めんどくさいから怒らない

【アイルランド留学115日目】

「優しい」と人から言われることがちょくちょくあります。普段から何かに腹を立てることは滅多にないですし、周りに不満を言うことが少ないからかなぁと思います。

そう思ってもらえるのはいいことだと思いますが、自分の中ではそれが「優しさ」ではなく、ただ単に「めんどくさい」からだということがわかっているので、なんとも言えない気持ちになります。

誰かに怒ったり、腹を立てることってかなりめんどくさくないでしょうか。すごくエネルギーを使いますし、怒ったところで現状が変わるわけではないことがほとんだと思うので、よほどのことがない限り、多少腹がたっても自分の中でそっと鎮火させます。自分の心の持ちようで解決できることは外に出さない方がめんどくさくないだろうという判断です。怠惰の極みです。

あとは誰かに対する不満や愚痴を言ったりするのがあまり好きではない理由も、ただでさえその人に対してフラストレーションを感じて日頃エネルギーを消費しているのに、それ以上その人のことを考えることに時間やエネルギーを消耗するのは普通にめんどくさいです。それよりもっと他の楽しいことを考えたいです。

書きながら思いましたが、「人を変えることはできない」という一種の諦めみたいなものが自分の価値観のベースにあるのかもしれません。だからこそ、人の振る舞いや言動に対しても、何か言ったところで変わらないと諦め、わざわざ腹を立てて指摘するのもめんどくさいなという結論になるのかもしれません。

ただ、その諦めがあるからこそ、じゃあ自分は何をしようか、というように、自分の変えられる自分自身の行動や思考にフォーカスすることが得意になってきました。例えば、毎回待ち合わせ時間に20分くらい遅刻してくる友達がいるんですが、それに腹を立てて相手に時間を厳守するように詰めるのではなく、自分が現地に行く時間も約束の20分後ちょい前くらいに合わせるようになってからはストレスを感じることはなくなりました。13時集合といっても、私の頭の中では13時20分と変換して、それに合わせて向かう感じですね。いいのか悪いのかわかりませんが、とりあえずそれで上手くいっています。笑

しかし、この考え方も、自分のことだけであれば機能していくと思いますが、家族だったりとか会社のチームだったりとか、他の誰かに被害があるような問題の場合はまた状況が違ってくるんだろうなぁと思います。「めんどくさいから心の持ちようを変えろ」とは言えないですよね。そんな時には、その問題の発端者の考え方や行動を「変える」ために戦う必要が出てくるんじゃないでしょうか。なかなかしんどそうですが。

誰かのためには「めんどくささ」を超えて行動を起こせるかっこいい大人になりたいなぁ。


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