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「名前」をつけるということ

意識が朦朧とする。

鼻水が出る。喉が痛い。咳が出る。

最初は花粉症かと思ったが、普通に風邪を引いたのかもしれない。それとも寝不足や疲労による体調不良なのか。

今の症状がなんなのかあれこれ思い巡らせてみたが、不毛なので考えることをやめた。間違いがないのは「体の調子が悪い」ということだ。

なぜ人は、あらゆる症状に「名前」をつけようとするのか。どれも具合が悪いという意味では同じなのに。

当然だが、「名前」がわかれば、対処法がわかるからだろう。「花粉症」、「インフルエンザ」という名前をつけることで、その症状に対する処置を間違えることがなくなる。そして、その症例やうまくいった治療法を「名前」に紐づけて保存、管理していくことで、人類は知識と経験を積み重ねていくことができるようになったのだ。そうすることで同じミスを繰り返すことがなくなる。

「名前」は人類の偉大な発明だ。

僕らは、病名だけでなく、いろんなものに「名前」をつける。人の性格みたいなものにも「名前」をつける。

あの人は「前向き」だ、「意識が高い」、「ずる賢い」、「冷徹」、「変わり者」、「真面目」、「イケイケ」、「チャラい」、「メンヘラ」、「卑屈」......といろんな「名前」で人を表現する。

「名前」をつけることは、安心につながる。初めて出会った人でも、そんな「名前」があれば、どういう付き合い方をしたらいいかがある程度想定できるからだ。同じ失敗を繰り返すことがなくなる。

ただ、そんなに簡単に「名前」をつけてしまってよいのだろうか。その人は、本当にこれまで出会ってきた「名前」で表現できる人なのだろか。「名前」をつけることで、効率的にコミュニケーションが取れるようになるかもしれないが、逆に視点がそこに定まってしまい、その人が持つ別の顔を見るチャンスを捨ててしまっているのではないか。

地球上の生物の約9割は、まだ発見、分類されていないらしい。宇宙のうち、人類が解明できている物質はたった4%にも満たないらしい。いろんなモノ、コト、ヒトに「名前」をつけてわかったようになっている僕たちは、自分で思っているほど何もわかっちゃいない。

病気のことも、仕事のことも、あの人のことも、人生のことも、そんな簡単に「名前」をつけて分類できるもんじゃないのだ。何もわかっちゃいないのだ僕は。

ただ一つだけわかるのは、こんな投稿してないでとっとと寝た方が体調には良いということだ。なんとも無意味で愚かな行為をしていると思う。

そんな愚かさのことを「若さ」とでも名付けようか。

おやすみなさい。



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