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Vol.119 50歳上の友

今年も父の命日がやってきました。
例年通り、週末はお寺で make merit* してきます。
*このmake merit… 日本語に翻訳しづらいのですが、タイの仏教文化において貴重な、徳を積む行いの1つ。お寺でお供えしたりお経を唱えたりします。

さて今年は2人の人物を取り上げます。最初に登場してもらうのは50歳近く年上の“友人“ で、私がまだ東京で仕事していた頃、私の講演を聴きに来てくれて出会いました。つまり当時で御歳80歳手前。

育ちが良く、首相を務めた同窓の後輩を下の名前(つまり呼び捨て。笑)で呼べる人で、よく外国人記者クラブや赤坂のジャズクラブに連れていってもらったものです。若い頃は香港での駐在経験もあり英語も達者で、海外移住の野望を持っていた私と意気投合したのでした。身のこなしからして気品漂う老紳士でした。

そして私が実際に移住すると、そのフットワークの軽さを褒めて「君の年齢で移住していたらなぁ」と半ば羨ましそうにしながら ”視察“ がてらバンコクにも遊びにも来てくれました。パタヤ一人旅で同世代単身の西洋人リタイヤ組と盛り上がった土産話を嬉しそうに話してくれたのを覚えています。また私が一時帰国した際には、箱根で旅の疲れを癒してから彼が隠居していた熱海に立ち寄るのはちょっとした楽しみでもありました。

そんな彼の話や行動力から多くを学んだ中で最も心に残っている言葉は 死生観 です。何度も手術を経験して「いつ死んでもおかしくないんだよ」と笑って話しながらも前向きに海外移住を考えて行動したり、ちょっ変わり種の若者(つまり私)と過ごす時間を心から楽しんでくれていた様子から

死に際を考えることは、いかに生きるかを考えること

なんだよ、と身をもって教えてくれました。

結局、最後に箱根から彼の携帯にかけた時は繋がらなくなっていて「あぁ多分、亡くなったんだろう」と察して以来、墓前で手を合わせたい気持ちもありますが、そもそも他に連絡する術はないし、それに私が彼の事を忘れずに元気に過ごしていたら彼も喜んでくれていると言う確信があります。最後の瞬間まで精一杯生きていたに違いない友の姿に、父の背中を重ねます。

*******Disclaimer*******
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