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ストーカーに振られた女


#私だけかもしれないレア体験

いつ、どこで出逢ったのか。
その記憶がないくらいに彼はよくワタシが住む
留学生楼にやってきた。

留学生ではない彼は
他の大学の1年生、19歳。
ワタシの大学からはバスで1時間くらいの距離なのによくやって来ていた。

ワタシは27歳の留学生。
ブラック企業から逃げるように中国へ。
退職を申し出たとき、バリバリ体育会系で脳みそ筋肉な上司に終業後1時間ほど監禁される。
退職理由が結婚ではなく留学だと理解され
無事解放。
ブラック企業から離れられた安堵感と日本とは違うレトロな雰囲気にワタシはどっぷり癒された。

自分のことを知っている人のいない開放感の中で
思ったことを飲み込み、鬱憤まみれで見失った自分を取り戻すべく、気持ちを曝け出した。

中国人に倣い、
意思表示は明確に。
空気は読まない。
笑ってごまかさない。
人にどう思われるかは考えない。

それは、すぐに慣れた。
そして、すぐに受け入れられ
周りからも支持された。

日本人っぽくない。
付き合いやすい。
明るくて、中国人みたいだ、と。

2004年1月。
中国語の補講で通っていた塾の先生の
発音と声がドストライクで。
しかも、同い年。

授業のあとに質問をしたら
少し話しませんか、とデートみたいな感じに
なった。

どこへ行くのかついて行くと
先生の母校の庭。
ここで話しましょう、と。

1月の北京。
緯度は秋田と同じ。
庭の池は凍っている。

あまりに寒いので
カフェに行こうと言うと
カフェは高いし、外が気持ちいいと。

当時、中国ではまだカフェが高くて
そこまで定着していなかった。
まさに感覚が違っていたのだ。

ワタシは先生にほのかな好意を
持ってはいたものの
価値観の違いは大きな壁だった。

そして、それを自分から埋めて行く気概よりも
自分のことを好きだと言う人になびく
怠慢さの方が強かった。

そんなときのいつかに
19歳の彼はワタシのことを
見つけたのだろう。

英語で語ろう会だったか
日中相互フォロー会だったか。
年下は眼中に無かったから覚えてない。

でもなぜか、彼はワタシの携帯番号を
知っていた。

そして日本人留学生+日本語教師の日帰り旅に
彼も参加していて
バスではワタシの近くに座った。

それから、彼の出現は回数を増した。

彼はワタシを見かけると寄ってきて
話が長いので
極力避けるようにした。

部屋番号は知られてなかったので
彼が来ていると情報が入ったときは
鬼ごっこみたいに

留学楼を抜け出し
彼から逃げた。
10回くらい逃げ続けたある日

食堂で彼に捕まった。
食事をしているときで
まさに油断してた。

うわーっ!最悪だ。
ライオンに捕まったしまうまの心境で
彼を見たら

そんな気持ちを代弁するかのような表情を
彼もしていた。
そして、、、

「今日は残念な話をしに来た」
「謝らなければ、ならないんだ」と。

今までのストーカー的な付け回しを
謝ってくれるのかと思ったら

「親の都合で引越すことになり、もうここへは来られなくなったんだ。ごめん。もう、付き合えない」と。

えーーーっ!?
付き合ってたの!?
うそでしょー!?

しかも、ワタシ、振られた。

もう逃げたり、隠れたりしなくていいのは
安心したけど
腑に落ちないショックでブルーに。

好きな人に振られるショックとは違う
落とし所がない気持ち。

その後、結局中国の方とはご縁がないまま
中国にどっぷりハマりゆく姿を見た
中国人教授の奥様に

早く帰りなさい。
日本の企業から派遣されてまた来なさいと言われ
帰国した。






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