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ナチュラル・ボーン・クローザーズ(後編)

(前編はこちら

メンタルデベロッパー社は、2019年に創業された、エグゼクティブやマネジメント向けのコーチング事業を祖業とする企業である。

もともとは、エグゼクティブに対して、専属・フリーランス問わず数千人規模のコーチ群から適切なマッチング・アサインを行い、ビデオ・テキスト・通話を利用したオンラインセッションのインフラを提供する企業だった。

ところが、規模の拡大に伴いコーチの質を維持できなかったのか、あるいは、当初から暗に計画されていたのか、2025年頃、画面の向こう側から生身のコーチが忽然と姿を消した。代わりに登場したのは、バーチャルヒューマンだった。バーチャルとはいえ、グラフィックスの精度があまりに高く、画素数の少ない画面でコーチングを受けた人間の多くは、いつか画面の向こう側の存在とオフラインで会話する機会もあるのだと勘違いした。

しかし、バーチャルヒューマンは「それっぽく見せる」代替可能なインターフェースにすぎず、言ってしまえば、静止画でもサービスの効用として問題はなかった。本質は、その裏で動いている、コーチとエグゼクティブとのセッションデータから構築された「コンテンツ・サービング・アルゴリズム」にあった。これは単に会話内容をテキストレベルで分析したものではない。メンタルデベロッパー社は、会話内容はもちろんのこと、微妙な表情の変化、声の震え、視線の動き、そして一部のユーザーについてはセッション中の脳波、体温、発汗などを計測した。これらのビッグデータを分析して開発されたのがこのアルゴリズムであった。コーチがそれぞれ体得していた暗黙知が、形式知として結晶化されたものだとも言える。

このアルゴリズムに従って、適切な順序、適切なタイミング、適切な尺で、特定のコンテンツを与えると、人間の思考様式やモチベーションに対して一定の影響を与えることができるのだ。その中には、サブリミナル効果を狙った、人間では知覚できない瞬間的なコンテンツの挿入もあった。人権保護団体は「時計じかけのオレンジ」などを引き合いに出しながら、メンタルデベロッパー社のビジネスは非倫理的・非人道的であると強く抗議し、アルゴリズムの破棄を要求していた。無論、その要求に法的な根拠はなく、加えて、このアルゴリズムの効果を実感した経済界からの強い擁護もあり、反対運動も次第に下火になっていった。

メンタルデベロッパー社は、エグゼクティブ向けのコーチングにとどまらず、2028年頃からは派生プログラムを次々とローンチし、総合的なメンタル及びスキル開発プログラム企業へと成長した。具体的には、弁護士、医師、教師、システムエンジニアなど、ここ10年で頭脳労働や暗黙知の大部分が自動化され、人間の中心的な役割がインターフェース、要するに接客などの感情労働に移行した職種を中心にプログラムが開発されていった。クローザー職向けのプログラムも、その中のひとつだった。

人間がインターフェース化しており、対人スキルがいわゆる“読み書きそろばん”以上に重要な技能となっていることは、教育界でも認識されていた。しかし、時代変化への対応が遅いという教育業界元来の特性に加えて、この技能を教えることができる指導者の数も足りず、義務教育課程はもちろん、大学においても対応が遅れていた。メンタルデベロッパー社は、この需給ギャップを捉えて大きく事業を伸ばしたのだった。

本部長は続けた。「スポーツ選手もメンタル面のコーチをつけている。特定のルール下におけるパフォーマンスを最大化するためだ。我々も同様に、特定のルール下においてパフォーマンスを最大化しなければならない。このプログラムは、我々のバーンアウトを防ぎつつ、クローザーとして結果を出すためのメンタリティーを醸成してくれる。競合他社でも導入されて結果が出ている。我々も導入しないわけにはいかない。」

プログラムは全24回で、その後は隔月でのメンテナンスコーチングセッションが開催されるという設計だった。果たしてセッションと呼べるのか、飯田にとっては疑問だったが、メンタルデベロッパー社はあくまでも「セッション」と命名していた。クローザー育成プログラムは、声のトーン、間の取り方、笑顔のつくりかたまで徹底的に修練できることに加えて、クローザーとしてのメンタリティーを植え付けることも期待効果としていた。

4回目のセッションを終えたころから、部署には異変が起きていた。飯田の先輩にあたる日下田は、大して目立ってもいなかった顔の小さなシミを除去し、美容整形で鼻を少し高くした。ルックスに自信がついたのか、あるいはプログラムのおかげなのか、表情や目線にも波一つない水面のような落ち着きが生まれ、堂々とした佇まいが印象的な女性に変貌していった。日下田は一例にすぎず、飯田の部署では、いわゆる外面的要素に対する“自己投資”をする人間が急増したのだ。

そして、プログラム導入から半年が経過したとき、16カ月連続でトップセールスを誇っていた飯田は、遂に首位から陥落した。飯田の顔面からは生気が消え失せていた。そしてその翌々月には、部署の平均成績をわずかに下回った。飯田の成績が下がったのではなく、他のメンバーの成績が大幅に向上したのだった。飯田は高熱で寝込んだ。

しばらくして容態も安定してきたころ、飯田は、第7回目のセッションにログインした。しかし、第6回まで続いていたスキル修練プログラムの代わりに、見慣れない画面が立ち上がった。そこに表示されていたのは「臨時メンタル・ケア・プログラム」というタイトル。メンタルデベロッパー社は、目の動きや声の状態から、飯田の精神状態が不安定であることを察知したのだ。

プログラムをスタートすると、第6回までとは別のコーチが登場した。気が動転している飯田には、画面の向こうにいるのが生身の人間なのかバーチャルヒューマンなのか、判別がつかなかったし、正直なところどちらでもよかった。

コーチ「最近の関心事を教えてください。」
飯田「私は、天職を失いました。」

コーチと飯田とは、言葉のキャッチボールを淡々と繰り返していき、やがて話題は核心に迫っていった。

飯田「生まれつきの素質を活かしてきたつもりだったが、幻想だった。誰でも後天的に身につけられるコモディティだったことがわかった。」
コーチ「誇ってきたものが、実は誇れないものだったと認識したということでしょうか。」
飯田「大して誇れないものを誇っていた、自分の判断能力のなさを恥じています。」

画面には一瞬、閃光が走った。飯田は気づいていない。しかしその瞳孔は、深海魚がプランクトンを飲み込むかのように、大きく間口を開いた。

コーチ「どのような素質をもって、どのような環境に生まれ落ちるかは、全て運です。あなたの実力とは何の関係もありません。素質は、あなたが所有しているものではありません。それを誇るべきではありません。誇るべきは、生まれた時点から自分をどれだけ進化させたか、そのためにどれだけ努力をしたかではないでしょうか。あなたはどれだけ努力をしてきましたか?生まれつき与えられたもののうえに、あぐらをかいていたのではないですか?今この瞬間、与えられた役割に対して、あなたは全力を尽くしていますか?」

その翌月、飯田の瞳から憂鬱は消え失せ、そのまなざしは静かに未来を見据えていた。業務時間終了後も、飯田は黙々と笑顔と発声練習を繰り返していた。たとえ僅かであっても、改善を続けた。自己流だった食事制限やワークアウトについても、プロのインストラクターをつけ、学生時代の肌つやを取り戻し、肉体はよりたくましくなった。私生活も、一切の無駄がないように、分単位で時間管理が行われていた。遅刻もしなくなった。

感情は安定し、喜怒哀楽を示すことは極めて少なくなった。しかし飯田は、生命力を失ったわけではなく、むしろ、力強い生の実感を取り戻していた。飯田は、再び首位を奪還しなければならないのだ。それが飯田にとっての“生きる”ということだからである。飯田は、太陽光を虫眼鏡で一点に集約するように、すべてのエネルギーはその一点に集中投下しなければならないのだ。人間が、代替不可能なインターフェースであり続ける限り。

2035年、セールスインテリジェンス社は、3,000億円を投下してバーチャルヒューマンのシステムを開発・運用するスタートアップを買収する旨を発表した。

(完)

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