200528

なんだかとても弱っている。ちょっと前までのはつらつさはどこへ行ったのやら。日々の自分の機嫌に一喜一憂してもどうしようもないのに。

どうせ生きるなら善い人間で生きたいという願望があるので、世間と自分の意識や感覚を常に照らし合わせてしまう。そうしていくうちに「自分は間違っているかもしれない」という意識が常に頭の片隅に居座るようになった。自分の正解が誰かの間違いかもしれないし、逆もまた然り。今はそれで良しとされることも、数年後には禁忌になるのかもしれない。常に移り変わる世の中で、変わらずに生きるというのはやっぱり無謀なことに思える。こういうことを考えると、いつも赤の女王仮説を思い出す。その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならないのだ。

自分は佐藤栞里が大好きだ。常に周りへの配慮を欠かず振る舞うのは普通に生きてても難しいし、かなりの気力・知力・体力を要すると思うけれど、イメージが全てを左右するような芸能界で、あのキャラクターを貫き通す彼女は凄い。並並ならぬエネルギーが必要だろうに。彼女を見ていると安心感や癒しを感じるし、あの笑顔はとても素敵だと思う。佐藤栞里は「いい子」としてのイメージで世間一般に知られているけど、彼女への反応を見ていると時々「いい人過ぎて無理」「猫かぶってる」みたいな声を聞く。彼女に対してではなくても、「いい人でいるのは無益で損」みたいな評価を見ることはあり、そういう感覚に自分は嫌悪感を覚えてしまう。いい人過ぎて無理ってなんだ。迷惑かけまくったらそれはそれで別の無理を引っ張り出すんじゃないだろうか。個人の感覚の話だとはいえ、人によっては自分にとって害を及ぼさない安心感からか訳のわからん連想ゲームをして「つまらん」とか「要領悪い」とか「意志がない」とか配慮のかけらもないレッテルを貼ることでマウントを取っているような気がしてならない。自分の価値の見出し方を他者に全フリした結果いい人になっているのであれは、それは本人のためにもあまりオススメしないけれど、でも程度や過程がどうであれ、他者への配慮の視点を常に欠かさずにいれるのは、誇るべき能力だと思う。誰がなんといおうと、自分にとって佐藤栞里は素敵な人である。

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