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モノより思い出

結構前に車のCMで使われていたコピーだ。

この感覚はすごくわかる。

もともと物欲はあまりなく、社会人になってある程度収入が増えてからも、周りの同期たちのように車を買ったり、いい時計を買ったりしたいという気持ちは湧いてこなかった。

一方で、車や時計だけでなく、オーディオ好きだったり、靴好きだったり、バイク好きだったり、なんとなく、人生を楽しんでいる系の大人の男の人は、何かしらの好きなモノを集めてコレクションにしているようなイメージがある。

日本が経済成長し、無かったものを手に入れる喜びがあった世代と、成熟市場の中、すでにモノが溢れる停滞した時代で育ってきた我々世代では価値基準が異なるから、といった一般論で語られることも多いが、私個人としての感覚はちょっと違う。

私が、モノに価値を感じないのは、壊れるからだ。

どれだけ大切に扱っても、手入れを入念にしても、モノはいつか壊れる。むしろ、壊れていない状態の方が不安定な状態といえると思う。

車は乗っていないとエンジンが劣化していくし、家は住んでいないとどんどん荒れ果てていく。鉄だって、放置していたら錆びていく。人の目から見て劣化している状態の方が、自然界の中での物質として見た場合は安定的なのだ。熱が高い方から低い方へ向かうように、雨が空から地面に降り注ぐように、エネルギーは不可逆的により安定する方向に流れていく。

つまり、人が価値を感じる、完成品状態のモノは、物質的には「異常状態」とも言える。エネルギーの流れに反しているのだ。

その異常状態のモノにお金を費やし、自分自身の価値の拠り所にする感覚がどうもわからないのだ。どうせ壊れてしまうモノに、自分の時間や生き様を費やしたくはない。

だったら何に価値を置くかといったら、「思い出」だ。自分の体験、経験は絶対に壊れないし、消えない。どれだけ思い出されず放置されようとも、必ず自分の血肉になっている。

まぁ、壊れてしまうからこそ、儚いからこそ、そこに価値を感じるみたいな感覚もあるかもしれないけど、モノが壊れる瞬間に美を感じる人はもはや一般人ではなくてアーティストとかだと思う。笑

どんな思い出を増やしていこうか。

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