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日本が取るべきBeyond Digitalのアプローチ

最近、スタートアップ界隈やVC界隈でも、「より大きなチャレンジ」を求める声が高まっています。これは、大きなチャレンジができていないことへの焦りがある一方で、大きなチャレンジができそうな予感もある、といった真相心理の現れと理解しています。

このような状況において、日本はどのような挑戦や産業にリソースを割くべきかを考えるにあたり、一つの考え方を導入したいと思います(「日本」という概念があいまいである点については後述します)。産業複利論という考え方です。これは勝手に自分で考えた名称ですが、往々にして自分で考えたつもりのコンセプトは、すでに誰かが提唱しています(ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください)。それは一旦さておき、まずはこのコンセプトについて説明したいと思います。

産業の成長にも複利効果がある

複利という概念はご存知の通り、ある成果が再投資され、次にさらに大きな成果につながり、これが繰り返される現象です。これはある種の自己増殖型強化型のフィードバックループと言えます。これはもちろん金融にも起きますし、個人のキャリアにも起きる現象です。何か成果を上げると、次の面白い仕事が降ってきて、さらに成果を上げることができる。

そして、これは特定の国及びそこで勃興する産業にも当てはまるというのが産業複利の考え方です。

例えば、ある国で特定の産業が勃興すると、その産業に関連する知見やナレッジが蓄積されていき、人材のスキルも向上します。当然、そこに流入する人材の数も増えます。そして何より、産業の勃興により手にした資金を再投資することで産業はさらに巨大化し、再投資の繰り返しのなかで成長が指数関数的に加速します。

これは過去にも起きてきた現象です。例えば大航海時代においては造船技術や航海技術がその産業のひとつのドライバーだったと考えられますが、当時のヨーロッパにおいてこれらの技術の練度や人材の層、そして資金が分厚くなればなるほど、その国は貿易で儲けることができ、それをさらに再投資することでその産業が強くなったと理解できます。

イギリスは第一次産業革命の震源地になった結果、軽工業に関するスタートダッシュを切ることができ、産業複利を利かせて他国を寄せつけない成長を実現しました。

とある産業の震源地になった覇権国家が出現すると、技術的にも産業的にも他国は追いつけません。これは産業複利の強さによるものです。

そして現在、デジタル産業に関してはアメリカ(特に西海岸)が主役です。AIへの投資金額の規模などをみても、明らかに産業複利による指数関数的成長が発生しています。日本のAIへの投資金額が小さいのは、資金の出し手の胆力や先見性の問題よりも、「デジタル産業でかせぎ損ねた」から元手があまりない、というのが根本にあるように思えます。これまでの歴史上の事例を踏まえても、そして肌感覚としても、日本を含めた他国がアメリカにAIを含めたデジタルに追いつくのは非常に困難な状況だといえます。

レイ・ダリオ氏のビッグサイクル理論によれば、覇権国家が内部的な要因で衰退し、そして戦争などの外部要因で主役交代が起きるまでは、その優位性は続きます。そしてアメリカ及びデジタル産業が衰退するタイミングが10年後なのか、100年以上先の話なのか、それは誰にもわかりません。

デジタル産業との向き合い方

では、アメリカ以外の地域にいる我々はどうすれば良いのでしょうか。大きくは、①デジタル産業の土俵で頑張るパターンと、②土俵を変える(Beyond Digital)パターンに分けることができます。

①デジタル産業の土俵で頑張る

「①デジタル産業の土俵で頑張る」にもいくつかアプローチがあります。まずは「デジタル小作人」として頑張るパターンです。

小作人という表現にはやや棘がありますが、低リスクで稼ぐにはかなり合理的なアプローチです。ここ10-20年の日本におけるスタートアップブームは、デジタル小作人としてのプレースタイルが中心だったように思えます。デジタル事業の基盤はアメリカが支配しており(検索エンジン、スマートフォン、クラウドなど)、そのうえのアプリケーションレイヤーで稼ぎ、それに応じた年貢を納めてきました。LLMにおいても、日本は、一部のプレイヤーを除いて、基本的にはアメリカ発の基盤モデルを前提として、そのうえのアプリケーションレイヤーで戦う雰囲気になっているように思えます。

しかし、このアプローチには限界があります。「土地」は有限であるため、小作人が増えると収穫量が減少します。また、「土地」も痩せていくため、永久に儲け続けることはできません。既に先輩小作人がだいぶ幅を利かせていて収穫できる新しいスペースが少ない、あるいはすでに先輩小作人が収穫し終えて土地も痩せてしまっている。「より大きなチャレンジ」ができていない背後にはこういったメカニズムがあるのではないでしょうか。

「①デジタル産業の土俵で頑張る」二つ目のアプローチは、震源地アメリカを主戦場にしてしまうというアプローチです。

例えば、アメリカに移住して起業したり、あるいは別の国で創業した事業で米国マーケットに進出するなどです。アメリカの大型化したスタートアップのファウンダーの大部分が移民の人々という話もあります。そもそも「国」というものも非常にバーチャルであり、「日本」という言葉の定義も曖昧です。抽象的な概念をいったん捨てて、主語を起業家個人として整理すると、競争は激しいものの最もリソースが豊富な環境で一旗あげようとするのは極めて合理的です(だからこそ人材が集まり、産業複利がより一層効くのですが)。日本のスタートアップも何社かはこういう動きをしているのは周知のとおりです。

②土俵を変える(Beyond Digital)

イギリスが軽工業から重工業への移行に失敗した理由はイノベーションのジレンマ、経路依存性の罠です。設備のみならず、人材のスキルセットなども含めて軽工業に最適化されてしまった結果、重工業への移行に出遅れたとされています。その観点でいうと、現在、アメリカ及びアメリカを追従する国はデジタルに最適化されてきています。

だとすると、デジタルの次のレイヤーのパラダイムが出現した場合、アメリカは対応に出遅れてしまうと考えるのが自然でしょう。

そこで登場するのが、土俵を変えてBeyond Digitalの領域に先行して資源を投入し、自らが震源地になるという考え方です。

なお、アメリカで産業複利が効いているのは、計算資源を活用する分野全般ですので、Beyond Internetでもなく、Beyond Softwareでもなく、あくまでもBeyond Digitalです。では、Software is eating the worldの世界線において、Beyond Digitalとは何なのか?

Beyond Digitalとは何なのか?

Beyond Digitalでかつ、日本においても産業複利が効くかもしれない分野としては、例えばバイオ(ものづくりやインダストリアルバイオ)、生体工学などが想起されます。

ブランドやクラフトマンシップなど、情緒的価値が成長ドライバーになる産業も、Beyond Digitalの一つの領域となる可能性があると思います。

マンガやアニメやキャラクターIPなど、エンターテインメント・コンテンツ産業も日本において産業複利効果が期待できそうな領域です。日本が生み出す工芸品や二次元コンテンツのクオリティの水準は非常に高く、他国のリソースで完全に再現することは困難でしょう。ソニーはコンテンツ事業に再投資して複利効果を享受している稀有な企業です。

ソニーが長いトンネルを抜け、復活したのもゲーム、音楽、金融と高いリターンの見込める事業を厳選して再投資を繰り返す、複利の経営を目指したところに理由はあったはずだ。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO66735340X21C20A1TCR000/

Beyond Digitalで気をつけなければならないのは、デジタルがどこまで世界を侵食していくかが予測できない点です。先ほど挙げたバイオや生体工学といった領域もデジタルの力で成長や革新が加速している側面があり、デジタル産業の一部としてアメリカの成長サイクルに取り込まれていく可能性もあります(すでにその端緒はあります)。また、エンターテインメント・コンテンツも、AIが勝負を決する領域になってしまう可能性もあります。

日本はハードウェア開発が得意であり、ロボティクスにも強いと言われていますが、昨今のAIの発展により、ロボティクス分野はデジタル分野としてブレークスルーが起きつつあります。ロボティクスはもはやBeyond Digitalではありません。

また、国が衰退し始めるタイミングを予測することは困難です。レイ・ダリオ氏「世界秩序の変化に対処するための原則 なぜ国家は興亡するのか」によれば、アメリカの終わり(≒デジタル産業の終わり)はすでに始まっているとのことですが、それでもあと50年間覇権国家として君臨し続けるとすれば、VC的なリスクマネーを全面的に供給することは難しいでしょう。

いま、Beyond Digitalにどう取り組むか?

そうすると、Beyond Digitalに取り組むにあたっては、足元ではあくまでもデジタルの土俵でデジタル小作人あるいはアメリカ化する「ふりをして」頑張りつつ、いざというときに下剋上ができる心構えでいくことかもしれません。

たとえば、エンターテインメント・コンテンツは、海外のプラットフォーム上で消費されるという観点では、足元は「デジタル小作人」的な事業展開ですが、パラダイムが変化したときには情緒的バリューを押し出してBeyond Digitalの本命として名乗りをあげたいところです。

以上の話をまとめますと、まず、産業には複利が効きます。そして、現在はアメリカで勃興したデジタル産業が複利を効かせて指数関数的に成長しています。デジタル小作人として稼ぐのも、自らアメリカ化するのも一つの方法です。しかし、Beyond Digital分野に先行して参入しておくことも大事なオプションです。その際には、日本に資産が蓄積されており、複利が効きそうな産業に注目することが重要です。自分個人としてはこれらの観点からDeeptechやIPコンテンツに投資していますが、他にアイデアがあればぜひ教えていただきたいです。

リスクマネーの問題

職業柄気になるのが、Beyond Digitalを立ち上げるためのリスクマネー供給において、ベンチャーキャピタルの標準的な投資がフィットするのかという問題です。

そもそも、現在の形態のベンチャーキャピタルの源流を辿れば、フェアチャイルドやインテル出現前後のリスクマネー供給にたどりつきます(と理解しています)。半導体、すなわち計算資源活用ビジネスとともに成功・成長してきて、複利による成長を遂げてきたのがベンチャーキャピタル業なので、ベンチャーキャピタルの本質は、デジタルビジネスキャピタルだと個人的には考えています。「いまのVCファンドの形だとディープテックに投資しにくい」といった課題意識が生まれるのも当然です。

Beyond Digitalにおいては、期待リターンやファンド期間などの面においてベンチャーキャピタルにチューニングが求められる可能性が高く、もしかしたらまったく異なる金融が求められる可能性すらあると考えています。他方で、Beyond Digitalのパラダイムが立ち上がれば、そこには広大なフロンティア(未開拓地)が残されているので、いまのままのベンチャーキャピタルのフォーマットが維持されている可能性もありそうです。

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