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仕事を続けながら遊び続けた父。遊ぶように仕事をする三人の子供たち。

今の事業を営むにあたって、父からの影響はとても大きかった。

私の事業は、生き方働き方を心の中と一致させて生きるサポート

自分が一番望む生き方働き方をすれば、どこかのタイミングで必ず追い風がやってくる 


これは父が身をもって示してくれたこと。

私の父はサラリーマンで働きながら、カヌー(カヤック)で日本一周をはじめてしたアウトドア親父 吉岡嶺二(れいじ)という。

父は嶺二 というからには、次男なのだが、父が生まれてすぐに兄が亡くなり長男として育てられる。

父の父、私の祖父が、病弱で父が高校生の時に亡くなったこともあり、父は若い頃から、一家の大黒柱の責任を背負うことに。

が、その一方で自分の義務や責任さえ果たせば、人生やりたい放題でいいのだと自分に許可が出せていたようだ。

船乗りになりたくて商船大学へ行きたかったという父、家族のために夢を諦め猛勉強の末、奨学金を獲得し早稲田大学を経てサラリーマンとなった。


船乗りは趣味で、と決めた父は友人と共同でヨット(小さいやつ)を購入。
さらに私が8歳の頃、一人で気軽にできるという理由でカヤックをはじめた。

カヤックを入手したその日、一日中漕いだらどこまでいけるかと地元の海を漕ぎだし静岡までたどり着いたことをきっかけに、次の週は静岡から、また次の週は前の週に辿り着いた場所からと「尺取虫航海」と名付けた旅を始めた。

いつの間にかゴールが京都となり、鎌倉から京都までの航海記録が、山と渓谷社から出版された。カヤックの存在がまだ知られていない走りの頃だったので、我が家に来たアウトドア関係の人が言うには、業界のディープな人たちの間で父は「カヌーの神様」と呼ばれているらしい。ほんとかどうかは定かではない。

時は高度経済成長期。有給休暇は机上の空論という時代にもかかわらず人からどう思われるかよりも自分の幸せを取る「嫌われる勇気」ありまくりの父は、周囲が唖然とするほど平気で有給休暇を使いまくっていたそうだが、父は何とも思っていないようで、

会社は仕事をする場所で残業をする場所じゃない、
やることやったらとっとと帰った方がいい

と今はともかく当時はありえない考えの元、仕事はきちんと終わらせ金曜の夕方早退し、カヌーに出かけることを繰り返していたらしい。

そんな父に時代がおいついてきて、余暇を楽しむサラリーマンカヌーイストに追い風が吹き始める。

有給をとりまくる父に、テレビの取材が舞い込みまくる。


旅の様子がNHKなどのニュースで取り上げられるだけでなく、ライフワークバランスを指南する番組に取り上げられるようになる。

NHKのBSの、悠々専科(現在の趣味専科の前進?)で二時間くらいの特集になったり・・・。子供たち(私と兄と妹)は恥ずかしくてちゃんと見ていない。

ちなみに私と妹は、父につきあって、瀬戸大橋が完成する以前、瀬戸内海をカヌーで横断することにつきあい、NHKのニュースに美人姉妹として出てもいる。(美人はフェイクだ)


そうしているうちに会社も、こいつは広告塔になる、とでも思ったのだろうか、社長直々に「今度はいつカヌーにいくのか?」と聞いてくるようになったのだそうだ。小さい会社ではない。従業員1500名くらいいるのにわざわざ。


鎌倉から京都で終わったはずの旅は、さらに続き、日本本州を一周
さらに北海道や九州、韓国まで渡るなど、サラリーマンをしながらやりたい放題遊び。航海日誌を出版 売れることより、自分がやりたいことを優先する父は、編集者が、こう書いた方が売れる、というアドバイスが飲めなかったようで、カヌー膝栗毛シリーズと名付けた航海記は、途中から自分で出すことにした。今でいう自費出版やZINEみたいなスタイルだ。

そんなやりたい放題で、いうなれば時代の最先端を走っていたともいえる父に私はこんなことをのたもうている。

お父さんも、もう若くないんだから、仕事一本に絞った方がいいよ。

中学生の頃の愚かな私にむかって水をぶっかけてやりたい

何もわかってないなお前は
若くないからこそ、やりたいこと全部やったんだろうが。
仕事もカヌーもやりたいことだったんだろうが!
このたわけ者がっ



と、塩漬けにしたいくらいだ

周囲の目を全く気にしなかったからこそ、できたことなんだろう。


当時は今以上に、やりたいことと仕事を両方することは大変だったはずだ。


一番やりたいことは仕事にしない方がいい、という価値観の父



父は趣味は趣味の方がいい、という価値観。
よくそう言っていた。仕事にするとやりたいようにできなくなると。
カヌー仲間には、それだけで食べている著名な冒険家も大勢いるのだが、父は彼等に敬意ははらいつつも、自分がそのスタイルになろうとは全く思わなかったそうだ。

母から聞いたところによると、自分が子供の頃に苦労したから、家族に金銭的な不安をしてほしくなかったのだそうだ。

父は奨学金の返済や、自分の弟や妹を養う義務があったので、母と結婚する前「オレはお金ないよ」と母にいったと最近になって聞いた。

そんな生い立ちから、父は家族にお金の心配をさせたくなかったようで、だからといって諦めるわけでもなく、趣味は趣味のままということを選び、どちらもちゃんと成し遂げるという選択をした。


そして彼は彼の願いを見事に叶えている。わが父ながらグレイトだぜと思う

本当に買ってもらえなかったものはツキノワグマと仔馬くらいだった。


父はいつも、私たちに、「何でも欲しいものは買っていいぞ、金はがっぽがっぽある!」と、ガッポガッポを表現しようと両手をふりまわして言っていた。

鵜呑みにして色々欲しがる私は父と母によく「金食い虫だ」と言われた。(でも田舎の昭和な子どもの願いなので、どれもたいしたことはなかった)
買ってといって本当に買ってもらえなかったものは・・・ツキノワグマと仔馬くらいだった。(本当に北海道で買ってと泣いて頼んだが却下された)


父と同じ高校に進んだ私には、「浪人していいから、思いきり高校生活を楽しめ!」とも言ってくれた。浪人していい、というより、むしろ浪人をすすめるくらいの勢いだった。私と父の母校が、校則が全くないとても楽しい学校だったので。

ディズニーランドより楽しいと今も思っている母校で、私は父の期待通り、自由を満喫し、遊び放題遊び、そして同時に赤点も取り放題だった。
おかげでそれに大満足したので、偏差値どん底で合格判定不能状態から勉強し、父と同じ都の西北に通うことができた。

どちらも二つ違いの、兄と妹も、私立大学に通っている。
妹は推薦で現役だったが、兄に至っては一浪し、さらに留年すらしているため一度に三人が私立大学に通っていた時期がある。

リクルート時代に、父の会社の給与を知ってしまったために、当時の我が家に金がガッポガッポあったとは思えないが、父の物欲の無さと母の財テクのおかげ。ありがたやありがたや。

自分が納得できる人生ならなんだっていい

人生を謳歌の仕方、仕事と趣味への価値観、父と私は似ているところもあるし全く違うところもある。

でも、共通しているのは、自分が納得できる人生にすればいいということかなあ。自分の価値観に沿って、自分で自分の人生に責任を持てばいいと。

何もわからないまま、
仕事一本に絞った方がいいよなんて・・・、愚かな娘でございました。

そんな父に育ててもらった私たち、兄と妹と私は、それぞれが自分のやりたいことを仕事にして生きています。

兄は、カナダトロントでブルースハープのミュージシャンをしている。

ブルースハープの教則本も出してます

妹は、日本の漁師を増やす事業で独立、漁師人材デザイナーと名乗り、
全国の漁師さんを応援して全国を飛び回ってメディアにも。

ソトコトのインタビュー記事ではちゃっかり父の本の宣伝もしている


妹は男性社会や官公庁相手が多い中、漁師ファーストを掲げ奮闘しているため何かと苦労も絶えないようだけど、全国の漁師さんから熱い支持をいただき、その想いに応えることを糧に頑張っている。

真剣に遊ぶように働く。だから面白い、だから結果も出る。


兄も妹も、そしてもちろん私も、父と違ってやりたいことを仕事にしている。でもだからこそ真剣。真剣に遊んでいる感覚。苦労はチャレンジとしか思っていない。真剣だからこそうまくいくのだし、真剣だからこそ楽しい。お客様の役に立つためにと向く方向を間違えず、楽しんで取り組めば結果は後からちゃんとついてくることを実感している。

父も仕事もカヌーも真剣だったんだと思う。仕事は仕事で楽しんでいたようだし。

雇用形態と自由は、必ずしも一致しない


と・・自分や家族の話をしましたが、父の姿や自分の経験からお伝えしたいことは雇用形態と自由は一致しないということ。

雇用形態や働き方が多様化する中で、時間やお金の自由のためにと起業を目指す人が増えた

そして、サラリーマン=社畜 という言葉も蔓延しつつある。

でも、高度経済成長期真っただ中でも、父は、自由なサラリーマンだった。そして、起業ブームの中、起業のサポートをする中でも、不安にさいなまれ一人ブラック企業に陥る起業家もいる。


起業家=自由、
サラリーマン=社畜
ではない

心の中にある、本当の自由は
雇用形態では手に入らない。

だから自分だけの正解を選ぶことが大事かなあと。

必要なものは、ぜーんぶ自然に手に入れるコツ

お金とか、名誉とか、まったく興味がなかった父だが、

結果として莫大なお金持ちじゃなかったけれど、自分がゴキゲンに暮らすために必要なお金は、がっぽがっぽあったと信じて疑ってない。
だから結果的に、本人も周囲も全く困ったことがなかった(母は大変だったかもしれないが)

人にほめられるために日本一周したわけじゃないけれど、結果として「カヌーの神様」という称号を手にしてしまった。

noteの中に偶然、父のことを書いてくださっている記事があって・・
こうやって彼の真剣に働き遊ぶ生き様が、誰かを元気にしていたんだなと。

そうやって、父は自分に正直に生き働いたことで、必要なものは、ぜーんぶ自然に手に入っている人生になっている。

終わり良ければ総て良しかなと。

おっと、父の人生はまだ終わっていなかった。
85歳の今も、天竜川の川下りなどに出かけている。
自分に正直に生きるのが、健康寿命の秘訣だと彼を見ていて心から思う。

じいさんに負けずに、私も自分だけの正解で生きていこうっと!

ちなみに私の生まれてから最初の記憶は、父にヨットから海に突き落とされ溺れかけたこと、「ほら人間は浮くんだぞ」とサバイバル魂を叩きこまれた記憶です。

生きる力、大事だなと思います。

というわけで今日はこのへんで。


生き方・働き方を心の中と一致させるために、
私が具体的にやってきたこと、やらないと決めたこと、
メルマガで書いています。



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