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ウイルスの時代だからこそ見据えるべき〈言語〉:言語こそは私たちの最後の砦

ウイルスの時代に至って,多くの言説が語られています.傾聴すべきものも少なくありません.ただ,そこでどうしても見えにくくなっているもの,ともすると忘れられそうになるものがあります.--言語,ことばこそは触れることさえできない私たちに残された,最後の砦です.

世界がウイルスという名の見えない何ものかに、恐れ戦いたとき、宇宙服のような防護服に象徴されるように、人と人とが直接触れ合うことは、禁忌となった。そして人と人との繫がりが、何とインターネット上に求められてゆく。あるいはPCの、あるいは携帯デバイスの、華奢なディスプレイ越しでなければ、人と人とが出会えなくなってしまった。互いの表情を見せてくれるディスプレイは、あたかも私たちのもどかしさを増幅させる装置のごとくである。人が人を求め、共にする、最後の砦は何であったろう。病棟に隔離され、人が人を抱擁さえできなかったとき、最後に残ったのは何であったろう。言語である。そこにはもうほとんどことばしかなかった。私たちはそのことを、嫌と言うほど、思い知らされたのである。言語こそは、私たちが共に在ることの、最後の砦であった。
 
でもウイルス年以前も、実はそうだった。始まりはいつも言語であったし、最後の砦も言語であった。
この地で生きている私たちが、直面してきた様々な困難のうち、言語をめぐる問題、あるいはことばに関わる問題の、いかに多いことか。新聞を見よう、雑誌を見よう、テレビを見よう。井戸端であってもいい、国際会議場でもいい、人々の集まるところで語られる言語を見よう。そこではきっとこんなことが言われている――誰々が何と言った、何を語った。ひどい。こんな発言が許されるのか、こんな暴言が罷り通っていいのか。許し難し。そこはしばしば、傷つき、傷つけられる、茫漠たる言語地帯である。インターネットを見よう、SNSを見よう。そこはさらなる言語暴力地帯である。ことばがことばを切断し、ことばをことばが叩きのめし、ことばがことばの首を絞める。そしてことばが私たちを刺す。ことばに刺される度ごとに、私たちの心が軋む。心が刻まれる。ヘイトスピーチ、フェイクニュースなどという外来語さえ日常語となった。
私たちの日常は、個人と個人の間の、ちょっとした言葉遣いから、国家間の威信を左右するような言語使用に至るまで、およそ言語とは関わりのない問題を探す方が、難しい。世界の半分は言語でできているのであるから。
世界を生きる私たちの息苦しさの底には、往々にして言語についての息苦しさが蠢いている。日本語と呼ばれる言語を〈母語〉とする人々にとっても、息苦しさは母語たる日本語にだけ感じられるのではない。日常のあちこちに聞こえる、「英語を学べ」などという進軍喇叭もまた、言語をめぐる私たちの苛立ちを駆り立てる。この〈母語〉という概念をめぐっても、大切な問題群が蹲っている。
 
今日、言語は私たちにとっていかなる姿をとって、立ち現れているのか? 私たちを繫いでくれる最後の砦であったはずの言語は、真に私たちのものなのか? 反対に、いつしか私たちはあまりにも言語に苛まれているのではないか? これは単なる意思疎通の不十分さなどといった、生易しい事態ではない。コミュニケーションなどという、実験室から取り出してきたような単語で、語りきれる事態ではない。
ことばを学ぶということにあってもそうだ。「国語」教育? コミュニケーションのための「外国語」教育? これらもまた、あまりにも空疎な号砲である。コミュニケーションになど辿り着きもしない、「外国語」への劣等感の巨大生産装置たる、公教育の累々たる屍を見よ。何か間違っているのではないか? 「外国語」教育の、目標も、方法も、あるいは出発点さえ間違っているのではないか? 
日常のありとあらゆる局面で、言語がまるで私たちの脳を締め上げ、私たちの感性を すり潰すかのごとくである。原発が崩落し、ウイルスが蔓延する、そうした危機に乗じて、〈国家の言語〉が、〈差別の言語〉が、〈抑圧の言語〉が密やかに、時には公々然と襲いかかってくる。しばしば〈戦争する言語〉さえもが飛び交っている、これは、錯覚なのか? 杞憂なのか? 
深いところから考えるとき、間違いなく言えることは、私たちの生のうちを、人類の歴史にかつてなかったほどの、圧倒的な量の言語が、恐るべき速度をもって蠢いているということである。ことばが私たちの生のあらゆるところに溢れている――言語のパンデミック。

この文章は野間秀樹著『言語 この希望に満ちたもの』(北海道大学出版会)の「はじめに」の一部です.全体はこちらの note でご覧いただけます:
https://note.com/noma_h/n/n85f031db5b8b

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