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2023年に生きる93年生まれにオススメ(『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』を読んで)

北関東という田舎くさい響きで一括りにされる群馬県の、その中では都会の雰囲気に寄っている高崎で生まれて育った。空手や水泳、エレクトーンにトランペット、、親戚中で初めての子供であった僕は、期待も混じってか幼稚園の頃から複数の習い事をしていた。けれどどれも長くは続かず、続かないことを「やらされているから」だとしていた。

幼少期に大人に囲まれて育ったため、周りよりは少し人付き合いもできていたようで、友達との関係性も悪くはなかった。よく本を読み、勉強もそこそこでき、運動は苦手な、他にあまり形容のしがいのない「優しい子」的な感じだったかと思う。

小学校時代に何か特別な後ろ暗い思い出はない。ないのだが、それでもいつも、「このままではまずい」という焦燥感を強迫観念のように持っていた。それは、「何をしても1位にはなれないそこそこなやつ」であることを心のどこかで感じていたからだと思う。

「自分で選んでいないことが原因だ」と、うっすらと気付いていた僕は、突然に私立中学校へ行く決断をした。これからは自分の意志で選択して生きていくんだ、と。
この部屋からも東京タワーは永遠に見えない

僕が書くならこんなふうになるのだろうか。
この本は、「30歳になる年代の人々の物語集」である。20の半生が描かれている。
誰も彼もがそれぞれのナルシシズムを持って上京して生活し、それぞれにしかわからない苦悩を抱えて30歳の節目を迎える。その哀愁が、リアルな東京での生活とともに生々しく描かれる。

数ある作品の中の文や行間に、まさに自分を言い当てられているような気がして、スプーンで掬うように優しく少しずつ心が削られるような感覚になっていた。

「自分は人と違うとどこかで見下している」とか「負けを認めたくなくて斜に構える」とか「よく見られたくて無理して着飾る」とか、かつて捨てたはずのこういう人と比べて優越感に浸ろうとするプライドが、読んでいるうちにありありと思い出されてきた。そして、見えない木の根が地中深くに這っているように、今もまだ自分の中にこべりついて残っていることを知った。

憎くていらないとしても、それにどれだけ苦しめられたとしても、小さい頃から蓄積されてきたシルシはそう簡単には落ちない。


この本の素敵なところは、「様々な生い立ちのその後の多彩な分岐の先に、途方もない種類の人生がある」ということと、「その全てにその人生を通ったものにしかわからない苦悩がある」ということをわかりやすく伝えてくれるところだ。
30歳という年齢は、「いい加減にその痛みに気が付く」あるいは「痛みを誤魔化してきたことに復讐される」とかの形で苦悩と向き合う時なのかもしれない。

本を通して、普段はわからない周りの苦しみの、その想像の手助けはしてくれる。
もしかしたら、まだ言語化できていない自分の苦しみを知ることになるかもしれない。

こうやって、言葉にしきれない苦痛をもっと共有したいとも思った。
そのためには、気持ち悪くなるくらいに向き合わざるを得ないのだけど。



冒頭に僕自身のことを試しに書いてみた。
僕が中学生以降に僕自身で選択してきたと思っていたことは、こうやって振り返ると、非常に一般的で、見事に時代に順行してきたのだとわかる。そうだとしたら選択とはなんだったのだろう。
自分が正だと盲目的に信じ、狭い世界で「選択させられてきた」ことは、僕の一つの苦痛かもしれない。

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