新曲のアレンジをするために都内某所のスタジオに入る。
ここでやるのはグルーヴの確認、いわゆる曲の「ノリ」みたいなものを身体的に共有する作業。
作曲者or編曲者(その曲のリーダー)が事前に作ってきたデモをもとにみんなで演奏して、イメージとどれくらい離れているか伝えたり「思ってたのと違うけどそれもいいね」が発展したりする。
それから和田くんの家に向かう。
ここではパソコンと睨めっこ。
先ほどの「ノリ」をもとに細かいフレーズやキメなんかを決定していくんだけど、僕らはこの工程がめちゃくちゃ長い。
なんせ5人もメンバーがいるし好みもバラバラだ。
曲のリーダーが方向性を示すから「行き先がわからない」ことは(ほぼ)ないけど、とても器用とはいえない5人なので時間がかかる。
バンドは偶発性の高い創作形態だと思う。
メンバーそれぞれに発言権があって好きに演奏することが許されている。
それが想像のはるか上… 予想だにしない化学反応を起こすこともあれば、にっちもさっちもいかず泥沼にハマることもある。
僕は一人でいる時間が結構好きだ。
誰かと話したり楽しい時間を共有するのは同じくらい好きだけど、こと表現に関しては難しい側面があって、集中したい映画や展覧会に行くときはひとりの方が落ち着く(例外の人物・タイミングもあるけどそれは仲の良さや共に過ごした時間と比例するわけじゃない)。
作品についてあれこれ思いを巡らそうとすると上の空になるので、その状態に誰かを付き合わせるのが申し訳なくなるのだ。
そういう自分が密にコミュニケーションを取らなければ完成しない「バンド」をやっているのが時々不思議に思える。
客観的に見ると結構笑える。
らしくない感じもする。
でも自分が最も情熱を抱いている音楽”だからこそ”、誰かと強く結びつかなければ作れない「バンド」でいたいんだと思う。
Twitterでは散々言ってきたけど僕にとって音楽は対話なのだ。
音を出す、言葉を紡ぐ、繋がる。
「それわかる、そんなの間違ってる…」いろんな想いが飛び交う。
そこにしか生まれない何かがある。
その場所に必要なのは僕個人の考えやアイデアだけではない。
純度100%の僕だけの表現に僕は興味がない。
誰かと鳴らしたり会話して築き上げたアレンジ、バンドっていう”小さな社会”があってはじめて意味を成す。
そこから発信することで僕は社会とつながっているんだと思う。
メンバーとアレンジをしているときは「あーでもないこーでもない」と頭を悩ますかマジでくだらない話で馬鹿笑いして1日が終わるけど、頭の片隅ではこんなことを考えてます。
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