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『道 La Strada』

今日からnoteを始めてみた。

今まで紙の"note"に映画レビューらしきものを超個人的に書いていたが、年々かさばってきたので、今回思いきってネットの"note"を利用してみることにした。


では、さっそく。

note一発目は昨日久しぶりに観直した「道 La Strada」

超有名な作品です。

監督は、今年生誕100周年を迎えた

フェデリコ・フェリーニ!!!!

名前の語呂が収まりある感じで個人的に好き。おしゃれ。

イタリア人だからか?


これは思い返すと一昨年、仕事で死ぬほど辛い思いをしていた時に初めて観た映画だ。

「自分なんて生きていても何の意味もない、何の価値もない」とこの時の私は自分に対してそう激しく思っていた。

つまるところ、病んでいたのだ。

だがこの映画は、私の生きる手助けをしてくれた。

映画の中に登場する少し頭が弱い女の子ジェルソミーナは、旅の中で出会う大道芸人イル・マットからこんな言葉をもらう。

「この世の中にあるものは、何かの役に立つんだ。例えばこの石ころね」
「こんな小石でも、何かの役に立ってるんだよ」

「自分なんて生きていても何の意味もない、何の価値もない」

と、この当時仕事のことで病んでいた私にとって、この大道芸人イル・マットのセリフは深みをもって妙に納得させられたものだ。



おっと~。

かなり前置きが長くなってしまった。

では、ここで簡単にあらすじの紹介を。

貧しい家の少女ジェルソミーナは、少し頭が弱い。

ジェルソミーナの母親は金銭と引き換えに旅芸人のザンパーノに娘を売ってしまう。

ジェルソミーナはザンパーノに怒鳴られながらも、徐々に仕事を覚えていく。

ザンパーノは言動すべてが荒々しく、大酒飲みで女好きで礼儀もなければ優しさもないような男だが、ジェルソミーナはザンパーノに必死についてき、必死に尽くす。

だが、ある日ザンパーノはちょっとしたことがきっかけでかつて同じ仲間であった、大道芸人イル・マットを殺めてしまう。

ザンパーノが人を殺めてしまった現場にいたジェルソミーナは、これを機にショックでしだいに心を壊していく。


う~ん。いかかだろうか。

陽気で一年中ペンネ食っているイメージしかないイタリアだけども、

(どんなイメージだ・・・。)

イタリアの映画は意外と人間の内面をエグるような作品も多かったり、、。

わかる人にはわかるよね?

映画『道』は、私にとってリスペクトな映画のひとつだ。

すべての意味はタイトル『道』にこめられている。

「人には人の乳○菌」しかり、「人には人の道がある」それぞれにね。

どんな道を進もうが、それはその人のお好きなようにだが、

「果たして、あなたは今までの自分の道を振り返った時にどのような思いがこみ上げてくるだろうか。

そして、これからのあなたが歩む道は果たして見えているのだろうか。」

このようなことを私が私に問うた映画であるのだ。


本作のザンパーノでは、あれだけ虐めていたジェルソミーナが自分にとっては、唯一の救いであり守護天使のような存在であったことを、初めて気付くのだ。その時には、時すでに遅しであったのだが。

ザンパーノが真実に触れる最後の海辺のシーンは、秀逸すぎる。

真夜中の海。荒々しい波の音。そこにはかつて荒々しい男だったザンパーノが一人嗚咽して泣いているのだ。

そして、映画はTHE ENDを迎える。



どうです?もうこれ以上の映画ってあります?!

素晴らしいすぎるでしょ。

もう小学校高学年の子達とか中学生とかにさ、道徳とかでこんな映画流して欲しいよね。

ノーカラーで、かつイタリア語で字幕で超つまらんかもしらんが。

だが、記憶には確かに残ると思う。

絶対に大人になって意味がわかる時がくると思う。


余談だが、私の小学生時代の道徳の授業で観た記憶にある映画は、「ベイブ」くらいだ。

・・・う~ん。

あと、なんか「ざわざわ森のがんこちゃん」はよく流れてたな~。

なんだったんだろう。あの授業は。

・・・う~ん。




まあ、とにかく、

人生に疲れた大人の皆さんは一度この映画『道』を観てみてください。

2時間もない映画なんで。ぜひ。


この映画を観ると思わず、この方のお言葉が出てきます。

「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」

by淀川長治さん

※ちなみに淀川さんもこの映画について、解説しております。

※ニーノ・ロータのこの曲も最&高。








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