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文章を書くという名の筋トレ

最近、一日の中で一人で集中する時間が取れていなかった。

noteを投稿するにも、なんやかんや30分くらいはグッと集中する時間が欲しい。人といながらとか、出先の空き時間とかでなんとか投稿しようとしても、どうしても集中しきれず、文章がまとまらない。文章がまとまらないということは、すなわち頭の中がまとまっていない。

そんなことを考えながらあることに気づいた。一人で集中する時間をしっかり取らないと頭の中が整理できないということは、日常の大半では頭の中が散らかっているということだ。そして、テクノロジーの発達によっていつどこにいたって情報が押し寄せてくる現代では、そもそもそんな「一人の時間」を作ること自体が難しい。

ただ、良いのか悪いのか、頭の中が散らかったままでも普通に生活できている。ご飯と睡眠を得るためには、そこまで頭を使う必要もないのだ。

だから毎日文章の投稿を続けるというのはある種の筋トレみたいなものなのかもしれない。生きていくためには必須ではないが、やらないと確実に"力"は落ちていく。そして、やることで、日常がちょっとだけ豊かになる。

例えば、国民全員に、文章を書くことと筋トレをすることを義務付けたら、世の中がもっと思考力と体力に恵まれた人で溢れるようになるかもしれない。

ということを考えてみたが、それってもはや義務教育じゃん、国語と体育じゃん、遥か昔からやっているじゃん、ということに気づいてしまった。

私の頭の中は、まだ散らかっているようだ。

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