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96歳祖母の危篤に際して蘇ってくる子供の頃の記憶と、それに向き合って考えたこと。

私はアラフォーだが、父方の祖父母、母方の祖母が存命である。(母方の祖父は3年前に亡くなった)結構長寿化系かもしれない。

父方の祖父母は祖母96歳と祖父93歳の姉さん女房の夫婦だが、なんと最近まで2人暮らしをしていた。とはいえ、2人とも認知症がはいってきてなんとか暮らしている状態で父がときどき様子を見に行ってフォローしている状態。

ついに先日祖父が風呂場で倒れてしまい、痛みで唸っているのに祖母はそれがわからずしばらく時間が経ってしまい、運良くヘルパーさんに発見されて大騒ぎになったのを機に、祖父は入院からのリハビリ病院、祖母は老人ホームに入ることになった。

医師である叔父の見立てでは、祖母はもうそんなに長くないらしくもっても年内だろうとのことで私たちとしては覚悟はそれなりにしていた。

祖母はこの年代には珍しくインテリで、長崎の壱岐の出身だが、東京の女子大を出ている。最近までかくしゃくとしていて、理知的な人なのだが認知症のためかホームで大暴れして騒ぎになったりもしたらしい。想像ができない…認知症は人の性格を変えてしまう。そこがつらいところだ。父としてはいたたまれなかったろう。でもプロの手があるところでよかった。自宅介護なら手に負えなかったろう。

色々あったけれども祖父のリハビリがおわり、夫婦で同じホームに入れることに。お互いのことはわかるらしく、夫婦で楽しそうに会話している写真なども送られてきていて安心していた。しかし、5日ほど前、祖母が食事中に物を喉に詰まらせて一時心停止に。病院で蘇生措置を受けたが危篤状態になってしまった。いまは落ち着いて小康状態とのことだが脳のダメージがありもう話せない。人工呼吸器に繋がれているそうだがどこまで持つかは不明な状態。両親は祖父母のもとへ駆け付けて見守っている。コロナが収まってきた頃でよかったなというのが実感である。

とはいえもう歳も歳だし、このままの状態では本人が気の毒…あとは子供である父とその弟である叔父の判断になってくる。息子を見ていてもわかるが男の子というのはママが大好きである…この2人も例外ではないようである。孫とはいえ遠くに住んでいて関係性が薄い私などはもう充分だよ、人工呼吸器で無理に命を長らえさせるのはかえって酷いことなのでは…と思ってしまうのだがなかなか踏ん切りはつかないようだ。

そんなこんなで、否応なく父方の祖父母との思い出が頭を巡っている。なんだか心が落ち着かない日々だ。

私の場合、祖父母との思い出は楽しいものばかりではない。初孫である私をもちろんかわいがってくれたけれども、福岡という土地柄もあるのだろうか、男尊女卑の考えに染まった彼らとは合わなかったし、嫁である母に対する扱い、帰省した時の父がいつもより偉そうな態度を取ることへの怒りや憎しみ、悲しみなど複雑な思いが絡むのである。

あまり家庭の内情をオープンにすることはなかったが、一見幸せそうでも機能不全に陥っていた家庭に育った繊細な心を持つ子供として、そして世間的な定義としては虐待サバイバーとして…同じではないにせよ似たような環境に置かれている、または過去に置かれていて苦しんでいる誰かのヒントになるなら良いなと思っている。とはいえ誰かを救いたいという気持ちは毛頭なくて、ただ自分の整理のために書くのであるが…結果としてそんなことがあるなら良いなくらいの気持ち。

思い出されてくる数々のことは超個人的な出来事である。私のフィルターを通したものだから、他の家族の受け止めはまた異なるだろう。それでもそれらは幼かった私にとっては大きなことで、これまでの私の人生に大きく影を落としてきたことでもあるし、それはまた同時に光のもとともなりうる出来事でもある。若い頃はこの身の上を嘆き、悲しみ、恨み、病に倒れたこともあった。しかし一連のプロセスを経て私は強くなり、優しくなった。子育てにもこの学びをいかせると思うし、私の中の表現衝動というのは子供の頃の体験が根っこにあるということもわかってきた。これを、この先の人生を賭けてどう昇華していくか、、人生をかけて取り組むのに充分壮大なテーマとなってくれていて、それは一概に悪いこととは受け止めていない。

祖母が、私に改めて新しいステージへと進むチャンスをくれたのだと前向きに考えて、これまでの自分の気持ちにケジメをつけて先祖や親に感謝するためにも書いてみたい。

長くなったので次に続く。




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