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壁際で時限爆弾が鳴っている。

『勝っち、勝っち、勝っち、勝っち……』

その通りだ。

鳴っているのは時計。わたし達は時間に勝てない。
わたしの人生がゲームオーバーと表示されるのは数十年後かもしれないし、十分後かもしれない。
急がなくても、いつか命は尽きる。

父の葬儀は初めて体験する様々な決め事や段取りなど戸惑うことばかりだったが、そんなことより人の言動や想いが色濃く感じて、その方が数倍疲れた。

父は肝臓を患い、長く入退院が繰り替えされてからのことだった。
いつかそうなってしまうことを予期はしていた。家族は淡々と父の死を受け入れた……つもりだった。

しかし、残された家族は、もうすぐ葬儀屋が来ると言うのに予測不能な行動を取り始めた。

母は急に扇風機を分解し、雑巾ではなくウェットティッシュで拭き始めた。小さな子ども達を連れてやってきた妹家族は「お腹が空いた」と言って食事をせがむ。
何でこんな時に! と苛々しているのは私だけで全員だらだらと座っている。

その時の他の家族の心中が、これを書きながらやっと今、気付いた。

日頃、人前で泣いた事が無いと豪語する母は父の死を正確に受け入れることに躊躇していたのだろうし、落ち着かぬまま取り合えずここまで足を運んだ妹は、現実を目の当たりにし、本当は腹よりも胸に空虚を感じたからなのであろう。

あとになってテレビで養老孟司さんが、『大切な人が亡くなった後は本当に、胸にぽっかりと穴が空いたような気持ちになる。大切な人間とその自分の間柄というのは自分の中で空間認識されているのではないだろうか?』……というようなことを仰っていて、それを見ていた全く学のない私もその言葉はやけに同感した。

初対面の葬儀屋と私の人生で重要な役割を果たしてくれた人間とのお別れの儀式の打ち合わせをして、スケジュールを確認した。これでいいのだろうか? 何か間違ってないだろうか? 不備はないだろうか? の自問自答の連続だった。

そうこうしている内に遠路はるばるやってきた田舎の親戚達が到着した。
挨拶を交わす。

「あら〇〇ちゃん、大きくなって……」
「すまん、すまん。腰が痛うてなぁ~」
「待って待って座布団持ってくるわぁ!」
「あれ? 数珠どこにいったっけ。どこにしまった?」
「わぁ、どうしよ。シャツが入らん」

……など大騒ぎしているところへ、また玄関のベルが鳴った。

喪服を着た私が慌ててドアを開けると、そこには緑のユニフォームを着た宅配便の若い業者が恐縮して立っていた。

親戚が到着したと思い込んでいた私はびっくりしていたが、玄関から家の中を見渡して察した配達の若者も驚いて何かしら恐縮している。

「……あの、お届けものです、ハンコお願いします……」
「あ、はい。」

ふと見ると、中身は缶ビールの詰め合わせセットだった。
注文したのは……父?!

体調の良かった時に近所の病院を抜け出して実家に帰ってきていた父は新聞継続の手続きに出くわし、粗品としてまたビールを選んでいたのである。
それがまるで差し入れでもするかのようにそのタイミングで届いた。

「まだ飲む気ぃやったんかっ?!」

わたしはやっと目に涙が滲んだが、可笑しくなって笑ってその箱を抱え皆んなに見せた。

ウケた、と、にやにや嬉しがっている父の顔が浮かんだ。

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