終わる日、日本時間1992年8月31日未明。

私の部屋には当時で18年落ちのテレビがあり、受験勉強で疲れたので、テレビのスイッチを引き、チャンネルを物理的に回した。

チャンネルが8になると、F1ベルギーGPが行われていた。

今でこそF1も仕事の一部になっているが、当時は全く興味がなかった。
セナプロ対決とホンダでF1ブームが日本に巻き起こっていたが、生来の天邪鬼っぷりが遺憾なく発揮され、流行り物であるF1には興味が持てなかった。

あのマスコミの熱狂的な盛り上がり、誰も彼もがF1F1。
バブル景気もありイケイケドンドン。

そのノリが嫌いだったのだ。

嫌いだったF1を見て一瞬で虜になった。
アルデンヌの森をF1マシンが疾走する。
オールージュ・ラディオン、世界屈指の超有名コーナーがある。
曲がりながら下って登って、ストレート。
次のレ・コンブでハードブレーキング。
そこがサーキットの頂上。
曲がりながら一気に下って、下りながら一気に曲がって。

ああ、これは面白い。

新進気鋭、ミハエル・シューマッハ、F1初勝利。
通算91勝の記念すべき1勝目だ。

私は、ミハエル・シューマッハという名前さえ知らなかった。
アイルトン・セナ、アラン・プロスト、中嶋悟、鈴木亜久里くらいしかF1ドライバーは知らなかった。
92年は片山右京も参戦しているというのに。

ゲームより全然面白い。
野球と同じレベルで面白い。
そんなことを感じた夏休み最終日だった。

ちなみに夏休みの宿題なんぞ、一切手を付けていない。
あれほど無駄なものはない。
宿題を出すくらいなら学校を開けろ、授業をしろ。
勉強ってのは継続性が大事だ。
怠け者の私が40日も授業がなかったら、そんなの怠けるに決まっている。

それに学校ではいじめがある。
生徒からだけじゃなく教員からも。
だれがそんな奴らの言うことを聞くか。
だったら塾のほうが数兆倍も良い。

一応、読書感想文だけは書いた。
読んだのは雑誌。
いかにも「教員が喜びそうな表現」は一切使わなかった。
書を読んだ感想だろ?
文芸本だけが書じゃないでしょうよ。
それに感想はあくまでも「個人の感想」であって、教員に媚びても全く意味がない。

「野村くんは反骨精神旺盛でいいですね」
としか帰ってこなかった。

アホか。
もっと読めや。
オマエラが嫌がりそうなことを、嫌味たっぷりで書いているんだぞ。
逃げたんだろ?そうだろ?
反論してこいよ。
中学生に反論もできないほどの幼稚な知性しかないのか?
それとも面倒なのか?
強制的に書かせて、読んだ感想は適当。
普段は板書をちゃんとノートに書いているかチェックするくせに、反対の立場になったら怠けるんだな。
面倒臭がるんだな。
クソだな。

ちなみに私が教員で「先生」と呼んでいるのは一人しかいない。
高校生の時の担任の「先生」だ。
しかも3年間も。
1-E→2-E→3-Eと。

千賀のフォークよろしく成績が一瞬で最下層まで堕ちた自分を心配してくれたし、F1見に行くので高3の2学期の中間テストはサボりますといっても何も言わなかったし、モータースポーツ・ジャーナリストになりたいと公言していた私に色んな大学の、色んな学部を紹介してくれた。
恐らく、先生も一生懸命に探してくれたんだろう。
進路相談の担当でもあったし、今でもそうらしいけども、まあそんな面倒くさい生徒なんて未だに私くらいだろう。
中間テストをサボるのを公言したヤツの進路を考えるのは本当に大変だったと思う。
まだ先生も30代中盤で若かったし。

一番最初に「モータースポーツ・ジャーナリストになりたい」と言ったのが17歳、1994年、セナが亡くなった年だ。
それから25年、2019年。
ひょんなことからF1のコラムを書くようになった。
いの一番に報告したのが先生だ。
Facebookでつながっていたから。
親よりも早く先生に報告した。

ふと振り返ると「株式会社スクウェア 東京都台東区台東…」を目にしていなかったら、文章を書くチカラを養いたい、と思わなかっただろう。
ものすごく稚拙で曖昧、夢と言うより妄想。
でも、人生ってどう転ぶかわからない。
ゲーム屋になっていたかも知れないし、違う道にいたかも知れない。

まあ、今年はF1書かないけども。
来年書く保証もないけども。

でも、人生ってそういうもんだよね。

それでもスクウェア製品は買わなかったけど。